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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第二章 印歴二一九一年二月二日

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0053.初めてのこと

 外の様子はわからないが、冷え込みが厳しくなり、日が傾いたとわかった。


 もうすぐ夜になる。

 今日も、ここに足留めされた。

 生きるか死ぬか、はっきりしない。

 こんな時間が、こんなに辛いとは知らなかった。


 少年兵モーフは、リストヴァー自治区を一歩出てからずっと、知らないことすら知らなかったこと、初めてのことの連続だった。

 自治区で暮した十数年間、目を開けたまま半ば寝ていたのか、半分死んでいたのかと思うほど、今のモーフは生きていた。


 自分の年齢すら曖昧な程、ただ、生きる為だけに生きてきた。

 来る日も来る日も地べたを這いずり、顔を上げて前を見ることもできず、足許だけを見詰めて、同じ日々を繰返してきた。


 静まり返った護送車の中で、自治区を出てからのことを思い返す。

 火焔瓶を投げる前に見たゼルノー市の街並、手榴弾を投げる前の建物は、見たこともない美しさだった。

 工場の前以外にも、車が通れる舗装道路がある。


 逃げる人々の身なりは、モーフの近所の誰よりもよかった。

 手榴弾で崩れた家々は、トタン以外の材料でできていた。手榴弾は、土やコンクリートの壁をも易々(やすやす)と破壊した。


 魔法使いでも、機関銃で撃てば簡単に死ぬことがわかった。

 湖の民の髪は緑だが、血の色は自分たち陸の民と同じ、赤だと知った。怪我をすれば、自分たちと同じに苦しむことも知った。

 親を殺された子が泣くことも、子を失った親が泣くことも、自分たちと同じだと知った。


 彼らもまた、人間だった。


 力ある民の魔法使いとモーフたち力なき民の違いは、本当に「魔力の有無」以外にないと初めて気付いた。


 ……同じ人間なのに、何でこんなに扱いが違うんだよ。


 火焔瓶を投げ尽くした後は、機関銃の操作を手伝った。


 目標地点の市民病院は、元トラックの運転手が言う通り、キレイで立派だった。

 鼻を突くツンとした病院の匂いは、「消毒薬」と言う物だと教えてもらった。傷口などをキレイに洗う薬だと言う。

 モーフは、傷を洗うのに薬を使うなどという話を、初めて耳にした。


 リストヴァー自治区のバラック街では、傷を洗う水さえ汚れている。傷が()んで命を失う者が後を絶たない。

 そもそも、モーフは「病院」というもの自体、初めて目にした。

 元トラックの運転手は、ここで足を元通りに繋げてもらったと言う。


 一度取れた足を元通りにできるなら、姉の足も、歩けるようにできるのではないか。少年兵モーフは、生まれて初めて「治療」の可能性に思い至った。

 だが、すぐに諦めた。


 ……カネがなきゃ、ダメなんだ。


 諦めは悲しみになり、悲しみは怒りに変わった。

 その怒りを弾に籠め、少年兵モーフは自動小銃を撃ち続けた。

 弾が尽き、魔法使いの医者に追い詰められるまで、手当たり次第に自治区外の人間を殺した。治療を受けられる者たちを、取り返しのつかない死体に変えた。


 警察官は、星の道義勇兵を「法の(さば)きに掛ける為」と言って、生け捕りにした。


 自治区で野菜泥棒をすれば、農家の自警団にその場で射殺されるのが、日常茶飯事だ。

 家族の誰かが、他所の誰かから何か悪いことをされれば、報復する。復讐の力を持たない家は、泣き寝入りするしかない。

 少年兵の父は、工場の事故で亡くなったが、労働者の命は機械の部品より安く、その死は家族以外の誰からも、顧みられることはなかった。


 モーフにとって、「法」とは(すなわ)ち、「力」だった。

 腕力、経済力、生産力、知力、技術力……

