506.アサエート村
魔装兵ルベルは、思わぬ事態で空き時間ができた。
ツマーンの森ではラクリマリス軍が、腥風樹の捜索と駆除を続けている。まさか、王国軍の【索敵】の目が行き交う中で魔哮砲を回収するワケにはゆかなかった。
あれから三日経ったが、ラクリマリス軍は種子を蒔かれた地点から根を抜き、周囲の生物を毒で殺しながら移動する腥風樹を相手に苦戦を強いられていた。
過去の例に倣い、魔装兵が術で凍結した腥風樹をラクリマリスの第三王子が【日輪の端】で焼き払うのだが、木を隠すなら森の中とはよく言ったもので、なかなかみつからない。枯死したこの世の木々はすぐに葉が枯れ落ちるワケではなく、一日二日では生きた木と見分けがつかなかった。
突然現れた尋常でない大きさの濃紺の大蛇との戦闘も、まだ続いているらしい。
それだけでなく、ツマーンの森に展開したアーテル軍とも睨み合いが続く。双方、手は出さないが、アーテル陸軍が撤退する気配はなかった。
アーテル軍がミサイルの照準を王都ラクリマリスに合わせているとほのめかしており、ラクリマリス軍は積極的な対応をできないでいる。
ルベルは、密議の間で行われている定時連絡会の休憩時間に、思い切って発言した。
「恐れ入ります。一度、一日だけで結構ですので、実家に帰らせていただいてよろしいでしょうか?」
「どうした、急に」
陸軍参謀が訝しげな顔で聞く。魔装兵ルベルの隣で呪歌の歌い手アシューグ先輩も、何を言い出すんだ、と言いたげな気配を滲ませた。
「どこからでも【索敵】できますし、今年は……その……戦争で村の夏至祭に参加できなかったのが、少し気になりまして……」
二月の開戦以来、一度も実家に帰らず、半年以上経っていた。この状況でも、基地勤務の兵の一部は、帰省の申請が通っている。
将軍が表情を緩めた。
「実家はどこだ?」
「アサエート村です」
密議の間に緊張が走る。
魔装兵ルベルは素知らぬ顔で言った。
「山の中の小さい村なので、ご存知ないかと思われますが、ウーガリ山脈の東の端です。麓にはリャビーナ市があります。幸い、空襲は受けませんでしたが、自分の元気な姿を一目、家族に見せたいのです」
「よかろう。【索敵】は気にするな。明日の日の出から日没まで、帰宅を許可する」
陸軍参謀と水軍大佐が苦い顔をしたが、将軍直々の許可に異を唱える度胸はないらしく、一兵卒のルベルは何も言われずに済んだ。
夕飯後、ルベルは宿舎の自室で帰省の荷物をまとめた。
大した物はない。堅パンと手帳と筆記具、読み終えた文庫本、数カ月分溜まった古新聞の束だ。
任務で買えない日も多かったが、比較用に何紙も買っていたので、紐で束ねるとルベルの膝の高さの山がふたつになった。
ウーガリ山中にあるアサエート村には新聞配達が来ない。
大抵の村人はリャビーナ市まで【跳躍】してまで新聞を買いに行くようなことはなく、ラジオの情報で満足していた。
ルベルはいつも、帰省の土産に雑誌などを持って行く。【跳躍】の術が使えても、知らない場所へは跳べない。狭い村の中で一生を終えず、もっと広い世の中に目を向けて欲しいと願って、集会場に置いていた。
舎監は司令本部から連絡を受けたのか、ルベルが夜明けと同時に私用で宿舎を出ても、イヤな顔をしなかった。
私服の襟には緊急連絡用の【花の耳】の花弁が付いている。これだけでは、ルベル側からは発信できない。司令本部からの呼び出し専用だ。
「鵬程を越え、此地から彼地へ駆ける。大逵を手繰り、折り重ね、一足に跳ぶ。この身を其処に」
軽い浮遊感に続いて、目の前の景色が一変する。
晴れていれば木立の向こうにラキュス湖が見えるが、今朝は朝靄が濃く、見通しが利かなかった。ルベルは胸いっぱいに故郷の山の清々しい風を吸いこんだ。
「ルベル……? ルベルなのか? おい?」
振り向くと、籠を背負い鍬を持った近所のおじさんが、村の門を出てきたところだった。懐かしい顔に思わず厳つい顔を綻ばせる。
