547.ラジオの番組
魔装兵ルベルは、食堂でパンひとつを珈琲で無理矢理流しこみ、久し振りに売店へ行った。魔装兵ムラークを失っても、基地と売店は普段通りだ。
……そう言えば、俺はあいつの所属も聞いてなかった。
少なくとも、首都クレーヴェル郊外のこの基地ではない。だが、今更誰にも聞けず、知ったところで何がどうなるでもなかった。
売店のおばちゃんは、ルベルを憶えていて、愛想良く迎えてくれた。新聞四紙と電池を買い、同僚にもらった緑青飴で支払いを済ませて兵舎の自室へ戻る。
ラジオの電池を交換し、地元紙の四葉新報のラジオ欄を見た。
どの局も戦時色に塗り潰されている。国営放送では、開戦前は毎日流していた素人の喉自慢番組がなくなり、安否情報や避難民向けの特別番組で埋め尽くされた。二局だけのAM民放は、番組数こそ減っていないが、ニュースの時間が延び、他の番組が圧迫されている。
辛うじて残ったいつもの番組が、日常を繋ぎ留めていた。
地方のFM放送局ならたくさんあるが、あの里謡調査員は、国民と前線の兵を鼓舞する為に里謡を集めていると言っていた。
この状況で地方のFM局全てに届けるのは不可能だ。AM放送なら、元ラキュス・ラクリマリス共和国領だったラクリマリス王国とアーテル共和国にも届く。
独立後、国交のなくなったアーテルではどうなったか知らないが、少なくとも、ラクリマリス王国では、共和国時代の局がそのまま運営されていて、ネモラリス共和国の放送も一部の地域で受信できる。
半世紀の内乱後に生まれたルベルは知らなかったが、旧王国時代からラキュス・ラクリマリス共和国時代も引き続き首都だったラクリマリスは、完全な魔法文明都市らしい。科学文明を支える工場などはなく、放送局も置いていないと聞いた。
ラジオの放送局は、昔から都会だったクレーヴェルとルフスに親局が集中していた。
半世紀の内乱の終結で国が分かたれた後、クレーヴェルはネモラリス共和国の首都に、ルフスはアーテル共和国の首都になった。クレーヴェルに残った民放局は二局だけで、ルフスの局がどうなったか不明だ。
朝の歌番組はどちらの局も終わっていた。次は十一時だ。
ルベルは新聞を読んで時間を潰す。
全国紙の湖水日報と緑陰新聞、ネモラリスやアーテルを含むラキュス湖南地方全土で発行される湖南経済新聞、首都圏近郊の地方紙四葉新報。
一方的に宣戦布告して空襲を実行したアーテルへの批難、各国の反応、戦況、焼け出された罹災者の支援情報、仮設住宅の情報、復旧作業の進捗、作業員の募集、里親の募集、焼け跡から店を再建した店主の奮闘、こんな苦しい状況でもくじけない子供たちの笑顔……どの紙面も、検閲のせいで画一的な論調だ。
ラクリマリス領ツマーンの森に植えられた腥風樹による被害状況も大きく扱われている。各紙はこぞってアーテルの「侵略」を激しく批難していた。湖南経済新聞だけは、ラクリマリス軍の公式発表の他、アーテル兵に避難を勧められたラクリマリス人のインタビューも添えている。
……まだ、全部は倒せてないのか。それにしても、何でアーテル軍は兵を引き揚げないんだ?
ツマーンの森で魔哮砲を探すでもなく、北ヴィエートフィ大橋の袂、モースト市に居座っている。ラクリマリス軍は腥風樹の対応でそれどころではないからか、アーテルの陸軍を排除する動きがなかった。
放っておいても、数ヶ月前のように魔獣に襲われればひとたまりもない。魔法使いの居ないアーテル軍では、小さな魔物にだって対抗できないのだ。
……何でそんな危険を冒してまで留まるんだ?
