521.エージャ侵攻
アミエーラは、レノ店長の妹ピナティフィダと共に魔法の道具屋“郭公の巣”の奥で、せっせと縫物をする。
裁断と呪文の染め、端の始末は店主のクロエーニィエが済ませていた。ミシンはない。二人は黙々と針を動かし、手縫いで男性用のベストを仕上げる。
作業台には何十枚分もの部品が山積みで、縫っても縫っても終わらなかった。
……アウェッラーナさんは、あのお屋敷で……こんな気持ちだったのかな?
針子のアミエーラは、ドーシチ市商業組合長の屋敷で気が遠くなりそうな量の魔法薬を作った時のことを思い出した。あの時は、みんなで朝から晩まで下拵えを手伝ったが、永久に作り続けなければならないような気がしていた。
今は、その下拵えの部分は店主クロエーニィエが済ませ、後は着られる形に縫い合わせるだけだ。
それも、移動販売店が待つ【無尽袋】が完成すれば、作業が途中でも気にせず出発していいとまで言ってくれている。
……クロエーニィエさんはどうして、見ず知らずの私たちにこんなによくしてくれるのかな?
店主クロエーニィエは、カウンターに出て野太い声で女性客の応対をしている。針子のアミエーラは、目を手許に集中し、耳だけ店で交わされる会話に集中した。
「アーテル軍がまた、ネーニア島に上陸したって、それ、ホント?」
「えぇ。確かな筋からの情報よ」
確かな筋とやらがどの筋なのか言わず、女性客は得意げに続けた。
「なんでも輸送機でフリグス基地を出て、西に大きく迂回してネモラリス軍の防空網を突破したって」
「輸送機? 空襲しに行ったワケじゃないのね? でもまぁ、よくそんな危ない橋を渡ってまで……」
クロエーニィエが女性客に呆れた声を返す。
ラキュス湖西地方には魔物や魔獣が多く、古代に国が滅びてからは人が住んでいない。上空も、空を飛べる魔物や魔獣が多いことは、自治区民のアミエーラでも知っていた。
アーテル軍はキルクルス教の教義に従い、魔術による戦力を一切持たず、ネモラリス軍のように魔物などを倒すどころか、自分の身を守ることもままならない筈だ。
「エージャ市の近くの森に落下傘で兵士を降下させて、輸送機はすぐに帰ったそうよ」
「エージャ……?」
「店長さん、何があるか知ってる?」
「さぁ……? 王国時代は造船所がいっぱいある大きな街だったけど、共和制になってからは行ったコトないし……半世紀の内乱でどうなったのか……エージャって今どうなってるの?」
ファーキルから聞いた話では、店主クロエーニィエは長命人種で、旧ラキュス・ラクリマリス王国時代は騎士だったらしい。その頃、軍医だった呪医セプテントリオーとは知り合いで、二人とも共和制移行時の軍の組織改編を機に辞めた。クロエーニィエはそれからずっとここで魔法の道具屋をしているのだと言う。
一着完成させ、アミエーラは待ち針を外して顔を上げた。
カウンターに立つクロエーニィエは、大柄でがっしりした身体をレースやフリルたっぷりのエプロンドレスで包んでいる。横から見えるラインは中のパニエでふっくら甘いシルエットを作りだしていた。
着ているのが屈強な男性でなければ、夢のように素敵なドレスだ。
「私が聞いた話だと、空襲で半分くらい焼かれたけど、ここ何カ月かは空襲がなかったから、避難した人たちが戻って来て、復旧工事とかしてるらしいのよ」
作業台からは客の姿は見えない。
「何するつもりなんだか知らないけど、これ以上、ラクリマリス王国を刺激するようなマネだけはやめて欲しいわねぇ」
クロエーニィエが溜め息混じりにぼやくと、客がアミエーラと同じ疑問を口にした。
「どうしてそんな北の端っこの街で何かして、王家を怒らせるコトになるの?」
「アーテル軍は今、ネモラリス軍の魔哮砲を壊すって言って、ネーニア島の王国領側に入り込んでんのよ」
「それは私も、動画で見て知ってるわ」
いつの間に見たのか知らないが、クロエーニィエが頷き、ふたつに分けて結った長い黒髪が揺れる。
アミエーラたちも、ファーキルのタブレット端末で動画を見せてもらった。
ラクリマリス政府はアーテル兵の遺留品を過去の事実を映し出すと言う魔法の鏡【鵠しき燭台】に掛けて過去の事実を報道陣に公開していたから、それと食い違うアーテル側の発表には嘘があるのだろう。
そう言ったソルニャーク隊長たちの判断が正しいかどうか、アミエーラにはわからない。
……ラクリマリス軍の人が、森で兵隊さんの手袋を拾わなかったら、今頃どうなってたのかな?
