520.事情通の情報
呪符屋の客は相当な事情通らしい。鼻を膨らませて得意げに語る。
「あぁ、最初は一頭だったらしいが、そいつが鱗蜘蛛だったのがマズかった。知ってるか? 鱗蜘蛛?」
「鉄の鱗がびっしり生えてる大きい毒蜘蛛でしたっけ? 図鑑でしか見たコトないんですけど」
「そう。そいつだ。素人がナマで見たら次の瞬間にゃ食われてるよ。奴の鱗は戦車砲も弾くし、動きが速ぇから当たらねぇしで、流れ弾で自軍の建物がぶっ壊れてた」
鎮花茶の効果を上回る驚きに思わず声が上ずる。
「基地……見て来たんですか?」
「見たっつーか、呼ばれたんだよ。魔獣を何とかしてくれってな」
アーテル軍はそんな情けない出動要請を口止めしなかったのか、と引っ掛かったが、アクイロー基地がどうなったか気になるので口を挟まずに聞いた。
「一応、口止めはされてたけどよ、あいつら【制約】で禁止なんてできねぇし、奴ら、口止め料も出さなかったからな。構うもんか」
顔に出てしまったらしい。クルィーロは苦笑して先を促した。
「魔獣が出たのは夜中だったらしいが、夜通し頑張って被害を拡大させて、明るくなってからやっと生き残りの下っ端兵士が俺らに泣きついてきたんだ」
客の魔法戦士は、現場がどれだけ酷かったか、魔獣がどう動いてどんな風にアクイロー基地を蹂躙したかを熱っぽく語った。
「最初の一頭が兵士を食って、血の臭いを嗅ぎつけて他のが寄って来て、食い散らかした死体から魔物が受肉してってなモンで、鼠算式に増えてったんだろうよ」
呪符屋の店主が、半分くらいに縮んだ皮袋を手に戻って来た。
クルィーロがカウンターの端に寄ると、店主はカウンター越しに皮袋を渡しながら言った。
「上物をありがとよ。ウチの在庫全部と、これはお釣りだ」
魔法戦士が袋の口紐を緩めて中身を確認する間、店主は戸棚の抽斗から建物を守る呪符の束を取り出した。
客が帰った後、呪符屋の店主はクルィーロを店の奥に呼んだ。
「こいつぁ多分、基地で倒した魔獣の切れ端だろうな」
「壊滅したって言うアクイロー基地ですか……」
つまり、アーテル軍の兵士やネモラリス人の武闘派ゲリラを喰らった直後に屠られた魔獣と言うことだ。
「出所がどこだろうと、上物は上物だ。兄ちゃん、【魔獣の消し炭】ん中から【魔道士の涙】を抜いてこの袋に、炭はこっちの皿に盛ってくれ」
店主はそれだけ指示すると、ミックスサンドの残りを食べ始めた。
クルィーロは口紐を固く締め直し、【魔獣の消し炭】が入った皮袋を揉んで炭を崩す。力を籠めると魔獣を焼いた炭が音を立てて崩れた。元が何だったのかなるべく考えないようにして、両手ですり潰しながら揉みしだく。
袋越しの感触から大きな塊がなくなる頃には、店主が昼食を終え、クルィーロの知らない呪符を書く作業に取り掛かった。特殊なインクが詰まった色とりどりの瓶の中からひとつを開け、銀のペンで掌大の羊皮紙に呪印と呪文を魔力を籠めて刻み込む。
クルィーロは【操水】で皮袋に水を流し込み、炭と赤い胡麻粒のような【魔道士の涙】を選り分ける。
呪符屋の店主は、その作業が終わるより先に一枚書き上げ、乾燥棚に置いた。クルィーロがチラリと見ると、複雑な呪印と呪文がびっしり書いてあった。
店主は新しい羊皮紙を取って同じ呪符を黙々と書く。銀のペン先から羊皮紙の上に繊細な呪印がすらすら現れる様は、それ自体が魔法に見えた。
何度も水を出し入れして、胡麻粒の大きさの赤い【魔道士の涙】を袋に残し、黒い炭だけを水で洗い流す。白い皿の上に炭が山盛りになった。
クルィーロは、時々皮袋を覗いて炭が残っていないか確めた。炭の粉は水に溶けて先に排出できたが、炭のかけらは粒が大きく、水には溶けない。全部出せたと思ってもまだまだ皮袋の毛羽に引っ掛かっていた。
クルィーロが分別作業を終えた時、店主は五枚目の呪符に手を着けていた。書き上がるのを待って声を掛けると、余程作業に集中していたのか、店主は夢から醒めたような顔でクルィーロを見て、皿を見遣った。
黒く粗い粉が、白い大皿に山を成す。店主は皮袋を覗くと、満足げに頷いた。
「兄ちゃん、素人にしちゃ上手ぇじゃねぇか」
「薬師さんの手伝いをしてたんで、それでだと思います」
「ん? あぁ、あの坊主が言ってた薬師か。いつもありがとよ」
「お伝えします」
店主は鳩が豆鉄砲を食らったような顔で黙り、一呼吸置いて笑いだした。
「兄ちゃん、お前さんに言ったんだよ。本職の薬師だってあんな大量の魔法薬、手伝いの奴が居なきゃムリってもんだ」
「そうですか? 手伝いったって、薬草の枯れたトコを手で千切って捨てたりとか……そんな程度ですよ?」
「そいつぁ何キロ分の薬草で、何時間掛かった?」
「あっ……」
クルィーロが気付いて息を呑む。あんな作業まで全て薬師アウェッラーナ一人にさせていたら、まだドーシチ市から出られなかっただろう。
呪符屋の店主は真顔に戻り、【魔獣の消し炭】から抜いた【魔道士の涙】の袋をジャラジャラ鳴らして言った。
「こいつだってそうだ。ちまちま手作業でやってたんじゃ、何日掛かるかわかりゃしねぇ。下請けだろうが何だろうが、自分の仕事に誇りってモンを持てよ」
「……はい」
クルィーロは店主の声が身体の芯に染み込んだような気がして、熱くなった胸の奥から返事をした。




