519.呪符屋の来客
「さあなぁ? アーテル軍が何しようとしてんのかわからんことにゃ、何とも言えんさ。今んとこ気にしてんのは、あっちに親戚や知り合いが居る連中くらいなもんだ」
客の魔法戦士は他人事だ。
呪符屋の店主がその話題を打ち切る。
「で、今日は何を買いに来てくれたんだ?」
「この魔獣の消し炭で【巣懸ける懸巣】学派の【防火】と【補強】を買えるだけ全部だ」
「そんなモン、お前さんがどうすんだ?」
「頼まれ物なんだ。エージャの親戚が心配だから、これでちょっとでもって」
「お前さん、エージャに行ったコトあんのかい?」
「いや。俺は護衛としてついて行くんだ」
呪符屋の店主は、カウンターの背後を埋める棚の抽斗を開け、呪符の在庫を調べながら言う。
「エージャは空襲で焼けなかったのか?」
「何回か爆撃されたらしいが、北ザカート市みたいに丸焼けってことはないらしい」
「ふぅん。あんまり需要がねぇから、数が少ないが、足りなきゃ他所で頼んでくれ」
客の魔法戦士が皮袋を渡し、店主が検品しに奥へ引っ込む。クルィーロは店番をしにカウンターに出た。
「茶ぁ出してやってくれ」
「はい」
店主に言われ、カウンターの下からティーカップと茶葉の缶を取り出した。ティーポットが見当たらない。水瓶から一杯分だけ【操水】で汲み、宙で湯を沸かして香草を混ぜる。甘い香りがふわりと広がり、不穏な話にざわついた心が鎮まった。
ティースプーン半分程の量で香草茶一束分か、それ以上の効果がはっきり感じられた。
……あ、これ、香草茶じゃなくて鎮花茶だ。
「どうぞ」
「おっ、ありがとよ」
カウンターに寄り掛かっていた客が椅子に落ち着き、ティーカップを受け取った。
「兄ちゃん、見ねぇツラだな。弟子入りしたのか?」
「いえ、臨時の手伝いなんです」
「ふぅん。開戦からこっち、職人連中は忙しくなったもんなぁ」
「そうですねぇ」
迂闊なことを言ってネモラリス人だと気付かれるワケにはゆかない。会話は弾まないが、クルィーロは短く答えた。
……あ、でも、この人、護衛って言ってたよな。何かニュースに出てないことを他の仕事の人より知ってるかも?
「お客さん、ネーニア島へはよく行くんですか?」
「いや、今回が初めてだ。この島の出で、他所は王都くらいしか用がねぇし」
「そうなんですか。怖くないですか?」
「何かあっても人間が相手なら【跳躍】で逃げるなり何なりできるからな。ツマーンの森に出たとか言うあり得ねぇくらいでかい火の雄牛や濃紺の大蛇が相手じゃ、逃げ切れる自信もねぇけどよ」
「えっ? 【急降下する鷲】の人でもですか?」
クルィーロは驚いて客の顔を見詰めた。その驚きも、鎮花茶の香にすぐ打ち消される。
客の魔法戦士は苦笑いした。
「ニュース見なかったか? 火の雄牛のせいで北ヴィエートフィ大橋の守備隊が壊滅して橋の扉もぶっ壊されちまったんだぞ?」
「えっ?」
知っているどころか、その火の雄牛に追われて、このランテルナ島に逃げ込む羽目になったのだ。
クルィーロが驚くフリで誤魔化すと、魔法戦士は鎮花茶を一口啜って言った。
「濃紺の大蛇は、ラクリマリス軍の精鋭部隊が何とか倒したそうだが、三日も掛かったらしい。今までそんな桁違いに強ぇのなんて聞いたコトねぇ」
「そうですよねぇ。何で急にそんなのが涌いたんでしょう?」
魔法戦士は首を横に振った。
「さあなぁ? だが、戦争は関係なさそうだ」
「どうしてそう思うんですか?」
「空襲でやられたネモラリス人を食ったんなら、クブルム山脈の北側に居なきゃ変だろ? 何で南のツマーンの森なんかに居るんだってハナシだ」
「あぁ……そう言われてみれば、そうですよね」
元々話好きなのか、クルィーロが心底感心したように相槌を打ってみせると、魔法戦士は饒舌になった。
「なっ? おかしいだろ? 俺は駆除屋で、商売柄ちょくちょく本土へ行くんだが、西部でもそんなの見たコトねぇよ。兄ちゃん、大陸領の西寄りってどんなのが出るか知ってるか?」
「いえ……行ったコトないんで……」
「あぁ、あんなトコ、行かねぇ方がいい。湖西地方に近いから、ここよりずっと数も種類も多いし、でかいのも多いんだ」
客が身振りを交えて魔獣退治の苦労を語り、クルィーロはひたすら相槌を打つ。
頃合いを見計らって、質問を挟んだ。
「でも、何でキルクルス教徒の人は、自力で身を守れないのにそんなトコ住んでるんでしょうね? 俺は戦えませんけど、家の【結界】に魔力を足すくらいのことはできますよ」
「先祖代々そこに住んでて、自分の畑から離れられんのだとよ」
「でも、魔獣とかに食べられたら、元も子もないですよね?」
魔法戦士はニヤリと笑った。
「あぁ、そうさ。だから、俺らみたいな業者がこっそり雇われるんだ。感謝してくれる客も居るが、ゴミを見る目でカネを投げて寄越す輩も居る」
「えっ? 助けてもらったのに……ですか?」
……それに、魔法……【急降下する鷲】の術は人間にも効くのに。自分より強い奴によくそんなコトできるよなぁ。
クルィーロが呆れて言うと、魔法戦士は嘲った。
「奴らはカネのチカラで俺らを思い通りに支配できると思ってるんだ。少なくとも俺は、そんな態度を取った奴らとは二度と契約せんし、そのせいでそいつらが死んだだの何だの文句を言う奴とも契約してやらん」
「そりゃそうですよね。魔法使いがイヤなら、軍隊に守ってもらえばいいのに」
クルィーロが頷くと、魔法戦士は我が意を得たりとばかりにカウンターを叩いて捲し立てた。
「だろ? でも、アーテルの正規軍じゃ実体のない魔物には攻撃を当てらんねぇから、魔物が出たっつっても、誰かが食われて実体化するまで何もしてくれねぇんだ」
「本土の方じゃそんな酷いコトになってるんですか」
「あぁ、昔はみんな一緒に住んでて、ご近所さんが助けてくれてたからよかったが、国が分かれてからこっち、酷いモンだ。ついこの間も、アクイロー基地が魔獣の群に襲われて壊滅したばっかだ」
「魔獣の群……?」
クルィーロは隊長たちの帰りを待つ間、ファーキルから教えてもらった作戦を思い出したが、知らないフリで首を傾げた。
アクイロー基地はついこの間、ソルニャーク隊長たちが武闘派ゲリラと共に襲撃した基地だ。アーテル政府は、ネモラリス人のゲリラの仕業だと言うと国民が動揺するから、魔獣に襲われたと発表した方がマシだと判断したのだろう。
☆襲撃した基地……「459.基地襲撃開始」「460.魔獣と陽動隊」「461.管制塔の攻略」「465.管制室の戦い」参照




