507.情報の過疎地
急な帰郷だったが、両親もアサエート村のみんなも変わりなくルベルを迎えてくれた。
赤毛のルベルは、久し振りに【索敵】の重圧から解放され、豆茶を飲んで四方山話に花を咲かせる。
軍事機密は【渡る白鳥】学派の【制約】で全く話せない。勿論、ルベル自身も口を滑らせる気はなかったが、父の話題が魔哮砲の防禦力に及ぶと、ルベルの口に鍵が掛かった。
ルベルが何も言えなくなる度に、母が取り成し、話題を変えてくれる。
他愛ない会話に豆茶の香ばしい風味が加わりルベルの心を解きほぐす。
茶色い豆茶に山羊の乳と蜂蜜を混ぜた飲み物が、アサエート村にしかないと知ったのは、正規軍に入ってからだった。
ルベルは二月の開戦以来、休息は与えられても帰郷の許可を得られず、基地での待機を命じられていた。
……一年も経ってないのに、こんなに懐かしく感じるなんてな。
力なき民の独身の兵には、面倒だから、と言う理由で冠婚葬祭以外では帰省しない者も居る。
ネモラリス島全部とネーニア島北部から集まった兵たちの内、独身者や家が遠方にある兵は、基地内の宿舎を当てがわれているが、大部屋で何かと規則が多く窮屈だ。
家族が居る者は、基地内の家族向けの宿舎や基地周辺の住宅に住んでいる。そちらはそちらで、家族同士のしがらみや何かで何かと面倒が多いらしい。
それでも、帰省しないと言うのは、力なき民の旅費負担や移動の苦労が、ルベルの想像の範囲を越えているからだろう。さもなくば、余程、実家と気マズい仲なのか。
ルベルも、普段は故郷や家族を恋しがることはないが、実際に帰郷して生まれた時から親しんだ山に抱かれ、家族や親戚、友達や近所の人たちと顔を合わせると、話は別だった。
……こんなに甘ったれだったなんてな。
豆茶の甘さとやさしい口当たりにどんどん心がゆるむ。
ルベルは、甘える為に帰ったのではないと自分を叱り、さりげなく水を向けた。
「今、戦争中だけど、夏至祭ってちゃんとできた?」
「あぁ、万事滞りなく、いつも通りに済んだぞ」
「そっか。今年帰れなかったから、気になってたんだ。いつものお祭りの歌って、どんなだっけ? 夏至の日に一人で歌おうと思ったんだけど、歌詞ちゃんと覚えてなくて……」
言いながら、ルベルは気恥しくなり、頬が引き攣った。
母が、あらあら、やっぱりあんたって子はご馳走目当てだったのね、と笑う。
父もひとしきり笑って、わざとらしく咳払いをして言った。
「昨日から村長の家に里謡調査の方が泊まってるんだ」
「里謡調査? こんな時に?」
「こんな時だからこそ、だそうだ。ネーニア島から避難した人たちや、お前のような兵を元気付ける為にラジオで流すらしいぞ」
「えーっと……調査の方は、なんとかってリャビーナ市の若い国会議員さん……秦皮の枝党の方の紹介で来たんですってよ」
「へぇー」
普段、政治に無関心な母の口から与党の名が出るとは思わなかった。
父が苦笑する。
「昨日はみんな、珍しい客人に浮かれて、なし崩しに宴会になってな。調査は今日の昼からになったんだ」
宴会とは言っても、このアサエート村には力なき民が一人も居ないので、酒類は一滴もない。
ルベルは軍に入るまで「酒」と言うものを知らず、力なき民が酒に酔って憂さ晴らしするのも、力なき民が素面ではあまり盛り上がれないのも、知らなかった。
村の宴会は、いつもよりいい料理をみんなで食べ、何種類もお茶を飲みながら、歌って踊ってお喋りして……と言うものだ。
男女問わず味自慢の者が料理やお茶の腕を揮い、片付けは、料理やお茶を用意をしなかった者がする。
そう言うものだと思って育ったルベルは、初めて力なき民の宴会に呼ばれた時、多いに困惑した。
……逆に俺らの宴会は、あっちも驚いてたしなぁ。
「その調査の人って、力ある民? 力なき民?」
「力ある民で【歌う鷦鷯】学派のソプラノ歌手の方だ。昨日の宴会でも他所の歌をたくさん歌ってくれたぞ」
「へぇー」
「何でも、いんたー……何とかと言う物で、ラクリマリスやアミトスチグマへ逃れた人たち用にも、放送するらしいんだ」
