0500.過去を映す鏡
ラゾールニクが、湖南経済新聞の動画を開く。
新聞社の社章に続いて、音声なしで文字のみが表示された。
ラクリマリス王国政府が、きょう午前十時頃、ツマーンの森に進入したアーテル兵の遺留品を入手した。
首相官邸で記者会見を開き、過去の事実を映し出す魔法の鏡【鵠しき燭台】を使用する様子を報道陣に公開した。
続いて、新聞社のカメラマン二人が会見場内で二カ所に分かれて撮影した映像が流れる。
ラクリマリスの報道官が会見場の壇上で等身大の姿身の傍らに立ち、下級役人がステンレスのトレイを恭しく差し出す。
「これは、我が軍の兵がツマーンの森、南東部で回収した物です」
報道官が歯科用の薄いプラスチック手袋を着け、トレイ上の物をつまみ上げる。甲の部分にアーテル陸軍の紋章が入った黒い手袋だ。シャッター音が鳴り響く中、ホワイトボードに貼った地図で発見場所を説明する。
「ご承知の通り、この【鵠しき燭台】は、映像の加工や編集が一切できません。一時間余りお付き合い下さい」
報道官は壇上から記者団を見回し、彼らが頷くのを確認すると言い添えた。
「また、先にお断りしておきますが、この手袋の持ち主は存命しておりません」
報道官は息を呑む記者団に背を向け、姿身に向き合って力ある言葉で起動の呪文を唱えた。縁につけられた【魔力の水晶】に淡い光が点るのを待って、アーテル軍の手袋を鏡面に触れさせる。
水面のように漣が立ち、同心円状の動揺が鎮まると、幌に覆われた大型車の内部……恐らく、兵員輸送車の内部が映し出された。
数秒で車が停まり、手袋の持ち主は、同乗した二十名余りのアーテル兵と共にツマーンの森を貫く新道に降り立った。
腥風樹の種子の植え付けと目撃者の殺害――
現場指揮官の命令に会見場がざわつく。記者団の動揺を他所に、鏡の中では刻々と手袋の持ち主の行動が映し出される。
二十余名の兵は、五人の二部隊と手袋の主の隊十一人の計三隊に分かれ、ツマーンの森を南下する。
ガスマスクの集団が自動小銃を抱えて豊かな森を行く。時折、タブレット端末で位置情報を確認し、予め指示された地点へ迷いない足取りで向かった。
目標地点に到達し、手袋の持ち主を中心に十人が散開する。
鏡にドングリに似た赤い木の実が現れると、会見場が声なき悲鳴に満たされた。
これが腥風樹の種子らしい。
会見場後方から記者団を含めて映すカメラは、若手の記者たちが、長命人種の記者が恐れる理由がわからず、首を傾げながら撮影を続ける様子を捉える。
見張りの一人が「近くに人が居る」と手振りで知らせる。その数、四人。
手袋の主は急いで腥風樹の種子を植え、手振りで攻撃命令を出した。兵の一人が手榴弾を投げる。
数人のカメラマンが目を覆った。
アーテル兵が攻撃したのは、どうやら民間の魔獣駆除業者のようだ。一人が背後に横たわる巨大な濃紺の大蛇を示し、刺激するなと訴える。アーテル兵は耳を貸さず、更に攻撃を加えた。
何だかよくわからない黒い塊が居るが、これも魔物の一種なのか、至近距離で手榴弾が爆発しても傷ひとつ付かない。
業者たちは【真水の壁】の後ろに身を隠した。一人が【索敵】を唱え、もう一人が【風の矢】で応戦する。
湖南経済新聞が動画にテロップで表示した為、キルクルス教徒のラウエウス議員にも術の名称はわかったが、どんな術かは知らなかった。
力なき民のアーテル兵は、強固な魔法の【鎧】と護りの【真水の壁】に全く歯が立たず、次々と【風の矢】で射倒される。
手袋の主はその様子を端末で撮影し、「分隊長」にメールを送った。
最後の一人になった手袋の主も攻撃に出たが、あっけなく倒され、そこで【鵠しき燭台】の映像が終わった。
記者団から矢継ぎ早に質問が飛び、報道官は落ち着いた声で答える。
「既に我が国の魔装兵を現地に派遣し、処理に当たっております……日没までには処理を終える予定です」
「映像では“種蒔き班”は三班ありましたが、他の植付け場所は特定できていますか?」
「五カ所発見したとの報告があり、現在、処理中です」
ラクエウス議員らは二時間近い会見動画を最後まで再生し、顔を見合わせた。
アーテルの動画と一致する部分は事実なのだろうが、食い違う部分や【鵠しき燭台】の情報だけでは判断できないことも多い。
黒いモノの正体。
四人は何者で、何をしていたのか。
手袋の持ち主が絶命した後、彼らはどこへ行ったのか。
「ラクリマリス政府だけでなく、国民が怒るでしょうね。住民を追い出してあんなモノを植えたんですから」
「今は王国軍が、取りこぼしなく始末してくれることを祈るしかないが」
「最悪、ラクリマリス人もアーテル本土や、ネーニア島に入り込んでる陸軍兵を襲うかもしれませんよ。軍じゃなくて、一般人が」
ラゾールニクの声に、ネモラリスの国会議員二人が暗い目で窓の外を見遣る。いつの間にか日が傾き、夕霞が漂う湖面にはフナリス群島が見えなかった。
ラクエウス議員は、国会議事堂に臨時招集された日の未明、クラピーフニク議員が語った魔哮砲の特徴を思い出し、心が冷えた。
「……儂らが公開した動画と、アーテルの動画を合わせれば、あの黒いモノが魔哮砲だと推測できるが、気分的にアーテルの言い分を信じぬ者も出るだろうな」
ラクエウス議員は、腥風樹の被害を歴史上の出来事としてしか知らないが、長命人種の中には苦難の思い出として心に傷を残す者も居る。当時、対応に当たった軍人には多いだろう。
アーテル人でも、ランテルナ島民は今度こそ、本国に愛想を尽かして叛旗を翻すかも知れなかった。
「異界の植物の毒なら、魔哮砲にも効くと思ったんですかね?」
「後始末はどうする気だ?」
ラゾールニクの推測に、アサコール党首がそんなバカなと首を振る。ラゾールニクが、端末に図鑑の一部を表示させて言った。
「高温で焼き払えばいいみたいなんで、ミサイルとか撃ち込む気だったんじゃないんですか?」
「それこそ、戦争になるではないか」
「恩着せがましく“腥風樹を始末してやったぞ”って言うつもりとか? ……ま、わかりませんけどね」
連絡係の若者は肩を竦めてみせた。
度し難い愚挙だが実際、腥風樹は植付けられてしまった。当分、ネーニア島出身の難民は帰還できない。
「難民キャンプの人たちも、ネーニア島を穢されて怒り心頭でしょう。当面は、武闘派ゲリラに身を投じないよう、慰問と支援を強化しましょう」
ラゾールニクが支援者の主立った者を呼び、ラクエウス議員たちは対策会議を開いた。
☆腥風樹/苦難の思い出……「0382.腥風樹の被害」参照
☆手袋の持ち主の行動/近くに人が居る……「0488.敵軍との交戦」「0498.災厄の種蒔き」参照
☆住民を追い出して……「0490.避難の呼掛け」参照
☆儂らが公開した動画……「0496.動画での告発」「0497.協力の呼掛け」参照
☆アーテルの動画……「0499.動画ニュース」参照




