509.監視兵の報告
故郷のアサエート村から、首都クレーヴェル郊外の基地へ【跳躍】したルベルは、私服姿で詰所に駆け込み、内線を掛けた。
「装備を整えるのは後でいい。今すぐ密議の間へ」
「了解しました」
現在所属する水軍の指令に従い、ルベルはそのまま基地の奥へ急いだ。要所要所で警戒する歩哨に身分証を提示すると、無言で道を譲られた。
密議の間の二枚手前の扉で番をする下士官が敬礼して【鍵】の合言葉を言う。ルベルが返礼して扉をくぐると、すぐに閉められた。
二枚の扉の間は五メートル程の廊下で、密議の間の前にも下士官が居る。呼称と身分、来意を告げると中から扉が開かれた。
「入れ」
ルベルは、開けてくれた陸軍大佐に敬礼して中へ入る。
僅かな休暇を切り上げ、取るものも取りあえず駆け付けたルベルを労う者はなく、密議の間には重苦しい沈黙と疲労感が漂っていた。
ルベルが呼吸を整えながら、集まった顔触れを見回す。いつもと同じ将軍と陸・水軍の参謀と大佐、それに加えて呪歌の歌い手アシューグが居た。
将軍の視線を受け、陸軍参謀が口を開く。
「先程、【索敵】であれを監視していた兵から連絡が入った」
心なしか、歴戦の長命人種の声が震えているように聞こえた。
「ラクリマリス軍の部隊が、肥大化した濃紺の大蛇の駆除を終えて移動中、あれと遭遇し……戦闘になった」
魔装兵ルベルは、怯えた表情で語る陸軍参謀から他の軍幹部に視線を移した。一様に耳を塞ぎたいと言いたげな苦々しい顔で、陸軍参謀を見詰めている。
……ラクリマリス軍の魔装兵なら、魔法生物にも勝てそうだけどなぁ? 特大の濃紺の大蛇と戦って疲れていたから負けたとかか?
通常、遺跡などから魔法生物を発見した場合、調査後に破壊、または封印を厳重にして人の手が届かない地底深くや湖西地方のどこかに廃棄する。
魔法生物の破壊は、魔物や魔獣に対するのと同じ【急降下する鷲】学派などの術を用いるのが一般的だ。
「攻撃を受けたあれは、術の魔力を吸収し、膨張した。異常を察したラクリマリス軍の部隊は【跳躍】で現場を離脱。あれは……まだ、ツマーンの森を彷徨っている」
「膨張……ですか?」
「監視の報告によると、全くの無傷に見えたそうだ」
魔装兵ルベルが思わず零した問いに、陸軍参謀が沈痛な面持ちで答えを寄越す。
将軍が大きく息を吐き、説明を代わった。
「研究資料によると、七百年前の開発当時……完成直後のあれの大きさは、鼠程度だったらしい」
「鼠……ですか? でも……」
将軍は一兵卒のルベルの発言を遮り、続きを語る。
「実験の失敗に気付いた研究者たちは、あれを処分しようとしたが、術の魔力を悉く喰らい、更に膨張したのだそうだ」
魔装兵ルベルが知る魔哮砲は、二トントラックくらいの大きさの闇の塊だ。
……あれが、鼠サイズだったって?
「勿論、物理的な攻撃ではどうにもならん。身体が大きくなった分、消費する魔力と駆除できる雑妖の量、浄化できる場の範囲も大きくなったが、消費しきれずに蓄積する魔力の量も増大した」
「つまり、吐き出した時の被害が、より大きく……」
「そうだ。現在は大型のトレーラー並に育っている」
魔装兵ルベルは言葉を失った。二トントラックの大きさでさえ、アーテル軍の戦闘機の一編隊や、街区ひとつ分を丸々埋める巨大な魔獣を一撃で葬り去ったのだ。現在の大きさでは、どれ程の破壊力を持つのか、想像もつかない。
しかも、今は使い魔の契約をした主が失われ、野放しだ。既にツマーンの森には魔哮砲の魔力の放出痕らしき“道”ができている。幸い、道路側からクブルム山脈の方角へ吐き出したからよかったようなものの、逆方向に吐いていれば、南側の農村や漁村に被害が出ていたかもしれない。
「使い魔の契約に依らず、強制的に活動を停止させる制御符号はあるが、ラクリマリス軍が腥風樹を全て駆除し、ツマーンの森を離れるまでは迂闊に手出しできん」
……だからって、何もしないでいたらどんな被害が出るかわかんないのに。
「我が軍も、クブルム山脈北部で腥風樹の侵入を警戒中だ。それとは別に、魔哮砲の姿を知る哨戒兵十名にあれの監視を命じた。異常があれば、この部屋で報告する手筈だ」
……じゃあ、俺も見張りか。
将軍はルベルの胸の内を見透かしたように命令を下す。
「ラクリマリス軍も【索敵】であれの動きを追っている筈だ。だが、夜間は蜂角鷹の目が届き難い。先日塗った【見鬼の色】は、まだ数日は効果が続く。今の内にもう一度塗り、せめて見失わぬようにしたい」
夜間でも【見鬼の色】は虹色に輝いて視える。
森の奥は昼なお暗く、雑妖だけでなく魔物や魔獣が多数、棲息していた。しかも今は、何本生えたか不明な腥風樹が、毒を撒きながら徘徊する上、ラクリマリス軍が監視と捜索の眼を光らせる。
「夜間では、呪歌を最後まで歌い切る余裕があるとは考え難い。見失わぬよう、目印を付けるだけでよい。ムラークと二人で、できるな?」
貴重な歌い手であるアシューグを失いたくないのは、よくわかった。【歌う鷦鷯】学派の呪歌は時間が掛かる上、歌っている間は無防備になる。アシューグ自身は剣技にも長けているそうだが、歌唱中に不意打ちを受ければひとたまりもない。
護衛を増やして大人数で森へ行けば、ラクリマリス軍に見つかる危険性が高まる。
何度も潜入して他の兵より土地勘があり、【索敵】が使えて自分の身を守る術も使える。確かに、ルベルとムラークの他、少人数で夜間にツマーンの森へ潜入できそうな兵は居ないだろう。
……それに、俺はあの歌を知ってる。
危険極まりない任務だが、一兵卒に過ぎない魔装兵ルベルには、元より「断る」と言う選択肢が与えられていなかった。




