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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第二十一章 急変

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513.見知らぬ老人

 誰が【跳躍】してきたのかと、呪医セプテントリオーは目を凝らした。

 雪のような白髪を頂いた老人だ。常命人種なのか、セプテントリオーの倍くらい生きた長命人種なのか、外見だけではわからない。


 「こんばんは。シルヴァは居りますか?」

 落ち着いた声で知り合いの名を出され、反射的に答える。

 「外出しています。行き先や帰る時間は伺っておりません。失礼ですが、あなたは……?」

 「この別荘の所有者の身内で、スニェーグと申します。あなたは、セプテントリオー呪医(せんせい)ですね? お噂はかねがね、ラゾールニクから耳にしております」

 スニェーグと名乗った老人は、セプテントリオーが首から提げた徽章(きしょう)を見て言う。


 ラゾールニクの用件は、スニェーグとの顔合わせだったと思い到り、改めて名乗った。

 「申し遅れました。ご賢察通り、【青き片翼】の呪医セプテントリオーと申します。あなたが、ラゾールニクの言っていた武力に依らず平和を目指すグループの方ですか?」

 「そうです。主な活動は、慈善コンサートです。その収益で、焼け出された人々や国外へ逃れた人々の支援を行っております」

 夕日の残滓を背負い、老人の表情は窺い知れないが、その穏やかな声はセプテントリオーを安心させてくれた。


 スニェーグは別荘の扉に顔を向け、変わらぬ口調で言う。

 「ここの状況は、ラゾールニクから報告を受けております。この物件は私の所有物ではございませんので、使途について口出しできないのですよ」

 声に申し訳なさそうな色を感じ、呪医セプテントリオーは思わず頭を下げた。

 「いえ、こちらこそ厚かましく勝手を致しまして、恐れ入ります」

 「呪医のせいではありませんよ。彼らに武力行使をやめるよう、ずっと説得して下さっていたのでしょう」

 「ですが、私では彼らを止められませんでした」

 顔を上げてスニェーグの言葉を聞いていたセプテントリオーは、項垂(うなだ)れた。湖の民の緑の髪が夕日を受け、何とも言えない色に染まる。


 「彼らが求めているのは癒しや救いではなく、死に場所なのですよ」

 スニェーグは老婦人シルヴァと同じ言葉を口にした。

 「誰が何と言っても、半ば棺に入った者たちが耳を傾けることはありません。誰かの気を惹く為の狂言自殺ではなく、本当の絶望に囚われているのですよ」

 「ですが……」

 「それに、彼らの活動が、全く無駄で有害なだけだったワケではありません。外交上、人道上の問題は含んでいても、現にアーテル本土でのテロ対策に兵員を()かざるを得なくなってからは、空襲の頻度が下がり、アクイロー基地が壊滅してからの三日間は、偵察機すら飛んでいません」


 ……どこでその情報を手に入れたんだ?