「インターネット?」
「あぁ、何か、そんなようなことを言ってたわね。ルベル、どんなものか知ってるの?」
父が淹れた豆茶のお代わりに、母が山羊の乳を注ぎながら聞く。
「俺も、外国にそう言う物があって色々便利らしいって聞いただけで、詳しくは知らないんだ」
「そうなの。まぁ、私らは魔法が便利だから、別になくてもどうってことないけどねぇ」
ルベルはそう言って笑う母に曖昧に笑い返した。
将軍にインターネットの整備と教育について語られたが、自分もぼんやりとしか知らないことを老いた両親にきちんと理解させられるとは思えず、説明から逃げた。
ラクリマリス王国には既に普及しているようなことを言っていたから、設備の設置工事などモノの普及はそれ程、難しくはないのだろう。
問題は、教育だ。
将軍は戦争が終わってから改めて行動すると言っていたが、いつ終わるともしれない戦争で、現にそのインターネットがないことで情報戦で敗北を喫していると言っていたのは、当の将軍だ。
何もしないよりはマシだが、手遅れ過ぎてルベルは苦笑する他なかった。
この辺境の村には新聞配達すら来ないと言うのに、インターネットのインフラとその為の教育がここへ届くまで、一体何年掛かるのか。
母と同じ考えの者も多かろう。
……これから先、学校の先生とか大変だよなぁ。
アサエート村には小中学校の分校はあるが、高校はない。勿論、大学は遠い。
魔法の使い方は、村の年寄りや家族が教えてくれるが、それだけだ。
村で狩猟と農業、ちょっとした細工物などを作り、ほぼ自給自足の暮らしをするのに「学問は要らない」と言う年寄りが殆どだ。学校の先生を除けば、兵学校を出たルベルが、ここ三百年程で一番学がある。先生は麓の街から【跳躍】で通う他所者だった。
ラジオは村長の家と集会所、他数軒にしかない。
これまでルベルが休暇の度に持って帰った総合雑誌と、今回持ち帰った新聞で、どのくらい外のことを知ってくれるだろう。
「お昼から、その、えーっと、調査の人に説明するんだっけ? 挨拶がてら、村長さんちに行ってくるよ」
「折角、帰って来てくれたのに……」
母が口を尖らせるのを父が窘めた。
「里謡の説明なんてすぐ終わる。……来年、夏至祭に帰って来て、ちゃんと歌いたいから、きちんと覚えたいんだよな?」
「うん。帰らせてもらえなくても、自分で歌えるように。そしたら、どこに居ても村のみんなとお祭りの歌で繋がる気がするから」
お土産のお礼に、と昼食前に村人たちが山で採ってきた木の実や畑の芋、鹿や猪の燻製などを持って来た。
ルベルは畑から戻った兄や甥姪にもみくちゃにされながら、兄嫁たちと当たり障りのない話をし、昼食ができるのを待つ。
いつもと同じ帰省の光景が繰り広げられ、ルベルは束の間、戦争中であることを忘れられた。
魔物や魔獣ではなく、人間のテロリストを鎮圧する為に治安部隊として出動したこと。
アーテルの宣戦布告後、程なく水軍に転属させられ、【索敵】でアーテルの戦闘機が魔哮砲に撃墜されるのを見続けたこと。
空襲で荒廃した街の人々の様子を見ても、何もできなかったこと。
ネーニア家の女当主が生贄を八人も殺して、戦闘機の大編隊を迎撃するのを見守ったこと。
つい先日、アーテル兵に銃を向けられたこと……
何もかもが、遠い昔の出来事に思えた。
久し振りに家族揃って囲んだ食卓は、こんなにもあたたかい。
☆甘える為に帰ったのではない……「487.森の作戦会議」参照
☆将軍にインターネットの整備と教育について語られた……「410.ネットの普及」「411.情報戦の敗北」参照
☆治安部隊として出動……「025.軍の初動対応」参照
☆水軍に転属……「136.守備隊の兵士」参照
☆空襲で荒廃した街の人々の様子……「304.都市部の荒廃」参照
☆生贄を八人も殺して、戦闘機の大編隊を迎撃……「309.生贄と無人機」参照
☆アーテル兵に銃を向けられた……「487.森の作戦会議」「488.敵軍との交戦」参照




