0501.宿屋での休息
クルィーロが目を覚ますと、知らない部屋だった。
白い天井には力ある言葉がびっしり刻まれ、威圧感がある。
寝惚けた頭で黙読し、何の術か思い出す。【魔除け】と【耐火】は実家にもあった。【頑強】【結界】……幾つか知らない呪文もある。
四隅に【灯】が点され、部屋は薄明るい。静かだが、耳を澄ますと微かに寝息が聞こえた。
隣のベッドで頭から毛布を被って誰か眠る。そのまた隣では、アマナとピナティフィダ、エランティスがひとつのベッドで寝息を立てる。
他ふたつのベッドは空だ。
……あ、そっか。地下街の宿屋だ。
隣の大人サイズの膨らみはレノだろう。
クルィーロは横になったまま、今日の出来事を思い返した。寝て起きたからか、何日も前に感じられるが、あれは全部、今朝の出来事だ。
……まぁ、でも、十日は安全なとこで休ませてもらえるし、そんな焦らなくてもいいよな?
半ば自分に言い聞かせて自問した。
ゆっくり身を起こし、みんなを起こさないようにそっと客室内を見て回る。
ベッド五台と小さな書き物机ひとつに椅子一脚、水差しとコップ五つ、それだけの質素な部屋だが、清潔で居心地は悪くない。
浴室とトイレは客室内にあった。森に隠された拠点と同じ、力ある民向けで、どちらも水瓶が置いてある。
「優しき水よ、我が声に我が意に依り、起ち上がれ。
漂う力、流す者、分かつ者、清めの力、炎の敵よ。
起ち上がり、我が意に依りて、煮え滾れ」
念の為、煮沸消毒しておく。術で冷却せず、湯気を昇らせると少し喉のいがらっぽさがマシになった。
ベッドに戻り、荷物を確認する。
古着を解体して作った鞄を開けると、魔法のマントがきちんと畳んで入れてあった。
……アマナか。ありがとな。
ベッドに目を遣るが、妹はまだ寝ていた。
他は、アマナが作った素材集め用の布袋と予備のTシャツ、元々着ていた工場のツナギ、レノがお守りにくれた塩の小袋、薬師アウェッラーナがくれた傷薬入りの紙コップ、ファーキルがこの地下街の呪符屋で手に入れた【魔滅符】数枚、歌詞を書いたコピー用紙、ドーシチ市の屋敷で使用人にもらった筆記具。ズボンのポケットには【魔力の水晶】とハンカチ一枚。それから、初任給で買った腕時計。
これが、クルィーロの全財産だ。
トラックには食器や寝具などを積んだままだが、移動販売店の共有財産で、いずれは分配しなければならない。
……俺とアマナは、俺が【水晶】に魔力籠めるバイトでもすりゃ何とかなりそうだし、魔法のマントもあるからなぁ。
寝具は放送局から持ち出した物とドーシチ市でもらったもので、種類を問わなければ、一人一枚はある。食器も一人一組あるが、調理器具をどう分けるかで考えが止まった。
どう分ければいいか、全く考えつかない。
……まぁ、この辺は、後でちゃんと話し合わなきゃな。
椅子に乗ったゴミ袋を開けてみる。未処理の香草だ。コップを並べ、【操水】で草から水を抜いて注ぐ。
……色々ショックなことがあり過ぎたし、これも小分けして、みんなに配っといた方がよさそうだよな。
特に、あんなことがあったばかりのアミエーラには必要だろう。
ベッドに座り、ポケットの中身を出す。
クルィーロが分配された【魔力の水晶】は、いずれも作用力を補わず、魔力を蓄えるだけの比較的安価な物だ。
魔力を使い切り、輝きを失った【水晶】をひとつ握った。氷のような感触に思わず鳥肌が立ったが、我慢して握り続ける。じわじわぬくもりが移るような感覚と共に魔力が注がれる。
手を開くと【水晶】の中で魔力が淡く輝いた。
満たしたひとつをポケットに戻し、次を握る。