 何でもいいので、何か「力」を持つ者だけが要求を通せる。


 警察官に「法の裁き」と言われ、殺されると思ったが、まだ生かされている。

 食糧も与えられた。


 この地に()ける「法」とは何なのか。


 モーフは自治区の外の世界が、自分の知らない基準で動くのは知っていたが、それがどんなものか、想像がつかなかった。

 自分たちがどう扱われるか、隊長に説明されたが、ぼんやり想像しただけで、具体的な様子はわからなかった。


 はっきりわかったのは、こちら側の住人が、「魚」と言う旨いものを食べることだけだ。


 捕虜に投げて寄越せる程、彼らにとっては安いものなのだ。

 モーフは、この世にこんな旨いものがあるのかと感動した。

 その興奮が醒めると、ふつふつと、怒りがこみ上げて来た。


 魔法使いは、常日頃からこんな旨いものを独占していたのだ。

 こんな贅沢(ぜいたく)な食事を……いや、彼らにとって、投げ与えても惜しくない物を、贅沢と感じてしまう自分たちの暮らしの惨めさを、改めて思い知らされた。


 自治区の外へ出るまで、「魚」の存在そのものを、伝聞でしか知らなかった。

 自治区の外へ出るまで、他の暮らしを知らず、こんな物だと思って過ごした。


 今、改めて、自治区と外の世界の格差を目の当たりにした。

 初めて感じる種類の怒りと羞恥(しゅうち)だった。

 情けなさと恥ずかしさ、悲しみと怒りが()()ぜになり、言葉にならない混沌に胸が掻き乱される。


 何かに対して、こんなに心動かされたのは、生まれて初めてだった。


 冷たい床に座り、抱えた膝に顔を埋め、モーフは自分の心と向き合った。

 こんなにも「自分」について考えたのも、初めてだった。


 家に居た頃は、生活に追われていた。

 星の道義勇軍に入ってからは、訓練や戦闘準備、教団の奉仕活動で忙しく、何かを考える暇はなかった。

 日々、新しいことを覚え、新しいことをするだけで精一杯だった。


 今、少年兵は何もすることがなく、これからについて考える材料もなく、自分と向き合う他ない。


 隊長は、モーフだけは殺されないだろう、と予測した。

 子供だからと言うのが理由らしいが、モーフには信じられなかった。

 自治区では、幼い子供でも、野菜泥棒は即座に射殺される。


 モーフ自身、もう小さな子供ではなく、一人前の兵士だとの自負がある。

 暮らしに追われ、他に選択の余地がなく、自分の意思とは無関係に朝から晩まで働かされた日々とは、違う。

 モーフ自身が、自らの意思で決め、この手に武器を取ったのだ。


 魔法使いに復讐できるなら、この命など惜しくはない。

 自分一人が生き残って、何ができるだろう、と考える。


 素手でも戦えるよう、訓練は受けた。

 力なき民が相手なら、これで充分だ。魔法使いが相手では、こんな武術は何の役にも立たないと思い知らされた。


 女子供相手に不意打ちなら、まだ、勝てる自信はある。

 警察官には、あっという間に制圧されてしまった。

 厳しい訓練に耐えて来た結果が、これだった。

☆今日も、ここに足留め/静まり返った護送車の中……「0037.母の心配の種」「0043.ただ夢もなく」~「0046.人心が荒れる」参照

☆少年兵モーフは、リストヴァー自治区を一歩出て……「0037.母の心配の種」参照


※戦闘の被害……「0010.病室の負傷者」「0011.街の被害状況」「0020.警察の制圧戦」「0021.パン屋の息子」~「 0025.軍の初動対応」「0028.運河沿いの道」~「0030.状況を読む力」参照


☆弾が尽き、魔法使いの医者に追い詰められる……「0013.星の道義勇軍」「0014.悲壮な突撃令」「0017.かつての患者」「0019.壁越しの対話」参照

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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