536.無防備な背中
魔装兵ルベルは、首都クレーヴェル郊外の基地で待機を命じられた。
あの夜、相棒のムラークを抱えて基地の正門まで【跳躍】した。
基地の敷地内には【跳躍】除けの結界がある。門番の小屋に駆け込み、内線で軍医を呼び出してもらった。
「おい、しっかりしろよ!」
携行品の傷薬をたっぷり塗るが、魔法薬は溢れ出る血液にすぐ流されてしまう。ついさっき【光の槍】の術を使って、自力で左右口の獣を倒したばかりなのに【灯】で照らされたムラークの顔からどんどん血の気が引いてゆく。
どうにかして止血しようと、ムラークの腹を押さえるルベルの手首を掴み、相棒は夜空を仰いで言った。
「ルベル……あの化け物を、止めろ。あれは……ダメだ」
「わかってる。わかってるよ。ムラーク、今、軍医を呼んだから、もうちょっとの辛抱だから……」
「魔哮砲……使っちゃ……なんだ」
「わかった。次の任務で一緒に止めよう」
「絶対……止めてくれ」
「わかった。わかったから……」
「止め……」
ムラークは、軍医の到着を待たずに息を引き取った。
確認した【青き片翼】学派の軍医は、ルベルの手首を握ったままのムラークの指をそっと離し、内線で【導く白蝶】学派の兵を呼んだ。
魔装兵ルベルは、相棒に別れを告げる暇も与えられず密議の間へ呼ばれたが、何をどう報告したか、記憶が定かではない。
左手首にはまだ、ムラークの手のぬくもりが残っているような気がした。
ムラークとは、魔哮砲捜索の特命を与えられてからの数カ月、作戦中に行動を共にしただけだ。出身地も何も、個人的なことは知らない。
ただ、ルベルが【索敵】する間、無防備な背中を任せられたあの安心感が、消えてしまった。
様々な防護の術で守られた兵舎の自室でベッドに横たわり、天井を眺めていても、背中が無防備な気がして落ち着かない。一睡もできないまま朝を迎え、朝食も昼食も食べず、ただ時間だけが過ぎていた。
相棒のムラークは、将軍の話を全く聞かされていないにも関わらず、状況と魔哮砲の様子から、ルベルが密議の間で聞かされた説明の矛盾に気付いていた。
……魔哮砲は、使っちゃダメなんだ。
昔の研究者が持て余して、厳重に封印したモノを起こしてはいけなかったのだ。
武闘派ゲリラが、アーテル空軍のアクイロー基地を襲撃したとの情報がもたらされて以来、空襲が止んでいる。
たった一カ所叩くだけで空襲を防げるなら、魔哮砲など使わず、最初から正規軍を投入しておけばよかったのだ。
長命人種の兵の中には、アーテル領に土地勘のある者も居る。ルベルたち魔装兵をアーテル領に送り込んでおけば、全てを奪われた民間人が、ゲリラ活動に身を投じ、折角助かった生命を粗末にすることなどなかった筈だ。
……将軍たちは、魔哮砲を実戦投入して、威力とか、確めてみたかったんだろうな。
そんなことの為に、どれだけの人生が踏みにじられたのか。
――人間相手にこう言う術、使いたくないんだけどな。
ツマーンの森でアーテル兵と戦闘になった時、ムラークのこぼした悲しいぼやきが、ルベルの胸に鮮やかに甦った。
魔哮砲が実戦配備されなければ、あのアーテル兵たちは、危険を冒してラクリマリス領に侵入しなくて済んだだろう。ツマーンの森が腥風樹に穢されることもなかった。この戦争とは関係ないラクリマリス人が避難生活を強いられることもなかった。
……何もかも、魔哮砲のせいじゃないか。
故郷の夏至祭の歌が何故、魔哮砲を止める制御符号と同じなのか。そんなことはもうどうでもよかった。
ルベルは身を起こし、この間、改めて教わった歌を今度こそ忘れないよう、手帳に控えた。はっきり覚えている部分は自信を持って書けたが、同じ旋律と似たような歌詞が繰り返し登場するせいで、あやふやな部分も多い。
……こんなコトなら、もっとちゃんと覚えとくんだった。
呼び戻されなければ、里謡調査の人と一緒に最後まで聞けただろう。確認しながら、手帳に書き留められただろう。途中になってしまったのが悔しかった。
ゆるやかな水の条
青琩の光 水脈を拓き 砂に新しい湖が生まれる
涙の湖に沈む乾きの龍 樫が巌に茂る
この祈り 珠に籠め
この命懸け 尽きぬ水に
涙湛え受け この湖に今でも
儀式の雰囲気に呑まれてみんなと一緒に何となく歌うのと、歌詞の意味をしっかり掴んで、憶えようとして耳を傾けるのとでは、全く違う。
悲しい誓いと涸れ果てぬ涙
乾き潤し 満ちる
思い出せないのがもどかしく、心の中で何度も同じ部分を繰り返して歌うが、先へ進めなかった。
