522.魔法で作る物
「造船所は、今もいっぱいありますよ。行ったコトはありませんけど、地理の時間に習いました」
ピナティフィダが小声で言う。アミエーラはそれに頷いたが、何と言っていいかわからず、黙っていた。
クロエーニィエが、小さな紙箱を手に作業場へ戻り、針子のアミエーラの手元を見て顔を綻ばせる。
「あら、また一着できたのね。助かるわぁ」
「いえ、こちらこそ色々よくしていただいて……」
クロエーニィエは、いいのよ、気にしないで、などと言いながら別の作業台に紙箱を置き、棚から平皿二枚と小瓶ふたつを取り出した。紙箱の蓋を開け、にっこり笑う。
「絶光蝶って言うキレイな蝶をもらったんだけど、見てみる? 虫の死骸だからイヤかしら?」
「あ、いえ、大丈夫です。兄は時々虫料理を作ってて、私も虫捕り手伝ったりしてたんで……」
ピナティフィダが縫物を置き、もうひとつの作業台に近付く。アミエーラも食べられる虫を捕りにシーニー緑地へはよく行ったので、虫は平気だ。初めて聞く名に興味がわき、縫い針を針山に戻して席を立った。
箱の中には虹色に輝く蝶の何頭もの死骸が重なっていた。
「これ、どうするんですか?」
「インクや染料の素材になるのよ。インクは鱗粉だけ、染料は鱗粉と蝶の身体を焼いた灰も使うの」
ピナティフィダが、質問したことを後悔した顔で蝶から目を逸らした。
クロエーニィエは作業台のペン立てからピンセットを取り、箱の中身をつまみ出して平皿に乗せる。白い皿の上で輝く虹色の蝶は、アミエーラが今までに見たどんなものより美しかった。
「この蝶はねぇ、生きてる時は周りの光を吸い取るから、飛んでるとこ見ると小さな闇の塊がひらひらしてるみたいなのよ」
「えっと、これも魔獣みたいに幽界から出てきた生き物なんですか?」
ピナティフィダがそっと作業台から離れながら聞く。
クロエーニィエは、ごつい指で繊細な細工が施されたガラス瓶を開け、ピナティフィダにいたずらっぽい笑みを向けた。
「すっかりこの世に定着しちゃってるし、専門の養殖業者もあるからねぇ。今となっちゃ幽界のモノとも物質界のモノともつかないわね」
クロエーニィエが【操水】を唱えて瓶の中身を起ち上げる。無色の液体が蝶の鱗翅に触れ、輝く鱗粉を洗い流した。鱗粉を全て剥ぎ取られた翅は透き通り、これはこれでレース編みのようで美しい。
【編む葦切】学派の職人は、輝きを失った蝶をピンセットでつまんで隣の皿に移し、紙箱から次の蝶を取りだした。そうして次々と蝶たちの鱗粉を取り、透明の蝶を平皿に積み上げる。
ピナティフィダが席に戻って縫製作業を再開しても、アミエーラはクロエーニィエの魔法から目を離せなかった。
蝶十頭分の鱗粉を含み、虹色の輝きを宿した液体が、元の瓶ではなく簡素なインク瓶に収まる。
クロエーニィエが、蝶を積んだ皿の縁を指でなぞって【炉】の呪文を唱えると、輝きを失った蝶の骸はあっという間に燃え尽きた。【操水】でインク瓶から虹色に輝く液体を呼び出し、灰と混ぜ合わせる。
透明感のある輝きが失われるかと思ったが、液体は褪せることなく青灰色の上に光を纏ったままインク瓶に収まった。
クロエーニィエが蓋を閉めると、アミエーラは思わずほうっと息を吐いた。
「面白かった?」
「えっ? あ、いえ、面白かったって言うか、興味深かったです。これ、どうするんですか?」
「このまま素材として売ってもいいし、ウチで染料として使ってもいいし、まぁ、状況次第ね」
「そうなんですか」
魔法使いの商売はよくわからない。
この魔法の店“郭公の巣”では主に物々交換で取引しているらしく、アミエーラにはその物の価値の判断基準もわからなかった。
「店長、お客さーん」
「はぁい」
モーフの声でクロエーニィエがいそいそカウンターの前に立つ。
針子のアミエーラは縫製作業に戻り、これからのことを考えた。
もし、祖母の姉カリンドゥラが存命で、奇跡的にネモラリス島で会えたとしたら、その人は長命人種の魔法使いだ。自治区の外でその人の世話になるなら、魔力を持つ「力ある民」のアミエーラは当然、魔法使いとして暮らすことになる。
……その時は、聖者キルクルス・ラクテウス様の教えを捨てなきゃいけないのよね。
移動販売店のフラクシヌス教徒のみんなが祈る姿を見たことがないので、どんな教えで、何に対してどんな祈りを捧げているか、全くわからないが、聞くに聞けなかった。
どんな教えなのかわからなければ、改宗するかどうか判断できない。
幽界のモノとも物質界のモノともつかない――
絶光蝶と自身の立場が重なる。
自治区で生まれ育ったアミエーラはキルクルス教しか知らないが、魔力を持っていて、キルクルス教の教義では穢れた存在とされる「力ある民」だ。だが、何も教わらなかったので、何ひとつ魔法を使えず、魔力の制御方法も身に着いていない。
今のアミエーラは、魔力を持っているだけで魔法使いではなく、キルクルス教徒で、どっちつかずの存在だった。
トラックを容れられる大容量の【無尽袋】が完成すれば、運び屋フィアールカが王都ラクリマリスに連れて行ってくれる。ラクリマリスはフラクシヌス教の中心地らしいが、移動販売店プラエテルミッサの誰も行ったことがないと言う。
首都クレーヴェル行きの船を待つ間、ほんの数日滞在するだけらしいが、アミエーラは胸の奥がざわついた。
……ネモラリスとアーテルが戦争してるせいで、ラクリマリスにすごく迷惑掛かっちゃってるのよね。
ネモラリス人だと知られたら、迫害を受けるかもしれない。
ラクリマリス王国がどんな国なのか、後でファーキルに教えてもらおうと思い付き、アミエーラはせっせと針を動かした。
☆祖母の姉カリンドゥラ……「091.魔除けの護符」参照