 諜報員ラゾールニクはアクイロー基地襲撃作戦には加わっておらず、今日までこの拠点に姿を現さなかった。

 呪医は、オリョールたちから詳しい戦果を聞いていない。聞いたところで、それどころではなく、記憶に留まらなかっただろう。


 「……その分、多くの人々が殺されずに済んだのですよ」

 呪医セプテントリオーは、スニェーグの言葉を噛みしめた。

 一見、正論のようだが、同意はできない。反論の言葉がみつからず、老人の肩越しに今日の残りの光を見た。

 空の端に消えゆく光の中で、鴉の群が三々五々、(ねぐら)へ帰る。


 ……鴉でさえ、帰る場所があると言うのに。


 「呪医(せんせい)、王都へ行って下さいませんか? これ以上ここに留まったところで、得られるものも与えられるものもないでしょう」

 その言葉に胸の奥が痛み、セプテントリオーは返事ができなかった。

 「王都には、呪医(せんせい)のお力を必要とする人々が居ります」

 「アミトスチグマの難民キャンプではないのですか?」

 「はい。正確には……」

 そこへ、湖の民の警備員ジャーニトルと、力ある民のクリューヴが戻ってきた。膨らんだ布袋を手に見知らぬ老人へ警戒の目を向ける。


 「いつもシルヴァがお世話になっております。私もこの物件の所有者の身内です」

 「親戚の方ですか。こちらこそ、すっかりお世話になってすみません」

 「晩ごはん、ご一緒にどうですか? 木の実とかいっぱい採れたんで」

 クリューヴが恐縮し、湖の民ジャーニトルが袋を上げてみせる。


 「いえ、少し様子を見に来ただけですので、すぐにお(いとま)しますよ。シルヴァも留守だそうですし」

 「すみません。シルヴァさんは毎日居るワケじゃなくて、どこで何してるのか聞いても教えてくれないんで……」

 クリューヴが眉を下げ、小さな声で詫びる。

 「いえいえ、シルヴァの件はみなさんのせいではありませんから、お構いなく。それでは、今日のところはこれで失礼します」

 白髪の老人スニェーグは愛想よく言って【跳躍】した。


 「あ、呪医(せんせい)、水遣りしてくれたんですね。ありがとうございます」

 「気が付かなくってすみません」

 ジャーニトルが屈託なく礼を言い、クリューヴが申し訳なさそうに頭を下げる。萎れかけ、項垂れていた野菜の葉は、少し勢いを取り戻して空を見上げていた。



 食堂に入ると、葬儀屋アゴーニが香草茶を淹れるところだった。

 警備員オリョールと呪符職人、武器職人は空のティーカップを前に睨みあっている。気マズい空気を振り払おうと、ジャーニトルが殊更に明るい声を出した。

 「今日は木の実がいっぱい採れたんだ」

 布袋の口紐を緩めると、甘酸っぱい香りが溢れた。睨み合う三人は身じろぎひとつしない。クリューヴが、みんなにおどおど視線を巡らせ、床を見詰めた。

 ゲリラの【魔道士の涙】をひとつ残らず諜報員ラゾールニクに持って行かれた今、(いさか)いの種はなくなった筈だが、何故、こんなにも空気が張り詰めているのか、呪医セプテントリオーにはわからなかった。


 葬儀屋アゴーニが宙に漂わせた水を沸かし、香草の束を投げ込む。草を含んだ熱湯が渦を巻き、清冽な芳香が食堂に広がった。香草茶を宙で大きく広げ、薬効のある芳香を行き渡らせてカップに注いだ。

 アゴーニは出涸らしを皿に置き、何も言わずにカップを口許へ運ぶ。呪医ひとりがカップを上げ、小声で礼を言った。


 老婦人シルヴァはまた、身を捨てる程に絶望した者を勧誘しに行ったのだろう。今のネモラリスには、何もかも失った者があまりにも多かった。


 ……ここに来なくても、力ある民はアーテルに土地勘があれば個人でも、戦いに行ける。


 呪医セプテントリオーは、わかりきったことを心の(うち)に確認した。

 彼らの全てを説得して、戦いをやめさせるのは不可能だ。身を守る為の【不可視(みえず)(たて)】を教えた者も、今はクリューヴ一人しか生き残っていない。

 先程、スニェーグは何を言おうとしていたのか。少なくとも、武闘派ゲリラには聞かせられないのだろうが、具体的にどんな話なのかは皆目見当がつかない。


 ……王都で私の力が必要だって?


