533.身を守る手段
先に食堂の獅子屋に着いたクルィーロたちは、頼んでいた保存食を受け取って荷物を整理し直した後、ケーキとお茶のセットを注文してレノたちを待った。
妹のアマナたちが、久し振りの生クリームたっぷりの甘いお菓子に瞳を輝かせてはしゃぐ。
手の込んだ甘いお菓子の存在は、ここが安全で、余裕がある証拠だ。
ドーシチ市を出てからは、二度と食べられないような気がしていた。
夢のようなひとときに、今がどんな状況か忘れてしまいそうになる。
クルィーロは、さっきトラックを容れられる大容量の【無尽袋】と共に呪符屋から受け取ったバイト代を思い出し、気を引き締めた。
店番と素材の下拵えなどの対価として店主がくれたのは【魔滅符】十枚と【魔除け】の呪符十枚、それに【魔滅】の効果を持った【祓魔の矢】三本だ。
「この矢は、魔力を籠めて放てば呪文を唱えなくても【魔滅】の術が発動する。ま、当たればのハナシだがな」
手渡された三本の矢を見詰め、クルィーロは困惑を脇に押しやって礼を言う。呪符屋の店主ゲンティウスはニヤリと笑って説明を続けた。
「弓なしでどうすんだってツラだな? まぁ聞け。要は化け物どもに刺さりゃいいんだ。【操水】や【風の矢】に乗せてぶっ放しゃいい。下手な弓よりよく当たるさ」
「あっ……!」
「それとね、ここんとこに紐を括りつけとけば、回収が楽よ。使い減りしない武器だから、大事になさい」
傍で聞いていた運び屋フィアールカが、便利な使い方を教えてくれた。
全体が銀でできた【祓魔の矢】は、鏃には細かい字で力ある言葉が刻み込まれ、その反対側の端にある矢筈には針のように穴が開いていた。
扱いが難しい【急降下する鷲】学派の術が、使い慣れた【操水】で発動できると言うのは大きい。【魔滅】は素手や手にした武器に魔力を纏わせ、魔物や魔獣に叩きつけて発動させる術だ。呪符も同様で、呪文を唱えて手に握った状態で魔物などを殴らなければならない。当たれば強力らしいが、クルィーロには魔物や魔獣相手に拳で戦う勇気はなかった。
その点、飛び道具なら、クルィーロの魔力では倒せないまでも、怯ませて逃げる時間を少しでも稼げそうだった。
宿に居る間、薬師アウェッラーナに呪文を書いてもらい、【跳躍】を覚えた。
地下街チェルノクニージニク全体に【跳躍】除けの結界が施されているらしく、まだ実際には跳んでいないが、カンペなしでも呪文を唱えられるようになったのは心強い。
……ネモラリス島はともかく、ネーニア島は魔物とか増えてそうだもんなぁ。
クルィーロは、仕事の対価として身を守る手段を与えてくれた呪符屋の店主に、改めて感謝した。
ファーキルがタブレット端末を片手に眉を顰める。
「どうしたんだ?」
「えっ、あっ、あのっ、ラゾールニクさんから連絡があって、呪医どこ行ったか知らない? って……」
「拠点に居ないってコト?」
「はい。今朝、ラゾールニクさんが行ったけど、お留守で、残ってたジャーニトルさんに聞いたけど知らないって言われたそうです。葬儀屋さんも呪医とは別にどっか行っちゃったそうです」
「そうなんだ……どこ行ったんだろうな」
……やっぱ、あんな奴らとは一緒に居られなくなって、縁切ってくれたのかな?
