523.夜の森の捕物
膨れ上がった魔哮砲は、鈍重そうな見た目に反して機敏な動きで【操水】で放つ【見鬼の色】を躱した。
魔装兵ルベルと相棒のムラークは【暗視】の術を掛け、ツマーンの森で魔哮砲を追い掛ける。闇色の魔法生物は、数日前に掛けた【見鬼の色】の虹色の輝きをちらちら閃かせながら逃げた。
木立の間から現れ、行く手を塞ぐ魔物や小型の魔獣を斬り伏せながら、足場の悪い夜の森を駆けるのは、予想以上の重労働だ。何度も木の根や倒木などに躓きながら、必死に追い縋る。
特殊インク【見鬼の色】を掛けて目印を付けるだけの簡単な任務のように言われたが、とんでもない話だ。
二人は【操水】で宙に浮かせたインクが障害物と接触しないように操りながら、夜と同化する魔哮砲を息を切らせて追跡する。
ルベルが知る魔哮砲の移動速度は「乗用車並み」とのことだったが、今は人間の足でも見失わない程度について行ける。
……図体がでかくなった分、木立の間をすり抜け難くなったからか?
それはそれで助かるが、インクを躱すのはやめて欲しいと思った。
前回は遠距離から不意打ちできたが、まだ夕方で【索敵】が使えたからだ。【暗視】と【索敵】は両立できず、どちらかを使った上からもう一方を掛けると、先に掛けた術の効果が打ち消されてしまう。
だからこそ、夜間はラクリマリス軍の監視が外れるのだが、ルベルたちはもつれそうになる足を叱咤して、現場の森を走り続けなければならなかった。
流石に、魔哮砲も疲れてきたのか、速度が落ちてきた。
魔装兵ルベルとムラークは、夜の森に紛れる暗緑色の迷彩柄の魔法の【鎧】を纏い、顔には黒い化粧を施されている。
魔法の【鎧】は布の服に防禦の呪文を深い色で刺繍したものだが、着用者の魔力によってその術を発動する。正規軍の軍服にも同様の術が施されているが、【鎧】よりもずっと術の数が少なく、効力も弱い為、魔装兵に成り得る魔力の持ち主なら、丸一日着たままでも余裕を持って活動できた。
だが、今回支給された【鎧】は通常より防禦力が高い分、魔力の消耗が大きい。あまり長時間、作戦行動を続けるのは危険だ。
時計がない為、どのくらいの時間追い続けたのかわからない。枝葉に遮られ、月と星も見えなかった。
魔哮砲は人間が歩く程度にまで速度を落とした。
「ムラーク、俺の分のインク、持ってくれ」
宙に浮かせて先行させた魔法のインク【見鬼の色】をムラークが維持する塊にぶつけて重ねる。
「どうするんだ?」
「歌で足止めする」
ムラークは返事の代わりに【操水】を唱え直した。魔法の特殊インク【見鬼の色】が投網のように広がり、魔哮砲に追い縋る。
肥大化した闇の塊は、平たくなって青インクを躱し、斜めに伸びあがった。
……目とかないっぽいのに、どうやって避けてんだコイツ?
