537.ゾーラタ区民
「ウチはテロがあった時は、まさかこんな田舎までは来ないだろうって、タカを括ってたんですけどね」
年配の農夫は食後、どんなに酷いことになっていたか、呪医セプテントリオーに語って聞かせた。時折、彼の妻が説明を加えるだけで、娘夫婦と婿の両親は口を挟まない。
確かに、農夫の予想通り、星の道義勇軍のテロリストは、ゾーラタ区南端のこの農村地帯にまでは来なかった。代わりに、焼け出された湖岸沿いの三地区の住人や、これから避難するミエーチ区やピスチャーニク区の住人が押し寄せた。
二月の寒い日で、麦は芽吹いたばかりで、野菜も冬キャベツくらいしかなかったが、畑は略奪に遭い、踏み荒らされた。鶏も勝手に〆られ、卵も持ち去られた。
街に近い北部の農家は貯蔵庫もやられ、収穫物を根こそぎ奪われたり、蔵を開けない家は腹いせに術で放火された。流石に【耐火】を上回る火力を出せる術者は少なかったようだが、何軒かは火事になってしまった。
この辺りはクブルム山脈に近過ぎるせいか、暴徒の被害は比較的少なかった。
「同じゼルノー市民だってのにねぇ」
農夫の妻が、お茶のお代わりを淹れながらぼやく。呪医セプテントリオーは会釈してカップを受け取り、続きを待った。
ここには年配の夫婦しか居ない。放火を避ける為に蔵の扉を開放し、娘夫婦を頼ってネーニア島北部のサカリーハ市へ避難した。だが、そこも数日後にはアーテル・ラニスタ連合軍の空襲を受け、一家は一か八か【跳躍】でここへ戻った。
「まぁ、案の定、蔵はやられてましたけど、家は無事だったんで、畑耕して種蒔いて、収穫までは山で色々採って、どうにか過ごしてました」
「小麦も、粉に挽いてあるのは台所に置いてましたからね。それで何とか」
「みなさんも大変だったのですね」
呪医は元患者とその家族の苦労を労った。子供たちは別室で昼寝をしている。
「まぁ、家族全員、五体満足で生命があっただけでもよかったですよ」
年配の農夫は、西の窓に視線を向けて声を潜めた。
「三軒向こうの家じゃ、寝たきりだった爺さんが一月の終わり頃にとうとうくたばったんですがね。その後すぐに魔物が巣食って死体を動かしたもんだから、婆さんが、爺さんはまだ生きてるっつって聞かなくて、身内はみんな他所へ避難して戻らないんですよ」
「ウチは間に畑があって大分、離れてるもんですから、関わらないようにしてましたけど……」
呪医セプテントリオーは、その老婆の頑迷さと伴侶への深い愛情、家族の薄情さと「守る対象」が分かれてしまった一家の悲しみを思い、複雑な気持ちで聞いた。
「今も、その家には魔物……と言うか、ご老人の遺体で受肉した魔獣が居るのですか? お婆さんはどうされました?」
六人は何とも言えない顔で目配せし、代表して年配の農夫が薄気味悪そうに答える。
「それがねぇ、とうとう婆さんちの【結界】を越えちまうくらい力を付けて、どっか行っちまったんでさぁ」
「魔獣が……ですか?」
「あぁ、そうでさぁ。春に一回、婆さんがウチにも訪ねて来て、爺さんがお邪魔してませんかって聞かれて、事情を聞いたらそうだったんで……」
「お父さんが様子を見に行ってくれたんですけど、お家からは魔獣が居なくなってて、私の旦那も手伝って村中探したんですけど、廃屋や空っぽの蔵にも居なかったんですよ」
口籠る両親に代わって娘が付け加えた。
呪医セプテントリオーはそれを聞いて緊張を解いた。
「では、そのお婆さんは今、お一人で……?」
「いえ、それが……爺さんが帰った時、ウチに誰も居ないと困るからって、日がある内は探し歩いて、夕方にゃ帰ってたんですが、いつの間にか居なくなって……」
