529.引継ぎがない
呪医セプテントリオーは少し話題を変えた。
「文字や音声だけでなく、写真や映像も瞬時に遣り取りできるんです。回線網の中に映画館のような場所があって、そこに難民の子らが歌う映像を支援者の方が置いたところ、ほんの数日で世界中の百万人以上の人たちがそれを視聴して、寄付などをして下さったそうです」
「アーテルだけじゃなくて、ネモラリス人も、外国に逃げられた人たちはそいつで助かってるんですね?」
戸口に立つ若い兵が姿勢を正して質問した。
「そうです。湖南経済新聞の本社はアミトスチグマにあって、新聞紙面だけではなく、インターネットも使って呼掛け、寄付や支援の人手を集めてくれました」
ラクリマリス島で切抜いた新聞記事を思い起こしながら語ると、兵たちの表情が僅かに明るくなった。
呪医セプテントリオーは順序を慎重に組み直し、反応を見ながら情報を小出しにする。
「ラクリマリスは、巡礼者用にインターネットの通信設備を用意していて、私はラクリマリス人の支援者に見せていただきました。ネモラリスとラクリマリスを行き来して活動なさる方々も少なくありません」
「そう言う人をみつけて伝言を頼んだら、アミトスチグマの支援者に伝わって、難民キャンプに居る俺の身内にも伝わるかもってこってすかい? そんな都合よく行きますかねぇ?」
半笑いで聞く伍長の声は、微かに震えていた。
「必ず伝わる保証はありませんが、全く望みがないワケではありませんよ」
「まぁ、手段があるってわかっただけでも、ちっと気持ちが楽になりましたよ。呪医、ありがとうございます」
伍長が目を潤ませて礼を言う。その言葉で、呪医は連絡手段のひとつとして語ることを思いついた。
「みなさんは、首都の議員宿舎襲撃事件をご存知ですか?」
「あぁ、国会議員のセンセイ方が何人も殺されて、未だに大勢、行方不明ですよ」
途端に兵たちの表情が引き締まった。
「行方不明者の何人かは、ネモラリスに留まっていると襲撃者に殺されかねないので、国外へ逃れています」
「ホントですかいッ! 呪医、議員さんにお会いになったんで?」
「直接は、会っていません。アミトスチグマの難民キャンプを現地の政治家や政府職員、ボランティア団体などと一緒に視察する様子をインターネットの動画で見ましたよ」
「どの党のセンセイか、わかりますかい?」
「さぁ……? 陸の民の議員さんが何人か居ましたが、私は湖の民なので、ちょっと……」
呪医セプテントリオーは、この件に関してネモラリス国内の地元紙は勿論、湖南経済新聞の記事が出回っていないらしいことに気付き、党名などを伏せて答えた。
伍長から鋭い質問が飛ぶ。
「それで、なんでネモラリスの議員だって思ったんですかい?」
「新聞に出ていたからですよ。視察の様子を収めた写真も載っていましたから、間違いないでしょう」
「それも、湖南経済に?」
「はい。湖南経済新聞が、インターネット上にその映像を出していたんです。ですから、その議員さんと一緒に居たボランティア団体の方にお願いすれば、難民キャンプへ【跳躍】するついでに、手紙を届けてくれるかもしれません」
「新聞記者に頼んでみるのもアリか……」
伍長が独り言のように言い、他の兵たちはそれぞれの伝手に思いを巡らすような顔で黙っている。
……ネモラリスに残った両輪の軸党の方々に迷惑が掛からなければいいのだが。
呪医セプテントリオーは、伍長の追及の仕方が心に引っ掛かった。先程までの家族を案じる個人のものとは明らかに空気が違う。情報の出し方を誤ったか、と臍を噛んだが、一度口から出した言葉は取り返せない。
呪医セプテントリオーが兵たちの反応を観察していると、軍服姿の伍長が私人の顔に戻って聞いた。
「呪医の身内の方はご無事ですかい?」
「いえ、半世紀の内乱中に……他の街で働いていた私一人が残されました」
「あっ! こりゃとんだことを……」
「いえ、お気になさらないで下さい。先程、自治区ばかり贔屓にしているとおっしゃっていましたが、あちらは今、どのくらい復興しているのですか?」
若い兵に視線を向けると、ズルいと発言した兵が首を横に振り、皮肉な笑みに口許を歪めた。
「復興なんてモンじゃありませんよ。全く別のキレイな街になってます」
「……思い切った区画整理をしたのですか?」
……こんな短期間でか? 用地交渉はどうしたのだ?