ひとつ満たす度に疲労感が戻り、三つ目で諦めた。これ以上すると、また動けなくなりそうだ。
……アマナたちを心配させちゃいけないし。
残りはそのままポケットに戻す。【魔力の水晶】は、アミエーラの作った首から提げる袋にもあるのを思い出し、ここに居る間に少しずつ、みんなの【水晶】に魔力を充填することに決めた。
香草から抜いた水を飲んで横になる。
……そんな急がなくてもいいよな。
再び微睡み始めたところへ扉を叩く音が響いた。
「メシだぞー」
「わかった。ちょっと……えっと、十分くらい待って」
少年兵モーフに返事をして、みんなを起こす。
寝惚けたみんなが、トイレと洗面を済ますのに十五分余り掛かってしまった。クルィーロは念の為、魔法のマントを羽織ってアマナと手を繋いだ。
やっと【鍵】を開けて隣の扉を叩く。
開けてくれた少年兵モーフの表情が冴えない。
先に集まったみんなは、ひとつのベッドを囲んでこちらを見もしなかった。知らない人の声が聞こえる。人垣の中に、薬師アウェッラーナの緑髪とエプロンドレス姿のクロエーニィエの巨体も見えた。
「みんなどうし」
「しーッ!」
振り向いたロークが手振りで遮り、ソルニャーク隊長が無言で手招きする。
クルィーロはレノと顔を見合わせ、首を傾げながら輪の中心を覗いた。
ファーキルがタブレット端末を置いて、動画を再生していた。
どうやら、ニュース映像らしい。
記者会見の様子で、地図を貼ったホワイトボードを指差しながら、お偉いさん風の陸の民の男性が説明する。映像の隅に湖南経済新聞のロゴが、小さく表示されていた。
「この四人の男性の安否や身元はわかりますか?」
「いえ、我が国には多数の魔獣駆除業者や、魔獣由来の素材を求める狩人が居ます。更に、ツマーンの森には外国からも絶光蝶などを獲る業者が大勢訪れます。現状、湖南語を話す力ある民であること、各個人の学派の他は、安否も含めて把握できておりません」
記者の質問に答えたのは、ラクリマリス王国の報道官らしい。
途中から聞いた五人には何の話かさっぱりわからない。魔獣駆除業者っぽい男性が四人、ツマーンの森で行方不明になったのだろうか。よくある話だ。何故そんなコトでラクリマリス政府が記者会見するのかわからない。
最初から観るみんなには、聞けない雰囲気だ。
「映像にありましたが、四人の学派は【急降下する鷲】【飛翔する蜂角鷹】【思考する梟】、そして【歌う鷦鷯】でした。他はわかりますが、【歌う鷦鷯】はこの種の職業では、かなり珍しい学派です。どう思われますか?」
「ご質問の意図がわかり兼ねますが、私見でよろしければ……彼は剣を抜いていましたから、魔獣から素材になる部位を切り落とす担当なのではないかと思っています」
報道官のそつのない返答に記者が礼を言うと、間髪入れず、別の記者から質問が飛ぶ。
「ネーニア島に展開したアーテル陸軍に対して、ラクリマリス政府として、何か軍事対応のようなものはお考えですか? それとも、既に行動を?」
「その件につきましては、現時点で、私の手元に資料がございませんので、お答え致しかねます」
その後に出た質問は、どれも軍や外交関係ばかりで、報道官はその全てに同じ答えを返し、ニュース動画は終わった。
「あんまり遅くなるとアレだし、晩ごはんにしましょ」
クロエーニィエが淡い緑色のエプロンドレスの裾を翻し、扉へ向かう。クルィーロとアウェッラーナ、【魔力の水晶】を握ったファーキルの三人掛かりで、三部屋に【鍵】を掛けて宿を出た。
☆あんなことがあったばかりのアミエーラ……「0469.救助の是非は」参照




