532.出発の荷造り
レノたちは、地下街チェルノクニージニクの駐車場で、出発の準備をしていた。
ネモラリス島に着くまで使わなさそうな物をトラックの荷台に積み、ラクリマリスで船を待つ間に使いそうな物は各の鞄や袋に詰め込む。加工しきれなかった素材や小麦粉、油、蔓草細工などは荷台へ。着替えや加工済みの魔法薬、食器や調理器具、すぐに食べられる保存食の一部は手荷物に入れた。
「荷造り終わった? じゃあ、入れるわよ? 忘れ物、ないわね?」
運び屋フィアールカが念を押す。
「あ、待って下さいッ! ナンバー、元に戻さないと!」
クルィーロが慌てて叫び、手帳程の大きさの巾着袋の口を開いたフィアールカを止める。
……そうだ。アーテルのナンバーに付け替えたんだ。
荷物に気を取られ、失念していた迂闊さにレノは歯噛みする。クルィーロが気付いてくれなければ、ネモラリス島に着いてから大変なことになるところだった。
荷台から工具とネモラリスのナンバープレートを降ろし、クルィーロの作業を手伝う。
「ありがとう、クルィーロ。助かったよ」
「何言ってんだ。俺たち運命共同体じゃないか」
器用な手つきで偽造ナンバーを外しながら、クルィーロが微笑む。
……星の道義勇軍の人たちもそうなんだよなぁ。
改めて言われたレノは複雑な気持ちになり、何も言えずに黙々と作業を手伝った。
「これ、持ってるだけでもヤバそうなんで、処分お願いしてもいいですか?」
「お安い御用よ。また何かの時に使わせてもらうから」
レノがアーテル共和国の偽造ナンバーを手渡すと、湖の民の運び屋フィアールカは、いたずらっぽく笑って受け取った。
改めてメドヴェージが荷台の扉をしっかり施錠し、薬師アウェッラーナとクルィーロが【鍵】を掛ける。
「じゃ、今度こそ容れるからねー」
フィアールカは口を広げた【無尽袋】を手に、運転席の傍らに立った。赤い糸で呪文を刺繍された【無尽袋】は、主に貿易会社で使われる大容量のものだ。この赤い染料は火の雄牛の角から作られた物で、この為にソルニャーク隊長と薬師アウェッラーナは危険な目に遭った。
だが、お陰でやっとネモラリスに帰れる。幾ら感謝しても足りない。
フィアールカが袋の口をサイドミラーに押し当てると、地下駐車場の風景がぐにゃりと歪んだ。四トントラックが排水口に吸い込まれる水のように渦を巻きながら、小さな袋に吸い込まれる。
ほんの数秒で、地下街チェルノクニージニクの駐車場から移動販売店のトラックが消えた。
「はい、一丁上がり。これ、出す時は広いとこで口を緩めて袋を逆さにして振ってね」
「お、おう。わかった。ありがとよ。これ、使い捨てだから、出すのはネーニア島に戻ってから……だったよな」
メドヴェージが掌に収まる袋を受け取り、重々しく呟いた。
移動販売店プラエテルミッサの一行は、魔法の道具屋“郭公の巣”へ行った。
全員は入れないので、代表して店長のレノと蔓草細工のソルニャーク隊長、針子のアミエーラが入り、他は通路で待ってもらう。
「妹たちがお世話になりまして、ありがとうございました」
「いいのよぉ、これくらい。こっちが助けてもらっちゃったんだから。まさか、たった二人で全部仕上げてくれるなんて思ってなかったから、びっくりしたわぁ」
店主のクロエーニィエはいつも通り、可愛らしいエプロンドレス姿だ。野太い声で礼を言われ、針子のアミエーラが恐縮する。ごつい手がカウンター越しに布鞄を寄越し、受け取ったソルニャーク隊長が丁重に礼を言った。
「じゃ、それ、縫製と蔓草細工、まとめてで申し訳ないんだけど、報酬よ。袋は軽くする術を掛けてあるから、重い物もラクに運べるわ。大事にしてね」
「いいのですか? こんな大量に?」
中身を掴み出し、ソルニャーク隊長が困惑する。
色とりどりの【護りのリボン】が何十本も入っていた。
