531.その歌を心に
アーテル領から戻ったラゾールニクがタブレット端末を指で撫で、動画の下についたコメント欄を表示させる。
アミトスチグマの支援者宅の一室に集まった面々は、卓上に置かれた小さな画面を覗きこんだ。野次や罵倒のコメントもあるが、それには他の閲覧者から批難のコメントがその何倍もついて、表示が画面の下方へ押し流される。
アルキオーネたち“瞬く星っ娘”改め“平和の花束”の歌は、概ね好評だった。
「今までより動画の再生数が多いってどう言うコト?」
タイゲタが、ずり下がった眼鏡を指で押し上げ、首を傾げる。瞬く星っ娘の所属事務所などからは特に働きかけはなく、権利者による動画の削除もされていなかった。
「理由は何個かあるよ。まず、曲に宗教色がないから、今まで避けてた人たちが視聴するようになったのが、ひとつ。それと……」
「コンサートでの引退宣言後、アーテルから行方不明になり、元々のファンが心配しておったところ、無事な姿が見られたからだろう」
ラゾールニクの視線を受け、ラクエウス議員が言うと、リーダーのアルキオーネが異を唱えた。
「アーテルは検閲が厳しくて、国内からはユアキャストにアクセスできないんです。私たち自身、バルバツムとか海外遠征に行った時くらいしか見られなかったのに、どうしてこんな……短期間で何十倍も差が出るんですか?」
黒髪の少女の勝気な瞳に悔しさが滲む。
……今まで信仰の曲を歌い続けておったから、否定された気分になっておるのだろうな。
教団の二重規範にイヤ気が差し、キルクルス教の信仰を捨ててアミトスチグマに逃れてきたとは言え、過去の自分を完全に捨て去るのは難しい。
彼女らはまだ、フラクシヌス教に改宗しておらず、何の神も信じられないでいた。その寄る辺なさや異教の地で実質的に軟禁状態に置かれて暮らす心細さで、彼女らの心は全く落ち着かない。
ラクエウス議員は、アルキオーネたち元アイドルの少女四人の複雑な心境を慮ったが、掛ける言葉がみつからず、慰めのひとつも口にできなかった。
「アーテル人も、アルトン・ガザ大陸のどこかの国に仕事とか留学とか何かの用事で行くだろうけど、君たちには外国人にも大勢ファンがいるんだろ?」
「えぇ、それはまぁ、居ますけど……」
ラゾールニクが言うとアルキオーネは口籠って隣に座るエレクトラと視線を交わした。
「アルキオーネちゃん、コンサートで爆弾発言して行方不明、外国で新ユニット組んで復活して、ちょっと前から話題になってた曲をカバーして、これでもかってくらい燃料投下したのよ? アクセス稼げないワケないじゃない」
エレクトラの冷静な分析に、リーダーのアルキオーネが渋々頷く。
意外に思ったが、ラクエウス議員は黙って様子を見守った。
呪文が染織された分厚いカーテンの向こうはすっかり夜だ。
今日はオラトリックスの報告もある為、元アイドルの少女たちも夕飯後の報告会に残した。今夜はアミトスチグマに逃れて以来初めて、四人揃って同じ家に泊まる。
先程戻ったばかりのラゾールニクは、疲れた顔で状況を語った。
「こんなカンジで俺の動画拡散と、別働隊の風説の流布は割と順調に行ったんですけど、呪医とは入れ違いになって会えませんでした」
「入れ違い?」
「はい。残ってた魔法戦士のジャーニトルさんの話じゃ、朝早くに拠点を出たそうで行き先は知らないそうです。葬儀屋さんもどっか行ったそうで……多分、仲間割れって言うか、まぁ、武闘派の連中とは気が合いそうにない人たちでしたからねぇ」
その誰とも面識のないラクエウス議員は、何とも言えない気持ちになった。
アサコール党首が、明るい声で空気を変える。
「君たちの生活費は当分、動画の広告収入で賄えそうだ。振込がされたら、街へ買物に連れて行ってあげよう」
「但し、危ないから君たちだけで行っちゃダメだ」