ネモラリス共和国は、魔法生物を兵器化した咎で国際社会から孤立して、難民への支援が打ち切られたかもしれない。悪い方に考えてしまうのは、ずっと地下街に居て、もう何日も日の光を見ていないせいだろう。
「アーテルの攻撃目標は、魔哮砲とそれを作った【深淵の雲雀】学派の術者……研究資料や魔道書よ。きっと何か、その手掛かりがエージャかその近くにあるんじゃないかしら?」
「でも、魔哮砲って、今もツマーンの森で逃げ回ってるんでしょ?」
女性客の声が質問を返す。
アミエーラも、クロエーニィエが何を言おうとしているのか、話が見えてこなかった。待ち針を打ち終え、縫い針を動かしながら聞き耳を立てる。
ピナティフィダも針を動かしながら、時折、カウンターの方へ視線を向けていた。
「アーテル軍は、ミサイルで倒せなかったから、魔哮砲は魔法生物で、ネモラリスの発表は嘘だったって三段論法らしいわ。研究資料を手に入れて、どうすれば倒せるのか調べて、もう一回、ツマーンの森に入る気でいるんじゃないかしら?」
「王国軍には魔装兵が大勢居るのよ? 腥風樹が片付けば、すぐ人手をそっちに回して、カンタンにやっつけちゃうんじゃないの? アーテル軍が手を出さなくったって……」
女性客が、そんなバカな、と笑って言うとクロエーニィエは腑に落ちないと言いたげに首を傾げた。その拍子に、ふたつに分けられた長い黒髪が背中で踊る。
アーテルの陸軍は、ツマーンの森からは出たが、まだ北ヴィエートフィ大橋の袂、モースト市を占拠している。これだけでも重大な侵略だと思うが、何故かラクリマリス軍はアーテル軍を放置していた。
腥風樹対策でそれどころではないにせよ、退去を命じないのは不自然だ。
モースト市は「市」とは名ばかりで、小さな村にも満たない商店街と守備隊の駐屯地があるだけの場所だが、他国の軍隊が居座っていい筈がなかった。
「まぁ、でも、この島には関係なさそうだけどねー」
女性客の声が笑いを含む。
クロエーニィエも客に合わせて明るい声で言う。
「そうだといいけど、まぁ、なるようにしかならないもんねぇ」
「長居しちゃって悪かったわね。お兄さんたちも、うるさくしてゴメンねー」
そんなことを言いながら、女性客は出て行った。
☆アーテル軍は今、ネモラリス軍の魔哮砲を壊すって言って……「489.歌い方の違い」「490.避難の呼掛け」参照
☆腥風樹……「382.腥風樹の被害」参照
☆対策でそれどころではない……「498.災厄の種蒔き」「499.動画ニュース」「500.過去を映す鏡」参照
☆何故かラクリマリス軍はアーテル軍を放置……「490.避難の呼掛け」「506.アサエート村」参照
☆ミサイルで倒せなかった……「274.失われた兵器」参照