呪医が疑問を口にすると、別の兵が何とも言えない顔で自治区の方を見て、質問した。
「呪医、自治区が元々どうだったか、知ってますか?」
「いえ、自治区内の労災事故で、負傷者の治療をしたことならありますが……」
「魔法の治療を受けた自治区民が居るんですかい?」
伍長が呆れて言い、他の兵も不快げにちらりと自治区の方を見た。
反対側の窓から見えるのは固く閉ざされたもう一枚の門で、まだ操業している工場の灯で逆光になっている。耳を澄ますと機械の駆動音が聞こえた。
「幾つかの事業所では重傷の場合、雇い主の意向でゼルノー市の市民病院が受け皿になることになっていたんですよ」
「あぁ、成程。気ぃ失ってる時に治してやりゃ、まさか元通り怪我した身体に戻してくれなんて言う奴ぁ居ねぇだろうしなぁ」
伍長たち検問所の兵が、ゼルノー市とリストヴァー自治区の取り決めを知らない。呪医セプテントリオーはどう言うことかと訝った。
「ゼルノー市と自治区の協定でそうなっていて、ここの検問でも負傷者の搬送は特別に許可を出していたそうですが……?」
「あぁ、俺たちゃみんな、検問所が復旧してから配属された新入りなんだ。テロと空襲で市民病院がやられた後だから、そんな話は全然……」
伍長の言葉で、呪医の疑問が更に深まった。
「前任者から何も引継ぎがなかったのですか?」
「検問所の部隊は全滅したんで、前任者は居りゃせんのですよ」
「えぇッ? ここには魔装兵も配属されていましたよね? 非番だった方も?」
「非番の兵も、非常招集を掛けられたんで……」
「自治区の連中が何をどうやってここを突破したのか、俺らは全然……」
「偉い人は【鵠しき燭台】で見たかも知れんがね」
呪医セプテントリオーの質問で、兵たちの不安が一気に噴出した。無理もない。何が起きたかわからない全滅現場に、魔装兵でない一般兵が配属されたのだ。
……ソルニャーク隊長に聞いておけばよかったかな。
今、移動販売店の彼らがランテルナ島のどこに居るのかわからない。クロエーニィエに聞けば、運び屋フィアールカに頼んで探してくれそうだが、呪医セプテントリオーには彼らに支払う報酬のアテがなかった。それに、首尾よく会えたとして、どんな顔をしてそんなことを聞けばいいのか。
呪医セプテントリオーが黙っていると、先程の若い兵が話題を変えてくれた。
「さっきの話に戻りますけど、自治区の東側は足の踏み場もないようなバラック地帯で、例の火事でほぼ全焼したんです」
「用地の交渉なんかもいらないから、とっとと区画整理が進んだんだろうな。何せ、元から不法占拠で、その連中も粗方死んじまったんだから」
「そうでしたか……」
呪医セプテントリオーは、少年兵モーフが市民病院で語った自治区の暮らしを思い出し、それ以上言えなくなった。
「俺たちの生活がどんなに惨めか、知らないだろッ!」
失うものなど何もない。血を吐くような叫びで叩きつけられた暮らしの様子は、湖の民の呪医セプテントリオーには全く想像もつかなかった。
ふと気付き、疑問をそのまま口にする。
「最近、ここに配属されたばかりなのに、何故、焼失以前の自治区の様子をご存知なんですか?」
「あぁ、それはこの検問所が復旧した時に、自治区の役人が写真と都市計画の書類を見せてくれたんでさぁ」
「何故わざわざ……?」
「元はこんなゴミ溜めみたいなとこだったから暴動が起きたけど、バラック街の連中がしでかしたことだし、奴らは粗方焼け死んだし……まぁ、その、自治区でもイイ暮らししてる奴らはあの件にゃ関係ねぇからよろしく、みたいなコトを……」
同じ自治区民でありながら、そんな言い草を……と呪医が絶句する。検問所の警備兵たちは居心地悪そうに自治区の方をちらちら見遣った。呪医セプテントリオーも、窓の外へ目を向ける。
操業音が低く唸り、門の向こうでは強力な電灯で照らされた工場の姿が夜空に浮かび上がっていた。
「長々とお邪魔しまして恐れ入ります」
呪医セプテントリオーは、砂糖たっぷりのべたつく紅茶を飲み干して、検問所を後にした。
☆難民の子らが歌う映像を支援者の方が置いた……「218.動画を載せる」参照
☆切抜いた新聞記事……「261.身を守る魔法」「339.戦争遂行目的」「340.魔哮砲の確認」参照
☆巡礼者用にインターネットの通信設備を用意……「188.真実を伝える」「219.動画を載せる」「241.未明の議場で」「276.区画整理事業」「306.止まらぬ情報」参照
☆議員宿舎襲撃事件……「425.政治ニュース」「440.経済的な攻撃」「497.協力の呼掛け」参照
☆一緒に視察する様子……「415.非公式の視察」「425.政治ニュース」「429.諜報員に託す」参照
☆呪医の身内……「279.悲しい誓いに」「240.呪医の思い出」参照
☆自治区内の労災事故……「017.かつての患者」「369.歴史の教え方」参照
☆バラック地帯で、例の火事でほぼ全焼した……「054.自治区の災厄」参照
☆少年兵モーフが市民病院で語った自治区の暮らし……「017.かつての患者」「018.警察署の状態」「019.壁越しの対話」参照