ラゾールニクがすかさず釘を刺すと、少女たちの明るい笑顔が一瞬で萎んだ。
「動画を通して君たちの顔は知れ渡ってる。この戦争でアーテル人を快く思わない人が増えてるんだ」
「どうしてですか? 私たちはアーテルを捨てたし、アミトスチグマは関係ないのに……?」
アステローペが上目遣いにラゾールニクを窺う。
「湖上封鎖で物価が上がって、漁船の操業や人の行き来も制限されたし、ネモラリス難民の流入とかもあって、市民の生活が圧迫されてるんだ」
「それ全部、アーテルがネモラリスに戦争を吹っ掛けたせいだから……ですか?」
アルキオーネが地を這うような声で言い、アステローペがびくりと身を竦めた。
ラゾールニクが苦笑いで肯定する。
「よくわかってんじゃないか。君たちは、アーテル人に人気のアイドルで、力なき民で、可愛い女の子だ。これがどう言うコトかわかるかい?」
「アーテルを憎んでる魔法使いに攫われて、殺されるってコトですか?」
四人は顔色を失い、アルキオーネが悔しそうに言って唇を噛む。
ラゾールニクは、甘いな、と聞えよがしに呟き、表情を改めて告げた。
「その程度で済めばまだいい方さ。君たちに【扉】の術を掛けてアーテルに送り返して、術者が鍵を開けたら、君たちの身体は幽界と、この物質界を繋ぐ門になって魔物を大量に流入させて……まぁ、【扉】にされた人は鍵が開いた瞬間、身体が引き裂かれて死ぬんだけど……後始末が大変だ」
少女たちは息を呑み、肩を震わせた。
アサコール党首が取り成すように明るい声で言う。
「この街は術で守られているが、何かの弾みで幽界と繋がって、魔物が迷い込むことが全くないワケではない。勿論、警備兵や自警団も巡回しているがね。君たちの身の安全の為、護衛は必要なんだよ」
「だが、その方面の人手が足りておらんのでな。外出は一人ずつになる」
ラクエウス議員が言い添えると、四人は怯えて蒼白な顔で小さく頷いた。
「それで、集まった歌詞なのですけれど、ひとつ気になることがありまして……」
ソプラノ歌手のオラトリックスが、インターネットで寄せられた歌詞の案を印刷した紙束とは別に、封筒から紙を取り出した。「女神の涙」との題で長い歌詞が手書きされている。
「私、この間から里謡調査であちこち回っておりましたでしょう」
「これも、どこかの里謡ですかな?」
ラクエウス議員が聞くと、年配のソプラノ歌手は緊張した面持ちで頷いた。
「ネモラリス島の北東部ウーガリ山中にあるアサエート村と言う小さな集落です。クラピーフニクさんの支持者の方のご紹介で行って参りましたの」
聴いていただいた方が早いですから、と年配のソプラノ歌手オラトリックスは立ち上がり、白壁の広い部屋に朗々と美声を響かせた。
ゆるやかな水の条
青琩の光 水脈を拓き 砂に新しい湖が生まれる
涙の湖に沈む乾きの龍 樫が巌に茂る
この祈り 珠に籠め
この命懸け 尽きぬ水に
涙湛え受け この湖に今でも
悲しい誓いと涸れ果てぬ涙
乾き潤し 満ちる
二度とは帰らない 悲しみの風 草を埋めた砂漠
安らかに眠るがいい 共に手を取り合って
同じ花を咲かせた友よ ここに
清らかな水の青
すべて ひとしい 花をひとつ 珠は三人の魂の緒を糾う
悲しい誓いと涸れ果てぬ涙
水を湛える棺
これから共に護る ひとつの花 道が開ける朝
乾きを封じ込む鎖となって
共に 咲かせよう ひとつのこの花を
誰もが、その旋律に息を呑んだ。ラクエウス議員は歌詞の紙とオラトリックスの顔を交互に見て、その歌を心に刻んだ。
☆呪医とは入れ違いになって会えませんでした……「526.この程度の絆」参照
☆里謡調査……「506.アサエート村」「507.情報の過疎地」「508.夏至祭の里謡」参照
☆誰もが、その旋律に息を呑んだ……「253.中庭の独奏会」参照




