541.女神への祈り
「みなさんもお参りの途中ですよね? 巡る水が再び湖に還るように、彼女が身内と会えるよう、共に祈りましょう」
聖職者が湖の方へ大きく両手を振ると、野次馬たちは一斉にそちらを向いて跪いた。アミエーラも、キルクルス教徒だと知られぬよう、見様見真似で跪く。
「湖上に雲立ち雨注ぎ、大地を潤す。
木々は緑に麦実り、地を巡る河は湖へと還る。
すべて ひとしい ひとつの水よ。
身の内に水抱く者みな、日の輪の下にすべて ひとしい 水の同胞。
水の命、水の加護、水が結ぶ全ての縁。
我らすべて ひとしい ひとつの水の子。
水の縁巡り、守り給え、幸い給え」
湖の民の聖職者が祈りの詞を朗々と唱えると、参拝者たちは声を合わせて後に続いた。アミエーラの隣で跪く薬師アウェッラーナも同族の声に唱和する。
アミエーラは、初めて耳にしたフラクシヌス教の祈りに衝撃を受けた。
――身の内に水抱く者みな、日の輪の下にすべて ひとしい 水の同胞。
この世に生きとし生ける物すべてを仲間だと言うおおらかな祈り。
……だから、みんなは私やモーフ君たちがキルクルス教徒でも受け容れてくれたのね。
アミエーラが知っているキルクルス教の教義では、人を魔力の有無で「無原罪の清き者」と「罪に穢れた者」「悪しき業を行う者」に分ける。本人の努力や性格、実際の行いとは無関係に、生まれつきの能力で決めつけ、扱いに差を付ける。
薬師アウェッラーナや、ここに居る湖の女神の信者の多く――湖の民は、ほぼ全員が魔力を持つ力ある民で、緑色の髪で一目見てそれとわかるせいで、キルクルス教社会では受け容れられない存在だった。
アミエーラはリストヴァー自治区の学校で、アーテル共和国ランテルナ自治区のことを少しだけ習った。湖の民は、魔力を持つ穢れた存在で、危険だから、隔離している――と。
湖の女神の信者と聖職者は、初対面の陸の民――しかも、知らないとは言え、キルクルス教徒のアミエーラの為に幸せを祈ってくれている。
――すべて ひとしい 水の同胞。
同じ祈りが三度繰り返され、アミエーラは衣擦れの音で目を開けた。アウェッラーナに手を引かれて立ち上がり、自分の為に祈りを捧げてくれた湖の女神の信者を見回す。
「みなさん、ありがとうございます」
何とか、それだけは言えたが、涙が溢れ、続きは声にならなかった。
湖の女神の信者たちは、口々にアミエーラを励ます。何人かは涙ぐんで手を握り、アミエーラの健康や幸せ、早く身内に会えるようにと改めて祈ってくれた。アミエーラは涙を拭いながら、一人一人に礼を言う。
そうして少しずつ人が離れ、人垣がなくなって、四人は思わずホッと息を吐いた。
「なんだか大騒ぎになってしまいまして、すみません」
「あ、い、いえ、そんな……」
湖の民の聖職者に心底申し訳なさそうに謝られ、アミエーラは涙声で否定した。
「何人か、本当に大神殿まで報せに行ってくれたようです。どうされますか?」
「えっ? ど、どうって?」
ロークが困った顔で聖職者と、その向こうの神殿を見る。レノ店長たちは騒ぎに気付かないくらい先へ行ってしまったのか、姿が見えなかった。
「彼らが戻るのを神殿で待たれますか? それとも、ご連絡先をお伺いして、私の方からお知らせしましょうか?」
聖職者の提案に四人は顔を見合わせた。ロークが小声で言う。
「取敢えず、店長さんたちと合流しないと、心配してますよ」
「そうですよねぇ」
薬師アウェッラーナが頷き、代表して答える。
「前を歩いていた連れとはぐれてしまったので、先にみんなを探して、一緒にお参りして、その時に連絡がなければ、あのー……厚かましいお願いで恐縮なんですけど、フィアールカさんに伝言をお願いしてもよろしいですか?」
「みなさんは、フィアールカ神官のお知り合いだったんですか」
湖の民の若い聖職者が驚きに目を見開く。