やっと「安らかに眠るがいい」と言う部分を思い出したが、どの辺りだったかまではわからない上、ペンを持つ手が震えて書けない。
ルベルは手帳を閉じ、ベッドに戻った。大きな身体を胎児のように丸め、毛布を頭から被る。
魔装兵には独身でも個室が与えられているが、力なき民の兵は四人部屋で、個人に与えられるスペースは二段ベッドの寝床の分だけだ。
一人静かに過ごせることをこんなに有難いと思ったのは初めてだった。昨夜は長時間、森の中を駆けずり回って身体は疲れ切っている筈なのに、神経が昂ぶって眠れない。
将軍たちが密議の間で語った魔哮砲の説明には、幾つも矛盾があった。【制約】で口外を禁じてなお、ルベルがあのアーテル兵たちのように【鵠しき燭台】に掛けられることを恐れるからなのか。研究資料を読み誤ったからなのか。封印を解いた後、何か手を加えたせいで魔哮砲が変質してしまったからなのか。
矛盾が、嘘によって生じたのか、本物の“間違い”なのかさえわからない。
いずれにせよ、将軍たちの言葉を鵜呑みにしてはならないのだ、と肝に銘じた。最高指揮官を信じられなくなったルベルは、軍人としてはもう終わりだ。軍人……強い魔力と特殊技能を持つ魔装兵は特に、どんな命令であっても一切の疑問を挟まず、上意下達で与えられた命令を遂行できなければならない。
……あぁ、これ、挽歌なんだ。
うろ覚えの歌詞に「棺」と言う言葉があったことを思い出し、ルベルの目尻から雫がこぼれた。
ラキュス湖の創造神話をそのままなぞっているが、曲は哀調を帯び、夏至とはまったく無関係だ。子供心に、なんでこんな夏らしくない陰気な歌を歌わされるんだろう、と納得がゆかず、覚える気になれなかったのだ。
ルベルは神々を敬い、感謝はしているが、神話についてそれ程熱心に学んでいない。旱魃の龍との戦いに決着がついたのがどの季節だったかまでは知らなかった。
……当時はカラカラに乾いて、季節を感じられなかったのかもしれないけど。
歌詞に「樫」が含まれると言うことは、村長たちの言う通り、割と歴史が浅いのだろう。
数千年前、三界の魔物がラキュス湖地方にも押し寄せた。
理由は伝えられていないが、その戦いの中でフラクシヌス教の信仰の危機が訪れた。主神フラクシヌスの化身である秦皮の大樹が枯れ、ラキュス湖の水位も下がってしまった。
乾きの恐怖を思い出した人々は信仰心を取り戻し、枯れた秦皮の代わりに樫を植えた。
千年余りに亘る激戦の末、三界の魔物の最後の一体が湖北地方に封印された。その年が封印暦……印暦紀元元年だ。
ルベルのようにぬるい信仰心しか持ち合わせていない一般の信者は、樫も秦皮も一緒くたに「フラクシヌス様」として信心している。印暦紀元後にできた祭の名は「樫祭」だ。
神話についてきちんと調べて書いたなら、新しく植えられた「樫」ではなく、主神が化した元の「秦皮」を謳う筈だ。作詞者は、聖職者や熱心な信者ではないのだろう。
……別に、いつのどんな歌でもいいや。あれを止められるんなら。
気持ちを落ちつけようと、なるべく任務とは関係のないことを考えようと努めたが、何を考えても最後には、魔哮砲のことに戻ってしまう。
故郷のアサエート村には電話がなかった。
もう一度帰って夏至祭の歌を聞きたかったが、待機を命じられた身ではそんな勝手は許されない。
あの里謡調査員は、何の団体に所属していると言っていただろう。【歌う鷦鷯】学派のソプラノ歌手本人の呼称「オラトリックス」は手帳に控えたが、ルベルたち親子は話の途中で加わったので、団体名までは聞いていなかった。
……ラジオ……? 前線で戦う兵と、故郷を離れた人たちを励ます為に、あちこちの里謡を調べてるって言ってたよな?
父が聞いたと言う調査目的を思い出した瞬間、ルベルは跳ね起きた。どこの局の何と言う番組なのか聞いていないが、ラジオとインターネットで里謡を流すと言っていた。
二月以来、国営ラジオは戦時特別態勢だ。通常のニュースの他は戦況、避難情報、生活情報、安否情報が中心になっている。いつもの番組は魔法講座と共通語会話くらいしかしていない。
国営ラジオではないだろう。国内のAMの民放は二局だけだ。
ルベルは私物のラジオを点け、選局のツマミを回す。
……明日、売店で新聞買ってラジオ欄を確かめよう。
することがみつかり、ルベルは少し生気を取り戻してラジオの声に耳を傾けた。
☆ツマーンの森でアーテル兵と戦闘になった時……「488.敵軍との交戦」参照
☆この間、改めて教わった……「506.アサエート村」~「508.夏至祭の里謡」参照