 王都ラクリマリスは、フラクシヌス教の聖地を擁する信仰の中心地だ。

 様々な系統の医術を修めた聖職者が大勢いる。アゴーニと同じ【導く白蝶】学派の術は、葬祭を執り行う必須の技能として、下級の神官でも修めていた。

 世俗の病院や葬儀業者の代わりに、神殿や施療院で治療や葬祭を行う。

 フラクシヌス教団の施療院が半世紀の内乱後、民間病院になったと言う話は聞いたことがない。

 個人経営の小さな診療所の手伝いで、あんな言い方をするとは思えないが、他に何の力を求められているのか想像がつかなかった。


 半世紀の内乱後、呪医セプテントリオーは、医療産業都市クルブニーカとその隣のゼルノー市くらいにしか行っていない。

 知っている街の変わり果てた姿を見るのが怖かったからだが、今更ながら、ネモラリス共和国の「首都」として生まれ変わったクレーヴェルと、改めて「王都」に戻ったラクリマリスの様子くらいは確めておけばよかった、と後悔が押し寄せる。


 ……そうすれば、あの子たちをこんな所ではなく、もっと安全な場所へ送ってあげられた筈だ。


 クロエーニィエの話では、あのフィアールカと言う湖の民の運び屋は、カネさえ払えば依頼をきちんとこなし、商売人としては信用できる人物らしい。

 ファーキルは既にフィアールカに【跳躍】の代金を払っていた。トラックを諦めて、早くラクリマリスに【跳躍】してくれるよう、祈るしかない。



 「どうやら、あんたたちとは上手くやって行けんようだな」

 武器職人がカップを置いて宣言した。落ち着いた声は揺るぎない決断を告げ、誰にも反論を許さない。クリューヴが怯えた目でみんなを見回し、カップを顔に近付けた。


 数呼吸置いて、湖の民ジャーニトルが聞く。

 「ここを抜けた後、どうするんですか?」

 「正規軍に武器の供出でもしようかと思ってる。あっちの拠点、俺の私物以外は置いてくから、好きに使ってくれ」

 「そう。僕はもう少し様子を見させてもらうよ」

 呪符職人の言葉で、オリョールが武器職人をちらりと見た。

 「別に身内でも何でもない。ここでたまたま知り合って、素材の融通やら何やらの為に便利だからつるんでただけだ」

 「僕の呪符の威力は、よくわかったよね? ま、素材があればのハナシだけど」

 呪符職人がオリョールとジャーニトル、クリューヴを見回す。彼がどんな呪符を作り、アクイロー基地襲撃作戦でどんな恐ろしい戦果を上げたのか、誰も口にしない。クリューヴが、【編む葦切(ヨシキリ)】学派の小柄な職人に見詰められ、怯えて縮こまった。


 「俺も……【涙】がなくなったから、一旦ここ出るわ」

 どこで何をするつもりなのか、葬儀屋アゴーニはその先を言わない。


 ……そうだ。同じ湖の民だと言うだけで、身内でもなんでもない。アゴーニにも、彼の信念と生き方があるんだ。


 呪医セプテントリオーは香草茶のカップを置き、立ち昇る湯気の行方を見守る。戦いを否定し、説得を諦めた今、ここに残る理由は何ひとつ残っていなかった。


 ……何の協力を求められるにせよ、ここに居るよりはいいだろう。


 呪医セプテントリオーは顔を上げ、正面に座る警備員オリョールを見た。

 「俺もしばらくここを離れる。クリューヴ、留守番と新入りの訓練を頼む」

 「くっ……訓練?」

 クリューヴが背筋を伸ばし、脂汗を垂らす。オリョールは小さな溜め息と共に苦笑を洩らした。

 「隊長さんとあの坊やに教えてもらった基本と、武器に発信機がついてないかの見極め方、【操水】と【不可視の盾】の使い方だけでいい」

 クリューヴは声もなく、首振り人形のように何度も頷いた。

☆スニェーグと名乗った老人……「278.支援者の家へ」参照

☆老婦人シルヴァと同じ言葉……「279.悲しい誓いに」参照

☆彼がどんな呪符を作り、アクイロー基地襲撃作戦でどんな恐ろしい戦果を上げたのか……「460.魔獣と陽動隊」~「465.管制室の戦い」参照

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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