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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第二章 印歴二一九一年二月二日

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0054.自治区の災厄◇

 アミエーラと父は日没後、すぐ眠ることにした。

 床板に拾った古新聞を敷き、その上に蔓草(つるくさ)の敷物。その上で毛布に(くる)まり、目を閉じる。


 昨夜は一睡もできなかった。

 疲れと睡眠不足のせいか、横になった途端、眠りに落ちる。

 寝ている間は何も考えなくていい。辛いことも苦しいこともない。


 アミエーラは、夢の世界で淡い幸せに(ひた)った。

 目覚めれば、指から水が零れるように消えてしまう。思い出さえ残らない。ささやかとも言えない(かす)かな幸せだ。


 その幸せが、今夜も煙で破られるとは、夢にも思わなかった。

 激しく咳込みながら、跳ね起きる。

 バラック小屋に煙が充満し、息も出来ない。父と二人、涙を流しながら外へ這い出た。


 (そで)で口許を覆って周囲を見回す。

 同様に出て来た人々が、右往左往する。

 転倒し、踏まれた人の声が掻き消える。


 「逃げてー! 早く逃げて―!」

 「何だ、また火事かよッ!」

 「火元はどこだ?」


 咳込む音と色々な声が飛び交うが、状況はわからない。

 避難する人の群が薄闇を無秩序に行き交う。薄明るいのは、火災の炎を煙が照り返すからだ。煙の柱があちこちから上がり、風に煽られ、壁となって通路を塞ぐ。



 「おい、逃げるぞ」

 父に声を掛けられ、アミエーラは状況を把握しきれないまま、歩きだした。

 夜闇と煙で視界が利かない。咳込みながら、バラックの隙間を道なりに行く。


 どこへ向かっているのか、火元から遠ざかっているのか。

 人々の口から出る断片的な情報は、互いに矛盾し、幾つも重なり、打ち消し合った。どこへ行けばいいのか、どこへ向かっているのか。何もわからないまま、手探りで進む。


 自分以外の誰にも構えない。いや、自分一人さえ守れない。

 アミエーラは人波に揉まれながら、為す術もなく押し流された。



 どのくらい流されたのか、気が付くと、少し広い場所に居た。

 足下に枯れ草の感触。シーニー緑地まで来たらしい。今夜涌いたばかりの雑妖が、アミエーラの足下に纏わりつく。


 「父さん、父さんッ!」

 ざわめきと咳の音の中に耳を澄ます。

 父の返事はなかった。


 あの状況では、はぐれない方が奇跡だ。

 当然の結果だとわかっていても、不安と動揺で心が押し潰されそうになる。


 ……落ち着いて、落ち着いて。


 自分に言い聞かせながら見回す。

 この辺りは暗く、まだ遠い火災の炎にうっすら照らされるだけで、人の顔まではわからない。

 立ち昇る煙に覆われ、星明りは届かなかった。

 皆一様に、燃える街を見詰める。


 人はどんどん増え、アミエーラはじりじりと緑地の斜面を上った。

 (のが)れて来た者たちは、「別世界」である団地の区画まで上がらず、斜面に張り付き、自分たちの街を振り返る。

 アミエーラは、団地の区画まで上がった。高台からバラック地帯を見下ろす。火の手は、複数の場所から上がっていた。

 一度にこんなにたくさん火災が起こるとは考え(にく)い。誰かが放火したと見るのが自然だ。


 ……誰が、こんな酷いことを……?