「いいのよ。クルィーロさんに見せてもらったマントで閃いて、新しい作り方でいっぱい作ったから、前のは思い切って全部あげちゃう。あ、前のも全然ダメってコトないから、あなたたち自身は使えなくても、交換品としては充分通用するから、心配しないで」
「恐れ入ります」
ソルニャーク隊長が深々と頭を下げ、レノとアミエーラも彼に倣った。
クロエーニィエはにっこり笑って手を振る。
「あぁ、そんな気にしないで。二人が大量注文の縫製みんな引き受けてくれたお蔭で、私はこっちの作業に専念できて、商品を入れ替えられたんだし。蔓草細工もいっぱい作ってくれてありがとね。私じゃあんな立派なの作れないから」
「えっと、色々ありがとうございました」
「もし、呪医にお会いすることがありましたら、よろしくお伝え下さい」
レノとソルニャーク隊長が改めて礼を言うと、クロエーニィエは首を傾げた。
「あら、セプテントリオー呪医は一緒に行かないの?」
「呪医は……拠点に残ってます」
「そうなの? てっきり一緒だとばっかり思ってたわ」
クロエーニィエは心底、意外そうな顔をしたが、それ以上言わず、笑顔で三人を送り出した。
「これは、そちらで適宜、分配してくれ」
郭公の巣を出て地下街のレンガ敷きの通路を少し行くと、レノはソルニャーク隊長に布鞄を渡された。
「いいんですか?」
「構わん。我々には無用の物ばかりだ」
アミエーラとメドヴェージ、少年兵モーフにも頷かれ、レノは仕方なしに受け取った。
……ちょっと触るのは良くても、ずっと……財産として魔法の道具を持ってるのはダメなのか。
キルクルス教徒の四人の心情を思い、レノは代替案を出した。
「じゃあ、後で塩とか保存食とか分け直しましょう」
「お兄ちゃん、これから寒くなるし、今の内に冬物のちゃんとした服と交換した方がいいんじゃないかな?」
ピナティフィダが指差した店を見ると、魔法の掛かっていない普通の服屋らしく、季節を先取りした秋冬物が売りに出されていた。
元々ちゃんとした服を着ていたみんなは大荷物だ。ネーニア島に戻れるのがいつになるかわからず、冬服をトラックの荷台に積んだままにしておくのは心配だった。
「俺はこれがあるから大丈夫だ。レノ、自分の分、忘れんなよ」
「あ……う、うん」
Tシャツの上から魔法のマントを羽織ったクルィーロに言われ、パン屋の店番中に命からがら避難したレノは、公園で明かした夜の寒さを思い出した。
……言われるまですっかり忘れてたなんて。
モールニヤ市で交換品としてもらった古着は、どれもレノにはサイズが合わなかったので他の物に交換してしまった。
ソルニャーク隊長たち星の道義勇軍は、元の服があまりにもボロボロだったので、ファーキルがくれたトレーナーや交換品でもらった古着を残し、元の服は捨てている。
これまで通ったラクリマリス領は魔法使いが多い街で、コートなどの防寒着は手に入らず、ランテルナ島の拠点でピナたちが作ったのは夏服だ。このままリストヴァー自治区に帰ったのでは凍えてしまうだろう。
「じゃあ、冬服持ってるコたちは先に獅子屋に行っててもらっていいわね?」
レノは、運び屋フィアールカに大荷物の集団が店先に居ては邪魔だとやんわり指摘され、慌てて言った。
「クルィーロ、すまないけど、ピナとティスを先に獅子屋さんに連れてってくれないか?」
「わかった。おやつ食べて待ってるよ」
獅子屋には保存食の追加を頼んである。
昼食から時間は経っているが、夕飯にはまだ早い。【無尽袋】を受け取ったのは中途半端な時間だった。
残ったのは、レノと星の道義勇軍の三人と、湖の民の運び屋フィアールカの五人だ。
レノの耳元でこっそり囁く。
「ぼったくられないように、ついててあげる」
「ありがとうございます」
レノは小声で礼を言い、店頭に並べられたコートなどを見た。
……イザと言う時、布団や毛布の代わりになるから、丈は長い方がいいよな。それと、【魔力の水晶】とか入れるのにポケットがなきゃ話になんない。