クルィーロは何とも言えない気持ちでお茶を飲み、こっそり針子のアミエーラを窺った。薬師アウェッラーナと話していて、今の遣り取りを聞いていないようだ。そんなことにホッとした自分がイヤになる。
呪医があんな奴らを治さなければ、彼女はあんな恐ろしい目に遭わずに済んだ。
こんなものは見当違いな八つ当たりでしかない。
頭では分かっていても、気持ちは落ち着かない。
……呪医は、自分の仕事をしただけなんだ。呪医が治した奴がその後、良いコトしようと、悪いコトしようと、呪医のせいじゃない。
クルィーロは自分に言い聞かせながらケーキを頬張った。
みんながケーキを食べ終わる頃、レノたちが獅子屋に入ってきた。
「お兄ちゃん、こっちこっち!」
エランティスが、トレンチコートを着たレノを呼ぶ。ピナティフィダは隣に座った兄を気遣った。
「お兄ちゃん……それ、暑くない?」
「ちょっと暑いけど、手に持ったり荷物に入れたりしたら嵩張るだろ?」
「まぁ、そうだけど……でも……」
「もう大分、涼しくなったし、熱中症になる程じゃないと思うから、大丈夫だよ」
レノが笑顔で言い、コートを着た星の道義勇軍の三人も頷いた。
少年兵モーフ一人がケーキを注文し、他はお茶だけ注文する。
「さて、準備が整ったところで、今から行く王都のコト、説明するわね」
湖の民の運び屋フィアールカがみんなを見回す。
クルィーロたちは神妙に頷き、少年兵モーフはケーキで頬を膨らませてこくこく頷いた。
「みんなも知ってると思うけど、王都ラクリマリスは、フラクシヌス教の中心地よ。大神殿には主神フラクシヌスの秦皮……今は代わりの樫なんだけど、何せ、すっごい大木があるから、王都のどこに行っても目印になってくれるわ。迷子になったら取敢えず、大神殿を集合場所になさい」
「船会社のサイトを見たら、出航は明後日ってなってましたけど……」
ファーキルが心配してくれる。
王都に着けば、彼とはそこでお分かれだ。最後までネモラリス人のみんなを気遣ってくれるラクリマリス人の少年のやさしさに、クルィーロは胸の奥が熱くなった。
「宿の手配は済ませてあるわ。出航までそこに泊まって。船の券も用意しといたから」
「何から何まで、すみません」
レノが店長として、みんなを代表して礼を言うと、フィアールカは乗船券を配りながらにっこり笑った。
「お安いご用……と言うか、まだまだお釣りがあるのよねぇ」
「お釣り、物じゃダメなんですか?」
「全部サファイアに換えてもらったのよね。あなたたちじゃ使いこなせないし、持ってるのは危ないんじゃないかしら?」
サファイアは【魔力の水晶】よりもずっとたくさんの魔力を蓄積できるが、充填にはかなり強力な魔力が必要だ。そんじょそこらの力ある民では、小粒でも充填に何カ月も掛かる。
勿論、クルィーロのように魔力の弱い者では出力が足りず、そもそも充填できない。薬師アウェッラーナでもできるかどうか微妙なところだ。
……フィアールカさんは、使いこなせるんだな。
移動販売店の十人を連れて一度に【跳躍】したことを思い出し、クルィーロは改めて湖の民の運び屋の凄さと、自分の弱さを思った。
長命人種のフィアールカは、半世紀の内乱を生き延び、クルィーロよりずっと長い時間、魔法の修行を積んでいる。比べること自体、失礼なくらい差があった。
エランティスが無邪気に聞く。
「危ないって、どうして?」
「大きな魔力の塊を持ってると、この世に出てきた魔物とかを呼び寄せちゃうからよ」
サファイアのように高価な宝石など見たこともない庶民の子は、驚いた顔で兄を見た。パン屋の長男レノは、静かな声で付け加える。
「俺たちは、戦う力も身を守る力も殆ど持ってない。人間の強盗とかにも狙われるかもしんないから、あんまり高価な物は持たない方がいいんだよ」
ドーシチ市の商業組合長やアウセラートルのように、魔法でがっちり守られた屋敷で大勢の使用人に囲まれ、本人も強い魔力を持っているのでなければ、宝石類は危険物でしかない。
大した力を持たない庶民のクルィーロたちには、【魔力の水晶】だけで精一杯なのだ。
フィアールカが明るい声で言った。
「それでね、お釣りなんだけど、王都に居る間、何かあったら呼んでくれていいわ。私、湖の女神の神殿で顔が利くの。神官に伝言してくれれば、すぐ駆け付けるからね」
二日間、宿に閉じ籠っていれば何事もなさそうだが、その気持ちが嬉しかった。
「ありがとうございます」
みんな同じ気持ちなのか、声が揃った。
☆【祓魔の矢】……「413.飛び道具の案」参照
☆ラゾールニクさんから連絡があって、呪医どこ行ったか知らない?……「531.その歌を心に」参照
☆移動販売店の十人を連れて一度に【跳躍】した……「479.千年茸の価値」「491.安らげない街」参照




