510.小学生の質問
「ローク兄ちゃんはどうして、あのおじさんたちのお手伝いをしに行ったの?」
パン屋の末妹エランティスに質問され、ロークはギョッとして思わず小学生の顔を見た。
十歳より少し上の女の子の眼には、ロークがネモラリス人の武闘派ゲリラに加わり、アーテルのアクイロー空軍基地を襲撃した件を咎める色はなかった。ただ、純粋な疑問が、ロークに向けられているだけだ。
人殺しを責められるより、こうやって問い質される方が胸を深く抉られると思い知らされ、ロークは言葉が出て来なかった。
エランティスが再び同じ質問をして、その友達のアマナも、問い掛けの眼差しをロークに向ける。
「どうしてって……」
ランテルナ島の地下街チェルノクニージニクの宿に窓はなく、外界の様子は全くわからない。トラックを容れられる【無尽袋】の完成まで残り一週間くらいだが、仕事のない三人は、仕方なく勉強していた。
これ以前にも、放送局の廃墟や森に隠されたゲリラの拠点で勉強していて、学校から避難する時に持ち出せた僅かな教科書は、とっくに読み尽くしている。
二月のテロと開戦から半年以上が経ち、本当ならみんな学年が上がっている筈だったが、学校どころか、これからの生活もままならなかった。
「ねぇ、どうして基地を壊すお手伝いをしに行ったの?」
すっかり勉強に飽きてしまったらしく、エランティスは諦めてくれなかった。
エランティスの兄レノ店長は、運び屋フィアールカと一緒に保存食の買出し、姉のピナティフィダは、アミエーラと一緒に魔法の道具屋へ服を縫うアルバイトに行って留守だ。
ここは薬師アウェッラーナと針子のアミエーラが泊まっている部屋で、アウェッラーナは今、薬を作る作業に疲れ切って眠っていた。
女の子たちの追及は囁き声だが、ロークの耳と心を強く打つ。
頭ごなしに叱りつけて話を打ち切り、勉強させるのは簡単だ。
……でも、それじゃ、二人とも納得しない。それにきっと、俺も、眠れなくなるくらい後悔するに決まってる。
ロークは算数の教科書を閉じ、小さな書き物机を挟んで座った二人の眼を見て言った。
「みんなの仇を討ちたかったからだよ」
自分で思ったより大きな声が出てしまい、思わずベッドを見た。小学生二人も息を殺して薬師を見る。湖の民の薬師アウェッラーナの緑色の髪は動かず、三人はホッとして顔を見合わせた。
「仇討ちって……できた?」
エランティスの難しい質問に、ロークは再び息が詰まった。アマナの湖の青を湛えた瞳も、無言で同じ問いを投げる。
「できたかもしれないし、できなかったかもしれない」
「どうしてわかんないの?」
エランティスが、大地の色の瞳にほんの少し失望の色を浮かべて聞いた。
……ついでに、お父さんの仇を討って欲しかったのかな?
「アーテル兵の誰が爆撃機に乗ってゼルノー市に来て、爆弾を落としたのかわかんないし、友達とか、誰が落とした爆弾でどうなったのかもわかんないからね」
もしかすると、工業高校に通っていたチスは、空襲の前に街を焼いた星の道義勇軍のテロで殺されたかもしれない。少年兵モーフが、トラックの荷台から乱射した機関銃の餌食になった可能性も、全くないとは言い切れなかった。
「誰だかわかったら、その人だけ殺すの?」
アマナの問いが、研ぎ澄まされた刃の鋭さでロークの喉元に突きつけられた。少しでも下手な動きをすれば、喉を切り裂かれるかのような錯覚に陥り、ロークは唾を飲み下すことさえできず、アマナの青い瞳を見詰め返す。
金の髪と青い瞳は、クルィーロと同じだが、妹のアマナは兄と違って力なき民だ。無力な筈の小学生の女の子の言葉に、こんなに力が宿ることに愕然とする。
エランティスが、見詰め合ったまま動かない二人を交互に見て何か言いかけ、唇を引き結んだ。
ロークは、アマナの質問を否定も肯定もできなかった。
「訓練と作戦に参加してわかったんだけど、軍隊って、色々役割分担があるんだ」
「役割分担?」
「うん。誰が何やるか、係が決まってて、えーっと……武器や食糧の調達、武器の整備や点検……作戦を指揮して命令する人と、実行する人、色々調べる人、作戦を立てる人……えーっと、武器作る人とか……何せ、色々だよ」