薄手のダウンコートは軽くて暖かくて大きなポケットもついていた。レノがこれにしようと手に取った瞬間、空襲でバスが横転した時の衝撃が頭の中でチラついた。
ハンガーに戻し、毛織のコートを手に取る。厚い生地はずっしりとした重量で、魔法がなくてもある程度の衝撃から守ってくれそうな頼もしさがある。この厚さなら、ガラス片からも守られるだろう。だが、これにはポケットがなかった。
「坊主、これにしとけよ、これ」
「俺が着たら、下、引きずるだろ。おっさんが着ろよ」
メドヴェージは厚手のトレンチコートをモーフに差し出していた。本人の言う通り、小柄な少年が着たのでは裾を踏んで転びそうだ。
「後で針子の姐ちゃんに裾詰めてもらやぁいいじゃねぇか」
「何でもかんでもねーちゃんにやらそうとすんなよ」
「じゃあ坊主、自分でできんのか?」
「いや、そりゃ、ムリだけどよ……」
フィアールカが、イヤそうに横を向いた少年兵モーフの背中に中途半端な丈のコートを当てた。
緑色のコートはモーフの膝くらいの丈だ。生地はやや厚く、フードと胸ポケットまでついている。
「おっ、流石だなぁ。やっぱこういうのは女の人の方が目が確かだ」
メドヴェージが笑う向こうでソルニャーク隊長も頷き、モーフの服はそれで決まった。
レノは裏地が付け外しできるトレンチコート、メドヴェージはさっきモーフにと言ったトレンチコート、ソルニャーク隊長はモーフの物より丈の長いフード付きのコートに決める。
「えっと、支払いは【護りのリボン】があるんですけど、この四着で何本ですか?」
「三本ずつ、全部で十二本だ」
服屋の店長がレノを一瞥して無愛想に言うと、運び屋フィアールカが口を挟んだ。
「あら、随分じゃない。何の術も仕込んでない素のコートでそんなにするワケないでしょ。一本ずつで四本よ」
「そんなワケあるか。このテの服は島じゃ需要が低いから職人に頼んだら割高になるし、本土から取り寄せりゃ、安モンでもべらぼうな税金掛けられんだぞ?」
レノにはここの相場がわからないので、そう言うものかと納得しかけたが、地元民のフィアールカは引き下がらなかった。
「あっ、安物だって白状したわね。ホラ、見なさいよ。フードんとこ、糸がほつれてんでしょ。こんなの高いワケないもんねぇ?」
「姐さん、俺に税金の分、泣けってんですかい?」
陸の民の店長は、ソルニャーク隊長が選んだコートのフードからちょろりと出た糸から目を逸らし、泣き落としに掛かった。
「えっと、あのー、じゃあ、間をとって二本ずつ……とか、どうでしょう?」
支払い用の【護りのリボン】が入った鞄を持つレノが恐る恐る言うと、店主が瞳を輝かせ、フィアールカには黙っていろとばかりに睨まれた。
「兄ちゃん、話せるじゃねぇか。そうだよな。大負けにマケて、十本でどうだ?」
店主の言い値からは下がっているが、レノの言い値よりも高い。与しやすいと甘く見られたのだと気付き、レノは首を横に振った。
「これねぇ、クロエーニィエのリボンなのよ。ホントならこんな安物と交換できる代物じゃないのよー」
「ホントかよ?」
「嘘だと思うんなら、後で本人に聞いてみればいいでしょ」
結局、【護りのリボン】を一種類ずつ五本と交換することで落ち着き、レノたちは服屋を後にした。
今はまだ暑いが、嵩張るので着て行くことにする。地下街チェルノクニージニクは術で温度管理され、コートはやはり暑く、獅子屋に着く頃にはうっすら汗ばんでいた。
地上は風があるから、最悪、ラクリマリスで野宿する羽目になってもこれがあれば安心だ。
☆呪医は一緒に行かないの?……「471.信用できぬ者」「472.居られぬ場所」参照
☆クルィーロさんに見せてもらったマント……「446.職人とマント」「447.元騎士の身体」参照
☆公園で明かした夜の寒さ……「047.児童公園の夜」参照
☆空襲でバスが横転した時……「055.最終バスの客」参照