北ヴィエートフィ大橋を押さえる為と言うには、貧弱な部隊だ。その内の十一人の小隊はムラーク一人で殲滅できた。一人も見逃さず、短時間で終わったのはルベルの【索敵】の眼があったからだが、与えられた命令が「敵部隊の殲滅」なら、ムラーク一人でも完遂できただろう。
相棒のムラークを思い出し、ルベルは新聞を脇にどけて瞑目した。
ざわついた心が鎮まるのを待ってラジオを点ける。
音楽番組の開始まで後五分。以前は二時間番組だったが、今は四十五分に短縮されている。
「それでは、各地の天気をお伝えします」
アナウンサーの声が終わると同時に軽快なBGMが流れ、ネモラリス島北東部から順に、主な都市の天気が淡々と読み上げられる。目を閉じて耳を傾けると、戦争前の平和な空が広がっているように思えた。
「……クルブニーカ、北ザカートなど、クブルム山脈沿いの各都市は、立入制限の為、引き続き欠測中です。次の天気予報は、十二時五十五分の予定です」
同じアナウンサーの声で現実に引き戻され、ルベルは目を開けた。
開戦前と同じ時計会社のCMに続いて十一時を知らせる時報が鳴り、軽快な番組ジングルが響き渡る。DJの明るい声が空々しく「この難局を頑張って乗り越えましょう」などと前置きして、リクエストの葉書を読み上げる。
「では、さっそく一枚目のお便り、行ってみましょう! エージャ市在住のラジオネーム“平和の祈り”さんから、『半世紀の内乱前は、信仰や魔力の有無に関係なく、みんな同じ学校に通って同じ勉強をしていました。体育の時間に流していた国民健康体操をお願いします』とのことで“平和の祈り”さんは長命人種の方なんですねー。若い人たちはこれを聞いて、半世紀の内乱前の授業風景を想像できるでかな? それでは、お聞き下さい。ラキュス・ラクリマリス共和国逓信省保険局の『国民健康体操』です」
鋭いホイッスルに続いてピアノの軽快な旋律が流れ、男性の声で号令と掛け声が入る。
内乱後に生まれた若いルベルには、半世紀の内乱前の授業風景と言われてもピンとこない。フラクシヌス教徒とキルクルス教徒が同級生で、力ある民と力なき民が机を並べる様子は、外見上は今と変わらないだろう。
湖の民と陸の民は今も同じ教室で学んでいる。
一部の中学では、魔術の授業があって基本的なことを学ぶが、力なき民に配慮して実技はない。高校も、学校によっては力ある民と力なき民でクラスを分け、力ある民には実技を含む魔術の授業がある。
魔力の有無と信仰は、陸の民なら外見からは見分けがつかない。湖の民でも極稀に力なき民が生まれるし、パニセア・ユニ・フローラ以外の神を信仰する者も居る。
昔はみんな一緒だったと言うが、キルクルス教徒の子は、魔術の授業をどうしていたのか。そもそも、明らかに魔法使いとわかる湖の民の子と隣の席になって、何のトラブルもなかったのか。
……まぁ、世間の常識として、ある程度は魔法のことを知ってた方がいいしなぁ。学校に信仰を持ちこまず、みんなで仲良く……みたいな校則くらいあったんだろ。
ルベルは自分を納得させ、次々と流れるリクエスト曲に耳を傾けた。
流行歌や懐メロ、映画の主題歌にクラシック、フラクシヌス教の神を讃える聖歌……幅広い世代に人気の番組だけあって、選曲もバラエティに富んでいる。
ラクリマリスの湖上封鎖で【無尽袋】が品薄になり、郵便局は小包の引受を停止した。封書と葉書は収集員がポストから回収して【跳躍】で各地に届けられているが、切手や葉書を購入する余裕がなくなった家庭は多い。
焼け出されて避難所を転々とする人々は、離れた土地で暮らす親戚や友人知人と、安否の遣り取りも満足にできなかった。
番組を最後まで聞いたが、里謡は一曲も流れなかった。
曜日別の特集コーナーかもしれないが、ラジオ欄には番組名は載っていても、個別のコーナー名までは載っていない。
次の音楽番組は、もうひとつの民放局で夕方六時からだ。ルベルはラジオの電源を切り、新聞で時間を潰した。
☆あの里謡調査員……「507.情報の過疎地」「508.夏至祭の里謡」参照
☆数ヶ月前のように魔獣に襲われれば……「300.大橋の守備隊」参照




