525.眠れない夜に
ロークはその夜、ベッドに入っても寝付けなかった。
一週間以上、日の光にあたっていないことや、時間の感覚がわからなくなっていきたこと、【無尽袋】が完成する期待や、移動への不安よりも、昼にファーキルから教えてもらったことが心に引っ掛かっていた。
一緒に話を聞いた薬師アウェッラーナと小学生のアマナとエランティスは、他の部屋に泊まっていて、どうしているかわからない。彼女らも眠れなくなっていないか、心配だった。
ファーキルは、みんなが揃う食事の席ではなく、何故、ロークたちだけに聞かせたのか。隣のベッドで眠るラクリマリス人の少年の意図がわからない。
……情報統制。言論の弾圧。
ファーキルの言う亡命した国会議員たちは、あの動画で「魔哮砲は魔法生物だ」と主張していた人たちのことらしい。
秘密裏に行われた未明の臨時招集で、半分以上の議員が魔哮砲の使用に賛成し、反対した議員は軍に捕えられ、議員宿舎に閉じ込められた。何とか逃げ出せた人は居るが、殺された人も居る。
アマナは、兄のクルィーロから「ネモラリスとアーテルは民主主義の国だから、みんなが戦争はイヤだと言えば、国の偉い人が戦争をやめる話し合いをしてくれる」と教えられ、それを信じて、みんなが「戦争はイヤだ」と声を上げやすいように平和を願う詩を書き、国民健康体操の曲に乗せて歌った。
その歌で世界中からこの戦争に注目が集まり、アミトスチグマなどに逃れた難民への支援が少し手厚くなった。
自分たちの願いが灯した小さな希望が、国境を越えて多くの人に届き、もしかしたら……と期待したのがどれだけ甘い幻想だったか、思い知らされる。
ロークは、ファーキルがあの話を全員に聞かせなかった理由をぼんやり理解した。
……あぁ、そっか。詩を作るの、アマナちゃんたちが中心だからだ。
ファーキルがラゾールニクから聞いた話では、魔哮砲の使用に反対して殺された国会議員は、一人や二人では済まなかったと言う。
一人の国会議員は、その人に票を投じた国民の意見を背負って議会に臨む。
議員自身の生命と同時に、数千、数万の有権者が託した意志と意見も殺された。
――同じネモラリス人の手で。
湖南経済新聞のラクリマリス版やアミトスチグマ本社版など、他国ではとっくの昔に「魔哮砲は魔法生物なのではないか」との疑惑が報じられていたが、ネモラリスでは軍が新聞社に圧力を掛けて記事を差し止めていた。
多くのネモラリス人は、そんな情報統制があることを知らず、「アーテルに言い掛かりをつけられたが、国連の査察で潔白が証明された」と信じている。
仮に、難民支援や商売などで外国と行き来する人々が真実を伝える報道に接しても、ネモラリス共和国に帰ってから、それを誰かに伝えることさえ危うい気がした。
帰国した人々が、ネモラリスに厳しい情報統制が敷かれていることに気付けば、身の安全の為に口を噤む。気付かずに外国で得た情報を誰かに伝えれば、恐らく軍に伝わり、拘束されてそれ以上の拡散は防がれるだろう。
ネモラリスにはインターネットの接続環境が整備されておらず、ファーキルのように個人で大量の情報を多くの人に拡散する手段がない。秘密を知る者を始末して、その周辺人物を脅して口止めすれば、それまでだ。
不穏な空気を察知した人々は、互いに監視の目を光らせ牽制し合って、迂闊なことを口にしなくなる。
亡命した議員たちの告発は、インターネットの動画だった。
ラクリマリスやアミトスチグマなど、インターネットの環境が整備された国へ逃れた難民の一部や、支援者には伝わったかもしれないが、あれを見た人たちが完全に信じるかどうかはわからない。
今のところ、支援団体がリャビーナ市などネモラリスの国内で例の歌を演奏するのは禁止されていないが、戦局が変われば、これもどうなるかわからない、とラゾールニクは危惧していた。
……じゃあ、モールニヤ市とかでやったみたいに、歌って客寄せして歌詞を書いた紙で物々交換ってのもヤバいよな。
新兵器【魔哮砲】の使用に反対しただけで国会議員が殺されたなら、庶民の移動販売店を潰すくらい、もっと簡単だろう。そもそも、あのトラックは放送局からの盗難車だ。
それに、インターネットの情報も全てが本当のことを言っているワケではないと言う。
アーテルではネモラリス以上に情報の規制が厳しく、多くの国民は外国の情報に触れられない。それはロークも、呪医の手伝いで少し新聞を見て感じていた。
……だからって、ネモラリスに戻ってから、何をどうやって……?
アマナ自身も言っていたが、あんな歌くらいで偉い人が都合よく動いてくれるとは思えない。いや、ファーキルの口ぶりでは、悪い方向になら、積極的に動くような気がした。
リャビーナ市民合唱団が慈善コンサートで歌った動画を見せてもらったが、あれはいつ撮影されたものなのか、確めていない。
あのコンサートの後、ネモラリス共和国内の状況がどれだけ悪くなったのか、ロークは想像することさえ恐ろしくなった。
☆秘密裏に行われた未明の臨時招集……「241.未明の議場で」「247.紛糾する議論」「248.継続か廃止か」参照
☆反対した議員は軍に捕えられ、議員宿舎に閉じ込められた……「253.中庭の独奏会」参照
☆記事を差し止めていた……「241.未明の議場で」参照
☆反対して殺された国会議員……「277.深夜の脱出行」参照
☆アーテルに言い掛かりをつけられた……「249.動かない国連」参照
☆国連の査察……「248.継続か廃止か」「260.雨の日の手紙」「269.失われた拠点」参照
☆議員たちの告発……「496.動画での告発」参照
☆支援団体がリャビーナ市などネモラリスの国内で例の歌を演奏……「305.慈善の演奏会」参照
☆モールニヤ市とかでやった……「217.モールニヤ市」「218.移動販売の歌」参照
☆あのトラックは放送局からの盗難車……「130.駐車場の状況」「133.休むのも大切」「143.トラック出庫」参照
☆情報の規制が厳しく……「162.アーテルの子」「166.寄る辺ない身」「173.暮しを捨てる」参照




