0053.初めてのこと
外の様子はわからないが、冷え込みが厳しくなり、日が傾いたとわかった。
もうすぐ夜になる。
今日も、ここに足留めされた。
生きるか死ぬか、はっきりしない。
こんな時間が、こんなに辛いとは知らなかった。
少年兵モーフは、リストヴァー自治区を一歩出てからずっと、知らないことすら知らなかったこと、初めてのことの連続だった。
自治区で暮した十数年間、目を開けたまま半ば寝ていたのか、半分死んでいたのかと思うほど、今のモーフは生きていた。
自分の年齢すら曖昧な程、ただ、生きる為だけに生きてきた。
来る日も来る日も地べたを這いずり、顔を上げて前を見ることもできず、足許だけを見詰めて、同じ日々を繰返してきた。
静まり返った護送車の中で、自治区を出てからのことを思い返す。
火焔瓶を投げる前に見たゼルノー市の街並、手榴弾を投げる前の建物は、見たこともない美しさだった。
工場の前以外にも、車が通れる舗装道路がある。
逃げる人々の身なりは、モーフの近所の誰よりもよかった。
手榴弾で崩れた家々は、トタン以外の材料でできていた。手榴弾は、土やコンクリートの壁をも易々と破壊した。
魔法使いでも、機関銃で撃てば簡単に死ぬことがわかった。
湖の民の髪は緑だが、血の色は自分たち陸の民と同じ、赤だと知った。怪我をすれば、自分たちと同じに苦しむことも知った。
親を殺された子が泣くことも、子を失った親が泣くことも、自分たちと同じだと知った。
彼らもまた、人間だった。
力ある民の魔法使いとモーフたち力なき民の違いは、本当に「魔力の有無」以外にないと初めて気付いた。
……同じ人間なのに、何でこんなに扱いが違うんだよ。
火焔瓶を投げ尽くした後は、機関銃の操作を手伝った。
目標地点の市民病院は、元トラックの運転手が言う通り、キレイで立派だった。
鼻を突くツンとした病院の匂いは、「消毒薬」と言う物だと教えてもらった。傷口などをキレイに洗う薬だと言う。
モーフは、傷を洗うのに薬を使うなどという話を、初めて耳にした。
リストヴァー自治区のバラック街では、傷を洗う水さえ汚れている。傷が膿んで命を失う者が後を絶たない。
そもそも、モーフは「病院」というもの自体、初めて目にした。
元トラックの運転手は、ここで足を元通りに繋げてもらったと言う。
一度取れた足を元通りにできるなら、姉の足も、歩けるようにできるのではないか。少年兵モーフは、生まれて初めて「治療」の可能性に思い至った。
だが、すぐに諦めた。
……カネがなきゃ、ダメなんだ。
諦めは悲しみになり、悲しみは怒りに変わった。
その怒りを弾に籠め、少年兵モーフは自動小銃を撃ち続けた。
弾が尽き、魔法使いの医者に追い詰められるまで、手当たり次第に自治区外の人間を殺した。治療を受けられる者たちを、取り返しのつかない死体に変えた。
警察官は、星の道義勇兵を「法の裁きに掛ける為」と言って、生け捕りにした。
自治区で野菜泥棒をすれば、農家の自警団にその場で射殺されるのが、日常茶飯事だ。
家族の誰かが、他所の誰かから何か悪いことをされれば、報復する。復讐の力を持たない家は、泣き寝入りするしかない。
少年兵の父は、工場の事故で亡くなったが、労働者の命は機械の部品より安く、その死は家族以外の誰からも、顧みられることはなかった。
モーフにとって、「法」とは即ち、「力」だった。
腕力、経済力、生産力、知力、技術力……
何でもいいので、何か「力」を持つ者だけが要求を通せる。
警察官に「法の裁き」と言われ、殺されると思ったが、まだ生かされている。
食糧も与えられた。
この地に於ける「法」とは何なのか。
モーフは自治区の外の世界が、自分の知らない基準で動くのは知っていたが、それがどんなものか、想像がつかなかった。
自分たちがどう扱われるか、隊長に説明されたが、ぼんやり想像しただけで、具体的な様子はわからなかった。
はっきりわかったのは、こちら側の住人が、「魚」と言う旨いものを食べることだけだ。
捕虜に投げて寄越せる程、彼らにとっては安いものなのだ。
モーフは、この世にこんな旨いものがあるのかと感動した。
その興奮が醒めると、ふつふつと、怒りがこみ上げて来た。
魔法使いは、常日頃からこんな旨いものを独占していたのだ。
こんな贅沢な食事を……いや、彼らにとって、投げ与えても惜しくない物を、贅沢と感じてしまう自分たちの暮らしの惨めさを、改めて思い知らされた。
自治区の外へ出るまで、「魚」の存在そのものを、伝聞でしか知らなかった。
自治区の外へ出るまで、他の暮らしを知らず、こんな物だと思って過ごした。
今、改めて、自治区と外の世界の格差を目の当たりにした。
初めて感じる種類の怒りと羞恥だった。
情けなさと恥ずかしさ、悲しみと怒りが綯い交ぜになり、言葉にならない混沌に胸が掻き乱される。
何かに対して、こんなに心動かされたのは、生まれて初めてだった。
冷たい床に座り、抱えた膝に顔を埋め、モーフは自分の心と向き合った。
こんなにも「自分」について考えたのも、初めてだった。
家に居た頃は、生活に追われていた。
星の道義勇軍に入ってからは、訓練や戦闘準備、教団の奉仕活動で忙しく、何かを考える暇はなかった。
日々、新しいことを覚え、新しいことをするだけで精一杯だった。
今、少年兵は何もすることがなく、これからについて考える材料もなく、自分と向き合う他ない。
隊長は、モーフだけは殺されないだろう、と予測した。
子供だからと言うのが理由らしいが、モーフには信じられなかった。
自治区では、幼い子供でも、野菜泥棒は即座に射殺される。
モーフ自身、もう小さな子供ではなく、一人前の兵士だとの自負がある。
暮らしに追われ、他に選択の余地がなく、自分の意思とは無関係に朝から晩まで働かされた日々とは、違う。
モーフ自身が、自らの意思で決め、この手に武器を取ったのだ。
魔法使いに復讐できるなら、この命など惜しくはない。
自分一人が生き残って、何ができるだろう、と考える。
素手でも戦えるよう、訓練は受けた。
力なき民が相手なら、これで充分だ。魔法使いが相手では、こんな武術は何の役にも立たないと思い知らされた。
女子供相手に不意打ちなら、まだ、勝てる自信はある。
警察官には、あっという間に制圧されてしまった。
厳しい訓練に耐えて来た結果が、これだった。
☆今日も、ここに足留め/静まり返った護送車の中……「0037.母の心配の種」「0043.ただ夢もなく」~「0046.人心が荒れる」参照
☆少年兵モーフは、リストヴァー自治区を一歩出て……「0037.母の心配の種」参照
※戦闘の被害……「0010.病室の負傷者」「0011.街の被害状況」「0020.警察の制圧戦」「0021.パン屋の息子」~「 0025.軍の初動対応」「0028.運河沿いの道」~「0030.状況を読む力」参照
☆弾が尽き、魔法使いの医者に追い詰められる……「0013.星の道義勇軍」「0014.悲壮な突撃令」「0017.かつての患者」「0019.壁越しの対話」参照