「ダゾールおじさん、久し振りー。元気だった?」
「おぉ、元気元気。ルベルも元気そうでよかった」
ダゾールおじさんは空いた手で高い所にあるルベルの肩を叩き、顔をくしゃくしゃにする。
「無事でよかった……これ、何持って来てくれたんだ?」
「みんな戦争のコト気にしてるかと思って、新聞持って来たんだ。あ、普通の文庫本もあるよ」
「そんな気ぃ遣わんでえぇのに。ルベルがお国の為に戦って、こうして無事でいてくれるだけでも有難ぇのに」
ルベルはダゾールおじさんと連れ立って村に入った。
新聞の束をひとつ持ったダゾールおじさんが、大声でルベルの帰郷を告げる。山の畑や狩りへ行く仕度をしていた村人たちが、次々と村道に出てきた。
村人の半分以上が明るい色の赤毛で、ルベルと同じ真紅の髪の者は一人も居ない。
黒髪の少年が、ルベルの帰郷を叫びながら村の奥へ走る。
報せを受けた母が、朝日に金の髪をきらめかせながら走って来た。外から嫁いできたのがよくわかる髪が、いつもより眩しく見えた。その後ろをくすんだ赤毛の父も駆けて来る。
母が言葉もなく体当たり並の勢いで、大きな息子に抱きつく。息を弾ませる母は、記憶の中の姿より随分小さく見えた。
「ただいま」
「おかえり。いつまで居られる?」
ルベルの前で足を止めた父が、喜びと期待と、すぐに訪れるだろう別れの悲しみの混じった声で聞いた。
「それが……今日の夕方までなんだ。日没前に戻って来いって」
揃って顔を曇らせた父子の手を母の小さな手が握ってさする。
「何言ってんだい。こんな時に正規兵がお休みいただけるだけで充分、有難いじゃないの」
「ルベル、お土産、ありがとな。俺の方から村長さんに話通して集会所に置いとくから」
「ありがとう。ダゾールおじさん。ついでにこれもお願いしていい?」
袋から文庫本を十冊取り出し、新聞の束の上に積む。
若い女性と子供たちが歓声を上げ、口々に礼を言う。一人では村の外へ行けず、まだこの村と山の畑と泉くらいしか【跳躍】できる場所のない彼らは、娯楽に飢えていた。
今回はいつもと違って新聞もある。
開戦前よりページ数が減り、娯楽系の情報はごっそり減らされたが、生活情報などは相変わらず載っている。
空襲や腥風樹に脅かされることのない辺境の村にとって、戦争は別世界の出来事に等しい。
皮肉なことに唯一、外の戦争とこの村を繋いでいるのは、正規兵となったルベルの存在だ。
質素だが、頑丈な造りの我が家に帰り、ルベルの胸にあたたかな灯が点る。
「お兄ちゃんたちは先に畑へ行ったけど、呼び戻そうか?」
「いいよ、そんな。みんな忙しいのに。昼ごはんには戻るんだろ?」
いそいそ出て行こうとする母を呼び止め、ルベルは椅子に荷物を置いた。
袋の中身は、任務に持って行ったが、使わずに残った堅パンだ。戦闘糧食の堅パンは一般流通品より栄養価が高く、未開封なら三年間保存できる。
「朝ごはんは?」
「まだだよ。これ、お土産」
ルベルが四日分の堅パンを食卓に置くと、狩りの用意を片付けていた父がギョッとして息子の顔を見た。
「軍の物か」
抑えた声に批難の色が混じっているのに気付き、ルベルは両親を安心させようと、厳つい顔に微笑を浮かべる。
「訓練や任務に行ったけど使わなかった戦闘糧食は、申請を出したら私物にできる決まりなんだ。……まぁ、戦争が長引いたら、申請もどうなるかわかんないけど」
「……そうか」
父はいつの間にか皺の増えた顔に複雑な表情を浮かべ、僅かに口角を上げた。余計なことまで言ってしまったことに気付き、ルベルは申し訳なさに黙りこんだ。
父が狩猟道具を片付けに奥へ引っ込むと、母の明るい声が空気を変えてくれた。
「さ、できたよ。急だったから、大したもんはないけど、たんとおあがり」
「ありがとう。……いただきます」
ルベルは心からの感謝を言葉に乗せた。久し振りに口にしたおふくろの味に肩の力が抜け、「魔装兵ルベル」から「赤毛の三男ルベル」に戻った。