少なくない【跳躍】代をウェブマネーで支払ってくれたファーキルが、何とも言えない顔で聖職者から目を逸らした。流石にここで「運び屋と客だ」と答えるのは気が引けるのか、薬師アウェッラーナが半笑いで微妙な関係を説明した。
「えっと、知り合いと申しましょうか、王都まで連れて来て下さったんです。何か困ったことがあれば、女神様の神殿で伝言を頼むようにって言われたんです」
「そうでしたか。お連れさんもご心配なさっていることでしょう。ご一緒しましょう」
聖職者の案内で、四人は神殿へ向かった。
廂を支える太い列柱に植物の彫刻が施されている。入口中央の一本だけが花で、他は樹木だ。主神フラクシヌスに縁の深い秦皮か樫だろう。
左端の柱の傍に陸の民の一団が見えた。レノ店長たちだ。はぐれた連れに気付き、ホッとした顔で手を振る。アミエーラたちも手を振り返し、小走りに近付いた。
「人多いもんなぁ。無事に会えてよかったよ」
レノ店長が湖の民の聖職者に会釈し、アミエーラたちに笑顔を向ける。さっきの騒ぎには気付かなかったらしい。
「それが、その……」
アミエーラが周囲を憚り、小声で説明すると、レノ店長たちに喜びが広がった。
「じゃあ、大伯母さんって、王都に来てるかもしれないんだ?」
「人違いかもしれませんけど……」
「でも、そんなにそっくりだったら、きっと親戚の人よ」
「おねえちゃん、よかったね」
アマナとエランティスが無邪気に笑う。
ピナティフィダとクルィーロは、もし違ったら、との懸念に同意を示し、複雑な表情でアミエーラを見た。
「みなさん、お参りは済まされましたか?」
「はい。交代で済ませました。ありがとうございます」
レノ店長が聖職者に答え、どうしようか、と言いたげにアミエーラを見る。まさか聖職者の前で「キルクルス教徒だから参拝できない」とは言えず、アミエーラは困って薬師アウェッラーナと顔を見合わせた。
「そう言えば、さっきの方々はアミエーラさんの呼称も聞かずに行っちゃいましたけど、もしホントに歌手の方が大伯母さんだったら、どうやって知らせて下さるつもりなんでしょう?」
「わ……私、ここで待ってます。中……随分混んでますし、きっと私を探しに来られるんじゃないかなって……」
薬師アウェッラーナが巧く誘導してくれ、アミエーラは全力でそれに乗ったが、聖職者はにっこり笑って首を横に振った。
「みなさん、王都は初めてなのですね?」
「はい。ずっと地元の神殿しかお参りしたことなくて……」
レノ店長が申し訳なさそうに言うと、聖職者は寛容な笑みを浮かべて頷いた。
「王都は【跳躍】除けの結界が健在なので、ここから大神殿までは舟で片道一時間あまり掛かるのですよ。今の混み具合でしたら、ゆっくりお参りなさっても大丈夫ですよ」
クルィーロが不安に揺れる目でアミエーラを見る。不意に、針子の胸にメドヴェージの言葉が甦った。
――迷ってるってこたぁ、どれでもいいってコトなんだからな。
地下街の食堂で、モーフが料理を決められなかった時に言っていた。
……あぁ、でも、そうよね。もし、その人がホントに大伯母さんなら、フラクシヌス教徒にならないと一緒には居られないし、私には……魔力があるから、きっともう、キルクルス教徒には戻れないのよ。
針子のアミエーラは覚悟を決め、聖職者に明るい声で答えた。
「ありがとうございます。お言葉に甘えて私もお参りさせていただきます」
レノ店長たちは息を呑んだが、聖職者の前では何も言えず、気遣う目を向けるだけだ。アマナとエランティスが動揺を押し殺し、目を泳がせる。
詳しい事情を知る薬師アウェッラーナだけがアミエーラの覚悟を受け止め、そっと手を取った。
「一緒に行きましょう」
レノ店長たちの不安な眼差しに見送られ、アミエーラたち四人は湖の女神パニセア・ユニ・フローラの神殿に足を踏み入れた。
☆迷ってるってこたぁ、どれでもいいってコトなんだからな……「493.地下街の食堂」参照
☆詳しい事情を知る薬師アウェッラーナ……「252.うっかり告白」参照




