517.PV案を出す
老議員は背筋を伸ばし、和音を掻き鳴らした。
しんみりした空気を一新し、筋張った皺だらけの指が、明るく軽快な国民健康体操の曲を紡ぎ出す。
四人の少女は前奏が始まった途端、花束よりも明るい笑顔になり、天井の高い白壁の部屋に歌声を響かせた。
ネーニア ネモラリス フナリス ラキュスの島よ
ランテルナ アーテル 岸辺も元はひとつ
心を鎮めて 湖畔に立って
新しい日々みつめ みんなと手をつなごう
平和な明日へ 思いを歌にして
みんなの強い願い 謳い続けようよ
勇気を与え はばたく歌ここに
平和な未来の 夢 叶う日まで
ネモラリス難民の子供が作ったと言う詩に合わせて、少女たちは表情を変え、見る者を視線で誘導し、ちょっとした仕草で媚びと愛嬌を振り撒く。
歌と言えば宴やコンサートの生演奏、ラジオとレコードが中心のネモラリス人にとって、彼女らが歌に付け加える多彩な視覚効果は新鮮で、目を見張るものがあった。
ネーニア ネモラリス フナリス ラキュスの島よ
ランテルナ アーテル 岸辺も元はひとつ
悲しい思い出 さあ涙を拭いて
違うとこも含めて 本当の友達
下ろした拳で ひとつの環をつくる
つないだその手で今は 共に目指すひとつ
みんなを信じて 輝く歌ここに
平和な未来の 夢 諦めないよ
少女たちは一糸乱れぬ動きで歌詞の通りに涙を拭い、視線を交わして微笑み合い、拳を上げて下ろしてみせ、花束を軽く脇に抱えて手を繋いで輪になる。
解いた手で一点を指し示して、ここに居ない視聴者に瞳で語りかけながら歌った。
魔力 あっても なくても ひとつの民よ
樫と 星の道 湖 陸も仲間
これから作ろう 幸せな笑顔
いつまでも続く日々を 心から願おう
すべてはひとつ 等しく大切な
みんなで 謳おうよ 心からこの歌を
希望を与え はばたく歌ここに
平和な未来の 夢 叶えようよ
幸せな明日の 花 咲かせようよ
樫の葉色の帯の端をつまんで持ち上げ、胸の高さでするりと手を放して指で聖なる星の道の楕円を描く。“すべてはひとつ”の歌声に合わせて花束を寄せ、一塊にした。
アルキオーネとアステローペが、花束を両手で抱え直して歌いながら前に出て跪く。片手で花束、もう一方の手で濃い緑の帯の端を持ち、花束を掲げて後ろの二人の分と一塊にして、最後の一節を歌いあげた。
後ろの二人も帯の端を持ち、四本の緑を広げたポーズで竪琴の余韻が消えるまで花のような笑顔を咲かせ続けた。
余韻が消えてから一呼吸置いて、録画の係が終了の合図を送る。少女たちは同時に息を吐き、姿勢を崩した。アルキオーネが立ち上がり、裾を払いながらラクエウス議員と録画の係を見る。
「どうでした?」
「まさか、ぶっつけ本番でここまで上手くできるとは思っておらなんだ。脱帽だ」
「スゴイよ、君たち! これならリテイクなしで行けるよ。じゃ、俺、ラゾールニクさんに送ってくる!」
録画係は上気した顔で少女たちに言うと、撮影機材を抱えて出て行った。残った係員二人が花束を籠に回収して、窓を開ける。花の香が湖からの風に掻き回され、くっきりと感じられた。
「台詞はぶっつけ本番でしたけど、カンペがありましたし、曲の方はみんなで振りつけ考えてたんですよ」
エレクトラがあっけらかんと言い、額にうっすら浮かんだ汗を手の甲で拭った。ラクエウス議員との練習の後、それぞれが匿われている家へ帰る道すがら、少しずつ考えたのだと言う。
「原曲を知る者には国民健康体操そのものでいいが、体操を知らぬ若い世代にどう訴求すべきか、悩んでおったのだ」
「これでバッチリですよ。ねぇ?」
アステローペが屈託のない笑顔を係員たちに向ける。二人は金髪の少女の豊満な胸から視線を逸らし、無言で頷いた。タイゲタが小さく溜め息を吐き、アルキオーネがラクエウス議員に向き直る。
「ラクエウス先生、私たちにもその体操、教えて下さい。次は体操服を着て、歌と体操、両方流しましょう」
「儂はもう実演できんから、アサコールさんに言って体操を指導できる者を手配してもらうとしよう」
齢九十を越えるラクエウス議員は苦笑しながらも、彼女らの熱意に応えるべく約束した。
「それと、作りかけの歌って、歌詞を募集してるんでしたよね?」
「あぁ、集まってはおるが、まだまだ完成には程遠い状態だがな」
「その募集の動画も作りましょう」
アルキオーネに次々と提案され、ラクエウス議員は思わず若い係員を見た。ネモラリス建設業協会の青年たちは、困惑の視線を返すだけで何も言わない。映像の撮影や編集が本業ではない彼らは、詳しくないのだろう。
「ふむ。どんな映像だね?」
「私たちが四人で一輪だけお花を持って、歌詞があるところまで歌います」
「ふむ」
「後は竪琴が終わるまでそのポーズでじっとして、最後に『あなたが考えた歌詞を教えてね』って言っておしまいです」
「それだけかね?」
ラクエウス議員が素っ気ない内容に驚くと、アルキオーネは人差し指を立て、宙に字を書く真似をしながら言った。
「後から編集で文字を被せてもらうんです。歌ってるとこまでは歌詞のテロップ、黙ってるとこは今まで集まった歌詞を色んな色、色んなフォントでバラバラに出して“今こんなの来てますよ”ってするんです」
「成程なぁ。わかった。他の者にも聞いてみよう」
映画のスタッフロールのようなものを想像し、ラクエウス議員は若いアーテル人の柔軟な発想に感心して応じた。