 考えるまでもない。

 昨日の報復だ。魔法使いが火を放ったに決まっている。


 ……でも、酷いじゃない。やるんなら、あっちの街を焼いた連中だけにしてくれればいいのに。


 見当違いな報復をする魔法使いにも、勝手に武装蜂起した過激派も、アミエーラを含む多くの自治区民にとって、迷惑でしかなかった。

 力なき民のキルクルス教徒は、街を呑む炎を呆然と眺めるしかない。


 「燃えてるなぁ……」

 「あぁ、燃えてるなぁ……」


 誰かがポツリと呟いた言葉に、見知らぬ誰かが同意する。

 あまりの火勢に、火を消すことに思い至らない。いや、思ったところで、井戸水を汲み上げるバケツリレー程度で消し止められる状況ではなかった。

 泣くことも嘆くことも怒ることもできず、ただ、現状を目に焼き付ける。

 アミエーラも、シーニー緑地へ逃れた人々の中に父を捜せず、魅入られたように炎を見た。



 東の空が白む頃になっても、まだ、火勢が衰えない。

 風に煽られ、火の粉を吹き上げ、夜の残りを焦がす。

 炎は南と西へ燃え広がった。火の手は緑地の手前にまで迫り、避難民は団地の敷地まで後退した。


 すっかり明るくなっても、街を焼く火は衰えなかった。

 意思を持つかのように無傷の地区へ向かい、燃える物を次々と呑み込む。煙が風に流れ、可燃物のなくなった区画が朝日の下で黒く見えた。



 団地の住人は窓を閉め、カーテンを引いて息を殺す。

 逃げ延びた人々は、風に吹き寄せられる煙に激しく咳込んだ。着の身着のままで焼け出され、寒さを防ぐ物も何もない。



 どのくらい経ったのか、寒さに震えていると、警察官と腕章を巻いた区役所職員が誘導に来た。

 公民館で食糧の配給をすると言う。

 空腹感はなかったが、アミエーラもみんなについて行くことにした。


 明るくなってから、改めて見回す。髪や衣服が焼け焦げ、火傷を負った姿が目に付いた。


 アミエーラは、自分の顔と身体を両手で探った。今のところ痛む部分はない。

 父の安否がわからず心配だが、これからもらう食糧を半分取っておいて、後で捜しに行くことにした。


 焼け出された住人が、大通りをぞろぞろ歩く様は異様だった。

 誰もが(ほとん)ど喋らない。時々聞こえるのは、警官の誘導と負傷者の呻きだ。


 視界の隅に仕立屋の看板が入った。


 ……あ、そうだ。店長さんに、お父さんを捜すから休ませて下さいって言わなきゃ。


 アミエーラは人波を掻き分け、勤め先へ向かった。


 挿絵(By みてみん)

★第二章 あらすじ

 二月二日のできごと。

 自治区に住むアミエーラは、号外を配る少年から「自治区の星の道義勇軍と、政府軍が戦争を始めた」と知らされる。


 薬師(くすし) アウェッラーナは、廃墟と化したゼルノー市民病院で負傷者の治療を手伝う。

 ゼルノー市セリェブロー区在住の少年ロークは、運河の対岸で繰り広げられる惨状に言葉を失う。


 市民病院を襲撃した星の道義勇軍の生き残りは、病院職員らと警察官の手で捕縛された。

 クルィーロは妹のアマナと、レノの妹のピナティフィダ、エランティスを救出し、鉄鋼公園に辿り着いた。


 捕縛された少年兵モーフらは、護送車の中で焼魚を与えられる。


 人波に流されたレノは、ミエーチ区の児童公園で夜を過ごし、一人、鉄鋼公園へ向かう。

 ロークは、決意を固め行動を開始した。


 その夜、リストヴァー自治区が災厄に見舞われる。


 ※ 登場人物紹介の一行目は呼称。

 用語と地名は「野茨の環シリーズ 設定資料」でご確認ください。

 【思考する梟】などの術の系統の説明は、「野茨の環シリーズ 設定資料」の「用語解説07.学派」にあります。



★登場人物紹介


 ◆湖の民の薬師(くすし) アウェッラーナ

 湖の民。フラクシヌス教徒。髪と瞳は緑色。

 隔世遺伝で一族では唯一の長命人種。外見は十五~十六歳の少女(半世紀の内乱中に生まれ、実年齢は五十八歳)


 実家はネーニア島中部の国境付近の街、ゼルノー市ジェリェーゾ区で漁業を営む。

 父と姉、兄、甥姪など、身内で支え合って暮らしている。


 ゼルノー市ミエーチ区にあるアガート病院に勤務する薬師(くすし)

 魔法使い。使える術の系統は、【思考する(フクロウ)】【青き片翼(かたよく)】【(すなど)伽藍鳥(ペリカン)】【霊性の(ハト)