魔装兵ルベルは、走りながらもう何度目になるかわからない疑問を浮かべた。ムラークが、青色の特殊インク【見鬼の色】を巧みに操り、木々への付着を避けて球状に集める。
速度は落ちたが、魔哮砲は移動をやめない。二人が追い付くには、まだまだ距離があった。
ムラークが力ある言葉でインクに命じ、青い塊が紐状に伸びる。そのまま矢のように飛び、魔哮砲を飛び越した。
……あぁ、インクくっついて落ちないのが気持ち悪くて逃げてんのか。
ルベルは何となく魔哮砲の気持ちを考えた。
前回塗りつけたインクは、後二日で効力が消えてしまう。その前に何としてでも、目印を付け直さなければならなかった。青い特殊インク【見鬼の色】は魔物などに付着すると虹色に輝き、半視力の目にも見えるようになる。
特殊インクに回り込まれ、魔哮砲が急停止した。ムラークがインクを広げ、闇の塊に塗りつけようとするが、不定形の魔法生物はぬるりと形を変えて躱す。
……やっぱ、完全に動きを止めなきゃダメか。
ぐずぐずしていては、森に棲む魔獣などに襲われかねない。【鎧】で魔力を使い果たせば、帰還もままならなくなるだろう。
魔装兵ルベルは呼吸を整えながら速度を緩めた。
ムラークの操るインクが魔哮砲に飛び付くが、ぐにょりと形を変えて全くかすりもしない。
ルベルは更に足を緩め、歩きながら息を整えてムラークの背を見送った。相棒はインクを操り、何とか魔哮砲に塗りつけようと木立の間や下草すれすれの位置に飛ばして迫るが、その度に躱される。
魔装兵ルベルは大きく息を吸い、故郷の夏至祭の歌を歌った。
「ゆるやかな水の条
青琩の光 水脈を拓き 砂に新しい湖が生まれる……」
夜の森に場違いな歌が朗々と響き渡る。
ムラークは速度を落とし、ちらりと振り向いたが、すぐ魔哮砲に視線を戻した。
「涙の湖に沈む乾きの龍 樫が巌に茂る……」
改めて教わったばかりの里謡を歌いながら、魔装兵ルベルは魔哮砲との距離を詰める。もう何度目になるかわからないインクの攻撃を躱し、ぐにょぐにょと波打っていた魔哮砲の表面が鎮まった。
……アシューグ先輩は歌詞じゃなくて旋律が制御符号だって言ってたよな。
歌詞はうろ覚えだが、ハミングやスキャットでも最後まで歌い切れば、魔哮砲を休眠状態にできる。
今回は目印を付ける任務なので【従魔の檻】を持って来なかったが、眠らせてインクを掛けて出直せば、今夜だけで捕獲の任務も完了するのではないか、と期待を籠めて続きを歌う。
「この祈り 珠に籠め
この命懸け 尽きぬ水に……」
動きは鈍ったが、こびりつくインクが相当イヤなのか、魔哮砲はムラークの攻撃を最小限の動きで巧みに躱す。
ルベルの気持ちは焦るが、歌う速さを変えて効力がなくなっては元も子もない。魔物が蠢く夜の森で、ゆったりとした里謡を歌いながら、少しずつ魔哮砲との距離を詰めた。
「涙湛え受け この湖に今でも……」
「やった!」
ようやく、ムラークの【見鬼の色】が魔哮砲を捉えた。宙に広げた青インクが、大型トレーラー並の巨体に広がり、虹色の輝きを放つ。
インク瓶二本分では、運転席程度の面積しか染められないが、全くないより遙かにマシだ。
安堵したのも束の間、ルベルの【暗視】の視界からムラークの姿が消えた。鰐に似た横向けの口が、魔装兵ムラークの胴を咥えて木立の間を走る。
二人とも、魔哮砲に気を取られ過ぎていた。
「ムラーク!」
ルベルは抜き身を手に木立を駆けた。
ムラーク自身も、自分を咥える魔獣の口に剣を突き立て抵抗するが、無理な体勢の上、疲弊しきった魔装兵の攻撃は大した傷を与えなかった。
魔装兵ルベルは走りながら呪文を唱える。
「風よ、燃え上がる氷の上を渡れ!」
ルベルは【飛翔する蜂角鷹】学派の術は修めたが、【急降下する鷲】学派の術はあまり得意ではない。それでも、地を走る【冷たい刃】の鋸歯は、左右口の獣の後ろ脚を切り裂き、凍結させた。
ムラークも剣を諦め、呪文を唱える。
「想い磨ぎ 光鋭き槍と成せ!」
魔獣の頭部が吹き飛び、ムラークの身体が林床に叩きつけられた。
「おいッ!大丈夫かッ?」
駆け寄った魔装兵ルベルの目に、血に染まったムラークの姿が飛びこんだ。ルベル以上に魔力を消耗していたのか、【鎧】の効力の大部分が失われているらしい。ルベルは相棒の手を握り、祖国へ【跳躍】した。
☆膨れ上がった魔哮砲/簡単な任務のように言われた……「509.監視兵の報告」参照
☆鰐に似た横向けの口……「404.森を切裂く道」参照