思い出した順に口に出したせいで、ローク自身にも何を言っているのかわからなくなってしまった。
エランティスは何のことなのかちっともわからないと言いたげに首を傾げ、アマナは考え込むような眼差しでロークに続きを促す。
……そう。だから、呪符作りを手伝ったレノ店長も、傷薬を作ったアウェッラーナさんや、治療した呪医、遺体を火葬して【魔道士の涙】を取り出した葬儀屋さん、それに薬草を採ってきたみんなも、後方支援としてゲリラの戦いに参加してたんだ。
ロークは小学生の女の子たちに「君たちも人殺しの手伝いをしてたんだ」とは言えず、続きの言葉を飲み込む。
アマナはロークの沈黙の意味を咀嚼し、言葉に変えた。
「……それって、アーテル人みんなが敵だから、仇討ちは終わらないし、アーテル人も私たちにそう思ってるから、戦争はこの先ずっと続くってコト?」
「うーん、どうだろう……? 前の戦争は五十年で終わったから“半世紀の内乱”って呼ばれてるし、どこのどんな戦争でも、一応、終わってるみたいだから、この戦争だって、いつか必ず終わるんじゃないかな?」
小学生のアマナの言葉の重みに対して、高校生のロークが口にした答えは、あまりに薄っぺらく、他人事のような物言いはいっそ滑稽でさえあった。
……何言ってんだ、俺。
ロークの自嘲と自己嫌悪を斟酌せず、アマナが質問を重ねる。
「じゃあ、いつ終わるの? どうすれば終わるの?」
「いつって……そんなの、誰にもわかんないよ。どうやったらって言うのも、それぞれの戦争が始まった理由とかで違うし……」
「お兄ちゃんは、どっちも民主主義の国だから、みんなが戦争やめようって言ったら、国の偉い人同士が集まって、戦争やめる相談してくれるって言ってたよ」
魔法使いの工員クルィーロの説明は、民主主義国家の理想的な在り方だが、現実がそんな風にゆかないことは、高校生のロークにもわかっていた。
アマナの兄の言葉は嘘ではないが、現実からあまりにも乖離している。やさしい慰め以上の意味はなかっただろう。
「じゃあ、アマナちゃんは、どうすればみんなが『戦争やめよう』って言うようになると思う?」
ロークはこれ以上、答えられない質問をされる前に小学生の女の子に質問を投げ返した。
……こんな小さい子にまで、保身か。俺、最悪だな。
「ネモラリスの人とアーテルの人が、一人残らず『戦争やめよう』って言うのは、ムリだと思うの」
「どうして?」
「あのお婆ちゃんは、空襲に遭ったあっちこっちの街で声掛けて、戦いたい人を集めてるって言ってたし、お婆ちゃんに言われる前から、一人でも戦ってる人が大勢いるって言ってたから」
アーテル領ランテルナ島にあるネモラリス人有志ゲリラの拠点は、老婦人シルヴァの親戚が所有する別荘だ。シルヴァとその親戚が何者なのか不明だが、武闘派ゲリラを集め、組織化してアーテル本土を攻撃させている。
……確かに、シルヴァさんを止めたって、ソロ活動に戻るだけなんだよなぁ。
「戦争イヤな人たちが、ヤダって言いやすくなるように、もっと呼び掛けるの」
「呼び掛ける? どうやって?」
アマナの懸命な言葉に、ロークは思わず素の質問をした。
「歌の続きを書いて、ファーキルさんにインターネットでみんなに聞こえるようにしてもらうの」
「あぁ……そっか。国民健康体操の歌で、アミトスチグマに避難した人たちの支援、充実したらしいもんな」
ファーキルがタブレット端末で見せてくれたインターネットのニュースを思い出し、ロークが同意すると、アマナはこくりと頷いて算数のノートを鞄に仕舞った。
代わりに、みんなが歌詞の断片を書き散らかしたコピー用紙の束と、確定した歌詞を書き留めたノートを取り出す。
エランティスもノートと教科書を片付けて言った。
「ホントだったら、もう六年生なのに、ずっと五年生のお勉強ばっかり、ヤだもん」
ロークは苦笑で応じた。
「そうだよな。早くちゃんとした生活に戻って、学校行きたいよな」
「ラクリマリスに着いたら、ファーキルさんとはお別れだから、それまでにできるだけ、決めときたいの」
アマナの声は震えていた。