 呼称のアウェッラーナは「(ハシバミ)」の意。

 真名(まな)は「ビィエーラヤ・オレーホヴカ・リスノーイ・アレーフ」


 ◆パン屋の青年 レノ

 力なき陸の民。フラクシヌス教徒。十九歳。濃い茶色の髪の青年。

 ネーニア島のゼルノー市スカラー区にあるパン屋「椿屋」の長男。

 両親と妹二人の五人家族。パン屋の修行中。

 レノは、髪の色と足が速いことからついた呼称。「馴鹿(トナカイ)」の意。


 ◆ピナティフィダ(愛称 ピナ)

 力なき陸の民。フラクシヌス教徒。中学生。二年三組。濃い茶色の髪。

 レノの妹、エランティスの姉。しっかりしたお姉さん。

 生まれた時期に咲いていた花の名を呼称にしている。


 ◆エランティス(愛称 ティス)

 力なき陸の民。フラクシヌス教徒。小学生。五年二組。濃い茶色の髪。

 レノとピナティフィダの妹。アマナの同級生。大人しい性格。

 生まれた時期に咲いていた花の名を呼称にしている。


 ◆工員 クルィーロ

 力ある陸の民。フラクシヌス教徒。工場勤務の青年。二十歳。金髪。

 パン屋の息子レノの幼馴染で親友。ゼルノー市スカラー区在住。

 両親と妹のアマナとの四人家族。

 隔世遺伝で、家族の中で一人だけ魔力がある。

 魔法使いだが、修行はサボっていた。使える術の系統は、【霊性の(ハト)】が少しだけ。

 呼称のクルィーロは「翼」の意。


 ◆アマナ

 力なき陸の民。フラクシヌス教徒。クルィーロの妹。金髪。

 小学生。五年二組。エランティスの同級生。ゼルノー市スカラー区在住。

 生まれた時期に咲いていた花の名を呼称にしている。


 ◆少年 ローク

 力なき陸の民。商業高校の男子生徒。十七歳。ディアファネス家の一人息子。

 ゼルノー市セリェブロー区在住。家族とは相容れなくなり、家出する。

 呼称のロークは「角」の意。


 ◆お針子 アミエーラ

 陸の民。キルクルス教徒。十九歳の女性。金髪。青い瞳。仕立屋のお針子。

 リストヴァー自治区のバラック地帯在住。

 工員の父親と二人暮らし。

 呼称のアミエーラは「宿り(ヤドリギ)」の意。


 ◆少年兵 モーフ

 力なき陸の民。キルクルス教徒。星の道義勇軍の少年兵。十五~十六歳くらい。

 リストヴァー自治区のバラック地帯出身。


 アミエーラの近所のおばさんの息子。祖母と母、足が不自由な姉とモーフの四人家族。

 父は、かなり前に工場の事故で亡くなった。

 以前は工場などで下働きをしていた。自分の年齢さえはっきりしない。


 貧しい暮らしに嫌気が差し、家出してキルクルス教徒の団体「星の道義勇軍」に入った。

 呼称のモーフは「(コケ)」の意。


 ◆隊長 ソルニャーク

 力なき陸の民。キルクルス教徒。星の道義勇軍の一部隊の隊長。モーフたちの上官。おっさん。

 呼称のソルニャークは「雑草」の意。


 ◆元トラック運転手 メドヴェージ

 力なき陸の民。キルクルス教徒。星の道義勇軍の一兵士。おっさん。

 リストヴァー自治区のバラック地帯出身。


 以前はトラック運転手として、自治区と隣接するゼルノー市グリャージ区の工場を往復していた。

 仕事で大怪我をして、ゼルノー市ジェリェーゾ区にある中央市民病院に入院したことがある。

 呼称のメドヴェージは「熊」の意。


 ◆市民病院の呪医

 湖の民の男性。フラクシヌス教徒。髪と瞳は緑色。

 ゼルノー市立中央市民病院に勤務する唯一の呪医。

 【青き片翼】学派の術を修め、主に外科領域の治療を担当。


 ◆葬儀屋

 湖の民の男性。フラクシヌス教徒。髪と瞳は緑色。

 【導く白蝶】学派の術を修めた葬儀屋。

 商売柄、服には【魔除け】や【退魔】などの呪文を刺繍してある。

 自前の魔力が尽きない限り、この服を着ている間は常時、それらの術が葬儀屋を守っている。

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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