543.縁を願う祈り
ロークは家族を捨てて以来初めて、フラクシヌス教の神殿に詣でた。
いつものフラクシヌス教徒のフリではなく、生まれて初めて、真剣にフラクシヌス教の女神パニセア・ユニ・フローラに祈る。
……水の縁が繋がって、アミエーラさんが親戚の人と会えますように。
このラキュス湖の水で、すべてがひとしくひとつに繋がっているのなら、その縁を手繰り寄せることなど容易い気がする。
そっくりな人物がいると言うだけでも奇跡のような話だが、さっきの祈りを見た今では、その人物がアミエーラの親戚だと言う奇跡もあるような気がした。
……アウェッラーナさんが家族と再会できますように。クルィーロさんとアマナちゃんがお父さんと会えますように。ファーキル君が親戚の人と会えますように。
湖の女神パニセア・ユニ・フローラが、戦乱で引き離された家族を哀れに思うなら、きっと縁を手繰り寄せて会わせてくれる筈だ。特にアウェッラーナは湖の民だ。身内は漁師だと言っていた。血筋も職業も湖と縁が深い。
……他のみんなが無事に湖を渡って、ネモラリス島に着けますように。
ロークの祖父と両親は、フラクシヌス教徒のフリで周囲の目を欺き、リストヴァー自治区の外でぬくぬくと暮らす隠れキルクルス教徒だ。
家の中ではキルクルス教の教えに従い、一歩外へ出ればフラクシヌス教の神々を讃える。物心つくかつかないかの頃からずっと、そんな二重生活を当然のこととして強いられ、小学生になって本物のフラクシヌス教徒の同級生と接してからは、宗教にハマる者を冷ややかな目で見てきた。
自治区外で暮らすキルクルス教徒たちは、ロークの実家を溜まり場にしていて、傷を舐めあっていたが、ロークはずっと、信仰を偽ることでそんなに心が傷付くなら、自治区へ引越して正直に生きればいいのに、と思っていた。
勿論、フラクシヌス教徒にも嘘吐きや泥棒が居て、神殿の【魔力の水晶】はちょくちょく盗難に遭う。その度に新聞の隅っこに「神殿で【水晶】泥棒」などと言うしょっぱい記事が載った。
……あんな嘘吐きや【水晶】泥棒みたいなカスもみんな、一緒くたに仲間扱いなんてクソ喰らえだ。
内心、そんな反発はあったが、近所の人に怪しまれないよう、祭や参拝に参加する内に、キルクルス教よりフラクシヌス教の教義に惹かれるようになった。
中学に入って、ヴィユノークたちと仲良くなってからは特にそうだ。
キルクルス教の教義では、力ある民のチェルトポロフは勿論、魔力はあっても作用力がなく、補助具なしでは魔法を使えないヴィユノークでさえも悪しき者、穢れた者として断罪の対象とされる。一時期荒れていたチスだけが、力なき民だと言うだけで「無原罪の清き民」扱いだ。
……あいつらは、父さんたちみたいに汚い嘘吐いたりなんかしないのに。
保身の為に信仰を偽るのは良くて、ただ魔力を持って生まれただけの友人たちが罪人扱いされ、付き合いを制限されるのが堪らなくイヤだった。
……それなら、フラクシヌス教の方がまだマシだって思ってた。
先程の騒ぎでロークの認識は大きく変わった。
湖の民の彼らは、アミエーラがキルクルス教徒であることを知らなかったが、陸の民である彼女の為に心を籠めて祈ってくれた。初対面の赤の他人の為に祈りを捧げる姿に触れ、「我らすべて ひとしい ひとつの水の子」の意味がやっとわかった気がする。
……上手く言葉にできないけど、そう言うコトだったんだ。
目を開いて、祭壇で輝く祈りと魔力が籠められた【魔力の水晶】を見詰める。すり鉢状の穴で輝く小さな光のひとつひとつに、さっきと同じやさしさが宿っているのだ。
……キルクルス教みたいに、自分とは違う誰かを罪人呼ばわりして除け者になんかしない。湖みたいに心が広い教えなんだ。
確かに、三界の魔物の再来は、絶対にあってはならないことだ。
何がどうなったのか知らないが、ネモラリス軍の魔哮砲が魔法生物で、ラクリマリス領ツマーンの森を彷徨って荒らしているのは本当のことだ。
制御を離れた魔法生物が三界の魔物の再来に思えるのは仕方がない。何とかしてやっつけるか、封印するか、無害化する対策は必要だろう。
アーテルの言い分の内、目的に関してだけは、ロークも否定する気にはなれなかった。
……だからって、目的の為なら何やってもいいってワケじゃない。
アーテル側がいつ、どんな手段で魔哮砲の存在を知ったのか不明だが、あれの存在を国際社会の前に引っ張り出す為に戦争を吹っ掛けたのだ、と今ならわかる。
宣戦布告の理由は自治区民救済だったのに、キルクルス教団や外国の信者団体の支援で、リストヴァー自治区の状態が見違える程良くなっても、アーテルは和平交渉を始めようとさえしない。
それどころか、魔哮砲を殺す為にツマーンの森へ侵入して、腥風樹の種を蒔いた。
……魔法生物をやっつける為なら、魔法使いの命や国を踏みにじってもいいなんてコト、あってたまるか。
人間の争いとは何の関係もない森の生き物を巻き添えにするなら、やってることは三界の魔物と大差ないとさえ思える。そんな無差別攻撃に対して、何もできないのがもどかしかった。
「ローク、ロークじゃないか!」
聞き覚えのある声で呼称を叫ばれ、ロークは立ち止まって神殿の通路を見回した。湖の民の参拝客を押し退け、陸の民の若者が泣きそうな笑顔で向かって来る。
ファーキルとアミエーラが何事かとそちらを見て、前を行く薬師アウェッラーナと湖の民の聖職者も振り向いた。
☆いつものフラクシヌス教徒のフリ……「034.高校生の嘆き」「035.隠れ一神教徒」参照