「息子さん夫婦んとこへ行っててくれればいいんですけど、ウチも何かと大変で、そこまでは確かめちゃいないんですよ」
農夫の妻が、他所の家庭を詮索する余裕などない、と言外ににじませ、娘夫婦と舅姑も頷いた。他にも数件、戻った農家はあるが、件の老夫婦とは関わらないようにしていると言う。
こんな状況では、仕方のないことなのだろう。
呪医セプテントリオーは彼らの心労を労った。
年配の農夫は、ぬるくなったお茶を啜って話題を変えた。
「呪医はこれからどうなさるんで?」
「昨日、グリャージ港の近くで警備の兵隊さんに会ったんですが、ゼルノー市の立入制限はまだ解除されないとのことでしたので、聖地へ行って難民の支援をしようと思っています」
「へぇ、そりゃまた、有難いこって……」
その後は、夕飯まで呪医が見てきたゼルノー市の様子や、アミトスチグマの難民キャンプのニュースなどについて語り、客間に泊めてもらった。
翌朝、呪医セプテントリオーは、畑へ出る農夫一家と共に家を出た。
「あれっ? 呪医、【跳躍】なさらないんで?」
「えぇ、聖地へ行ったのは半世紀の内乱前が最後なので山を越えて、ラクリマリス領の港から船で行こうと思っています」
呪医は農夫に驚いた顔で呼びとめられ、クブルム山脈へ足を向けた理由を半分だけ答えた。
「呪医は山ん中の街道をご存知なんで?」
「えぇ。クブルム街道ですよね? 王国軍の軍医だった頃、何度か通ったことがありますよ」
半世紀の内乱後、リストヴァー自治区周辺の街道には【跳躍】除けの結界が施されたと聞いたことがあるが、徒歩で通る分には問題なかろう。
農夫の一家が顔を綻ばせた。
「内乱の後、滅多に通るモンもなくなって、土砂と落ち葉で埋もれて、どこだかわかんなくなってたんですがね、この春、山菜やら採りに行くついでに掘り起こしたんですよ」
「腐葉土がいい感じで肥料になってくれましてねぇ」
農夫の妻が言うと、娘の舅が「一石三鳥だった」と笑う。
術で守られた街道がはっきりわかれば、道に迷わず、街道沿いの木の実や山菜、キノコなどを採るのも安全だ。力ある民が通ればその分、敷石や碑に施された【魔除け】などに魔力が補充され、より安全になる。
農夫の一家が気前よく食事と一晩の宿を提供してくれたのも、純粋な親切心からだけでなく、同じ理由だろう。
魔力の強い呪医セプテントリオーが滞在すれば、家に巡らされた【巣懸ける懸巣】学派の各種防護の術に魔力が行き渡るからだ。
勿論、呪医に恩を感じていることや、外部の誰かに話を聞いて欲しかったと言うのもあるだろう。
「河へ行って【操水】でいっぱい水汲んで、ぶわーっと押し流して、水に混ざった奴を休耕地に置いて、またぶわーっと……」
「ウチの男衆三人で頑張ってたら、近所の人たちも手伝ってくれましてね、みんなで道に生えた木を伐ったりなんかして、ちょっとずつキレイにして、山菜を分けあって、収穫まで頑張ったんですよ」
「そうだったんですか。お陰さまで私も楽に通れます。みなさん、色々とありがとうございました」
呪医セプテントリオーが笑顔を向けると、農夫の一家も口々に礼を言って別れた。
☆三軒向こうの家……「160.見知らぬ部屋」参照
☆身内はみんな他所へ避難して戻らない……「172.互いの身の上」参照
☆お家からは魔獣が居なくなって……「180.老人を見舞う」参照
☆グリャージ港の近くで警備の兵隊さんに会った/ゼルノー市の様子……「526.この程度の絆」~「530.隔てる高い壁」参照




