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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第三章 印歴二一九一年二月三日
56/3486

0056.最終バスの客

 昼食も、湖の民の薬師(くすし)が獲ってくれた魚を焼いて、ゆっくり食べた。


 食事が終わるまで待ったが、レノたちの母は(つい)に現れなかった。

 父と妹たちは何も言わない。レノも何も言わず、ただ時折、家の方角へ目をやりながら、時間を掛けて野営地の後片付けをした。


 今朝、突然倒れた陸の民の少年は、昼食時になっても目を覚まさなかった。

 薬師(くすし)の見立てでは、精神的な疲労と睡眠不足が原因とのことだ。今も、グラウンドの隅で毛布を掛けられて昏々(こんこん)と眠る。


 朝のバスで、半分くらいの人が鉄鋼公園を去った。

 車内には、既に他の一時避難所から乗った人々が居り、全員は乗れなかった。

 数人の大人と、レノたち椿屋の一家とクルィーロ兄妹、中学生たちと湖の民の薬師、昨日加わった陸の民の少年が残った。


 早く避難したいと思う一方で、他所へ行った後で母がここに来たら、との不安もある。


 次のバスが、ここでの最終便になると聞いた。

 今すぐ店に戻って母を探したいような、ここで待ちたいような、身の置き場のない落ち着かなさの中で黙々と作業を続ける。


 「お巡りさんに聞いたんだけど、漁港の船は、隣のマスリーナ市の港へ避難してるんですって。だから、もし、お母さんが船で避難してたら……」

 「そうですね……」


 湖の民の薬師(くすし)が、望みを繋ぎ得る情報をくれたが、レノは弱々しく微笑みを返すだけで精一杯だった。

 中学生たちは、家族や友達を諦めたのか、もう東の方を見なくなった。或いは、東を見ることさえ辛いのかもしれない。


 ピナが、そんな級友たちを申し訳なさそうに見る。

 レノは、そんな妹の姿を居たたまれない思いで見守る。

 この場の中学生で唯一人、家族が生きて目の前に居る。そのことに罪悪感を抱え、本来なら、必要ない思いに縛られる。


 レノは、罪悪感の源である「兄」の自分が、何をどう言えばいいかわからず、無言で見守るしかなかった。

 ティスは、父の前掛けの端をぎゅっと握りしめ、今朝から一言も喋らない。



 午後二時過ぎ、とうとう避難所への最終バスがきた。

 陸の民の少年は気を失ったままだ。

 警官が毛布に(くる)んで、座席に座らせる。彼の荷物は、薬師(くすし)が代わりに持ち込み、隣に座った。

 椿屋一家は、後ろ髪引かれる思いで最後に乗った。


 エンジンが掛かり、バスが鉄鋼公園を離れる。

 「今からマスリーナ市の北公民館へ向かいます」

 運転手が一言告げ、パトカーの先導で走りだした。警察署から、もう一台のパトカーと護送車も出発する。

 避難者とテロリストを運ぶ車が、一列になってジェリェーゾ区を去る。



 間もなく、湖岸三区のグリャージ、スカラー、ジェリェーゾ区と、テロリストが潜伏するミエーチ区が封鎖される。

 リストヴァー自治区と南東部で隣接するピスチャーニク区は、今のところ封鎖の予定はないようだが、誰もが時間の問題だと思った。


 バスに重苦しい沈黙が満ちる。

 息の音さえ(はばか)られる空気の中、車窓へ目を向ける者、頭から毛布を被る者、全財産となった自分の荷物を確認する者……バスの乗客は一様に、不安と疲労、悲しみで表情を曇らせる。



 湖の民の薬師(くすし)アウェッラーナは、気を失った陸の民の少年に付き添った。

 少年はまだ目を覚まさない。


 アウェッラーナは車窓に目を向けた。

 車線の東側の街区は家々が破壊され、(むくろ)のような瓦礫が連なる。西側の建物は無事だが、人の気配はない。

 どこにテロリストが潜んでいるかわからず、瓦礫の撤去は手付かずだ。


 小さな溜め息が漏れる。

 (かす)かに、音が聞こえた。


 大気を震わす不吉な響きに心が凍る。音の接近に伴い、身体が震えた。

 アウェッラーナは毛布を被り、緑の頭を抱え込んで耳を塞いだ。

 座席で前屈みになった瞬間、激しい衝撃に襲われた。

 天地がひっくり返り、悲鳴が上がる。

 何がどうなったかわからない。

 車内は下手なシェイカーのように揺さぶられ、身体があちこちに叩きつけられた。



 どのくらい経ったのか、気が付くと、運転席の外に炎が見えた。

 バスは横転し、左側の窓が道路に接する。後部座席の窓からも炎が見えた。


 アウェッラーナは、折り重なった人の間から、自身を引きずり出した。

 意識を失った者、骨折し、手足があらぬ方へ曲がる者、ガラスが刺さり呻く者、明らかに首が折れた者……重傷者が多く、途方に暮れかけたが、どうにか自分を奮い立たせて状況を確認する。


