0502.懐かしい日々
アマナが驚いた目で巨漢のクロエーニィエを見て、兄のクルィーロに何か言いたげな顔を向ける。
「この地下街にある“郭公の巣”って言う魔法の道具屋の店長さんだよ。さっきのお姐さんが都合付かなかったから、代わりに来てくれるって言ってた人」
「ふぅん……魔法の道具屋さん」
「お昼のお店のおねーさんたちと同じ服なの」
アマナは兄の説明を確認しただけだが、エランティスは口を滑らせてしまった。レノが視線で窘めるが、小学生の妹は気付かない。
クロエーニィエがふわりと振り向き、にっこり笑った。
「よく気が付いたわねー。獅子屋さんの制服、私が作ったのよ」
「すごーい」
小学生二人が声を揃える。
クロエーニィエは気を良くしたのか、スカート部分をちょっとつまんで言った。
「これも私が作ったの。こんなの作れますよって言う見本で着て歩いてるのよ」
「すごーい」
「魔法の服、いっぱい売ってるんですか?」
小学生のアマナの質問にも、クロエーニィエは誠実に答える。
「服はサイズ測ってから作るから、在庫がないけど、リボンや手袋、帽子とかの小物は作り置きしてるわよ」
「蔓草細工をリボンと交換してもらって、そのリボンを別のお店で呪符と交換してもらったんだ」
ファーキルも歩調を緩めて話に加わる。
魔法の服作りだけでなく、魔法の短剣や偽造ナンバーの調達までこなす辺り、やはりフィアールカの裏稼業仲間と言ったところか。
……でも、元騎士で、呪医の知り合いでもあるんだよなぁ。
騎士団から共和国軍へ移行する際に辞めたと言うのは、何となく想像がつくが、それがどうしてこんな所で職人になり、裏稼業にまで手を出すことになったのか理解し難かった。
四人が服の話で盛り上がる。
クルィーロはふと、針子のアミエーラを見た。今朝、あんな目に遭ったばかりだからだろう。浮かない表情でとぼとぼ歩き、話に加わらない。
……何もなきゃ、きっと一番、話に食いついたんだろうにな。
クルィーロは、男の自分が下手な慰めを口にすれば、却って傷を抉ってしまうと思い、通路の先に目を向けた。
雑多な商店が並ぶ通りに差し掛かり、お喋りが途切れる。
少年兵モーフが物珍しそうに見回すのをメドヴェージがからかった。二人のじゃれあいをソルニャーク隊長が目を細めて見守る。
「レノ、保存食の件ってもう決まったんだっけ?」
「あぁ。フィアールカさんが出発の日までにまとめて持って来てくれるってさ」
「至れり尽くせりだなぁ」
それだけ、あのキノコの価値が高いのだ。
……たった一本でそんなになるなら、二、三本もありゃ、レノの店だって建て直せるんじゃないか?
クルィーロは、自分や他のみんなの家が、元の場所に再建される様子を思い描いた。自治区民の四人だって、元のバラック小屋ではなく、ちゃんとした家に住めるだろう。
だが、何もかも戦争が終わってからの話だ。
さっきの動画ニュースの前半が何だったのかも気になる。
日が射さない地下街は、時計がなければ時間がわからない。だが、見るまでもなく夜らしく、酔客が通路で濁声を上げた。
クルィーロが見たところ、酔客の服には呪文がなく、徽章もない。ここでも、酒を呑むのは力なき民だけだ。
物販はシャッターを降ろした店が多いが、昼間閉まっていた所が開いて、営業中の総数はあまり変わらない。
アマナが酔っ払いに怯え、兄の手を強く握った。クルィーロは小さな手を握り返して、妹をマントの中に入れる。アマナはもう一方の手でマントの端を握った。
昼と同じ食堂「獅子屋」に案内され、みんなホッとした顔で腰を落ち着ける。
店内はそれ程、混んでいなかった。
テーブルの間を行き交うのは昼間の女の子たちではない。ベテランのおばさんたちで、エプロンドレスは呪文以外に装飾のない簡素なものだ。
「クロエーニィエさん、こんばんは。珍しいね、こんな大勢で」
「私の知り合いも居るけど、半分くらいはフィアールカに頼まれたのよ」
給仕のおばさんは一頻り感心して、てきぱき注文を取る。少年兵モーフは、メドヴェージのアドバイス通り、目を瞑って迷わずメニューを指差した。
料理を待つ間、クルィーロはあのニュースの前半を教えてもらいたかったが、何となく聞けなかった。
……何か、メシが不味くなりそうな気がするしなぁ。
代わりの話題を探すが、生活絡みや呪医たちの心配など、ロクなことを思いつかない。
クルィーロは、食事が楽しくなる話題のない自分に愕然とした。
いつからこうなのか、思い出せない。
家に居た頃、家族四人で食卓を囲んで何を話したか、思い出せなかった。記憶にも残らない他愛ない話で家族みんなが笑った日々が、いつの間にか、“懐かしい”と感じる程に遠い。
不幸ではないが、特筆すべき幸福もない。
家族揃って囲む食卓でごはんがおいしい。
ただそれだけの「普通の日々」が失われたのは、今年の二月で、まだ一年も経たない。それなのに、クルィーロの手の届かない所へ行ってしまった。
不安と狼狽、悲しみに息苦しくなる。
料理の匂いに清冽な香りが混じった。
目の前にティーカップが置かれ、クルィーロが顔を上げる。
給仕のおばさんが、にっこり笑って説明した。
「フィアールカさんからの注文で、夜はみなさんに香草茶を出すように言われてるんですよ。お冷がよかったら、言って下さいな」
「あ……あぁ、そうだったんですか。有難うございます」
クルィーロは、よく眠れるようにとの運び屋フィアールカの配慮に胸が詰まり、鼻の奥がツンとした。
カップを手に取り、そっと香りを味わう。胸の閊えが取れ、思わずホッと丸い息を吐く。隣のアマナと顔を見合わせ、互いに頬を緩めた。
……アマナが笑っててくれるんなら、別にムリして喋んなくてもいいか。
何の話をしても、二月からの辛い記憶や、ネモラリス島に居る父に会えないもどかしさに結びつきそうで、クルィーロは何も言いたくなかった。
☆あんな目に遭った……「0469.救助の是非は」参照