 アウェッラーナは、ガラスが砕けた窓枠に立ち、まず、自分の身体を確めた。

 興奮や驚愕(きょうがく)で痛みを自覚しないことがあるので、両手で()でさすり、痛む所はないか、何か刺さった所がないか調べる。

 コートのちょっとした防護の術と、毛布に(くる)まっていたお蔭で、アウェッラーナは、(ほとん)ど無傷だった。

 軽い打撲があり、後で痛むかもしれないが、大したことはないだろう。


 シートベルトで席に固定された運転手は、力を失った手と首がぐったり垂れ下がって動かなかった。割れた窓から黒煙が流入し、生存者が激しく咳込む。


 アウェッラーナは、自分の鞄と手近のリュックサックを肩に掛けて声を掛けた。

 「動ける人は、バスの前と後ろから、外へ出て下さい」

 バスの燃料に引火すれば、誰も助からない。

 中学生が助け合って、座席の背もたれに這い上がる。


 ……外に出て、火を消して、避難して、それから、怪我を治して……


 アウェッラーナは、()すべきことを頭の中で組み立てながら運転席に近付く。フロントガラスは砕けて粉々だ。料金箱の上に立って運転手に呼び掛けた。

 「運転手さん、運転手さん!」

 何度も呼び掛けると、うっすら目を開けた。

 意識が朦朧(もうろう)とするのか、焦点の合わない目が宙を見る。アウェッラーナの腕力では降ろせない。



 諦めて、一人で車外へ出た。

 避難者の誘導の為、一番前の座席に居た市職員は、車外に放り出されていた。一目で生きていないとわかり、思わず目を(そむ)けた。


 毛布に(くる)まっていた者は比較的、怪我が軽い。二、三人で声を掛け合って、動けない負傷者を車外へ出す。

 パトカー一台と護送車も横転していた。

 無事なパトカーから、警察官がバスに駆け寄る。警官の助けで、負傷者を次々と車外へ運び出す。


 なんとか脱出できたが、炎と黒煙に囲まれ、それ以上の逃げ場はなかった。


 ……水……、水はどこにあるの? 火を消さなくちゃいけないのに。


 「薬師(くすし)さん、すぐそこに運河があります」

 警官の一人が、呆然とするアウェッラーナの肩を掴み、北を指差した。

 言われてやっと、市民病院周辺の地理を思い出し、アウェッラーナは【跳躍】した。橋の(たもと)へ跳ぶ。



 セリェブロー区への橋は崩落していた。

 運河には橋の残骸と車両が何台も沈む。

 対岸では、ずぶ濡れの人々が力なくへたり込む。その周囲の家々も炎上、或いは倒壊し、無事な建物は一棟もなかった。


 大気を震わす轟音で、アウェッラーナは空を仰いだ。

 戦闘機の編隊が頭上を(よぎ)る。

 飛び去った彼方の空に輝く何かが降り注ぐ。

 閃光。

 一呼吸置いて地響きが轟く。

 光った辺りから黒煙が立ち昇る。


 「……空襲?」


 どこと戦争になったのか。今は考えている場合ではない。慣れ親しんだ【操水】の呪文を唱え、運河から魔力の及ぶ限りの水塊を起ち上げた。



 運河と横転地点の間には、炎が壁となって立ち塞がる。

 水塊を地に這わせ、そのまま炎の壁に突入させた。水流と火焔がぶつかり、激しい音と共に白煙が上がる。

 車一台分の幅に炎が消え、道が通った。


 先導のパトカー、その向こうに横転した護送車が見える。

 アウェッラーナは、半分程に減った水塊を宙に漂わせ、バスに近付いた。まだ負傷者の救出作業が続く。


 「動ける子は、運河の方へ逃げて」

 突破口に気付いた警官が指示する。

 子供らが、足を引きずりながらバスを離れる。


 アウェッラーナは、残りのフロントガラスと地面に散乱する破片を水で洗い流した。水に含ませた破片は、炎の傍へ排出させる。


 警官の一人が、護送車の扉を開放した。

 「動ける者は出ろ!」


 動けない者は諦めるしかない。


 アウェッラーナは残った水を炎にぶつけ、通路を広げた。

 四車線道路の両脇の街区が激しく燃える。最初の襲撃後、住民は避難して無人だ。そうでなければ、何人が焼かれただろう。


 火を消し止める住人も居ない。炎は思う様、家々を呑み、燃えるに任される。

 運河の向こうも同様に燃えていた。



 アウェッラーナは再度、運河の水を起ち上げた。身を寄せ合う避難者とテロリストの周囲に水の壁を巡らせる。

 金髪の工員がそれに(なら)い、力ある言葉をたどたどしく唱えて水を起ち上げた。



 「そうだ……ガラス……あの、どなたか、他に魔法、使える方……」

 警官の一人に水壁の維持を代わってもらい、アウェッラーナは改めて、運河の水をバケツ一杯分、起ち上げた。

 血塗(ちまみ)れの者を一人ずつ診ながら、傷に刺さったガラス片を水で(くる)んで抜き取る。

 一人処置を終える度に、水から不純物を排出し、またすぐに別の怪我人を洗う。


 とにかく今は、目の前の怪我人に集中する。早く傷を塞ぎたいが、先にガラス片を除かなければ、体内に異物を取り込んだままになってしまう。

 目の前の一人、目の前の傷にのみ意識を傾け、焦りを抑えた。

 破片の除去に失敗すれば、血管を更に傷付け、大出血を起こしてしまう。

☆他所へ行った後で母がここに来たら……「0021.パン屋の息子」参照

☆次のバスが、ここでの最終便……「0049.今後と今夜は」参照

☆お巡りさんに聞いたんだけど、漁港の船は、隣のマスリーナ市の港へ避難……「0043.ただ夢もなく」参照

☆中学生たちは、家族や友達を諦めた……「0030.状況を読む力」「0039.子供らの一夜」「0040.飯と危険情報」参照

☆陸の民の少年は気を失ったまま……「0055.山積みの号外」参照

☆テロリストを運ぶ車……「0037.母の心配の種」「0038.ついでに治療」、「0043.ただ夢もなく」~「0046.人心が荒れる」参照

☆コートのちょっとした防護の術……「0005.通勤の上り坂」参照

 挿絵(By みてみん)

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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