0498.災厄の種蒔き
魔哮砲捕獲部隊の四人は、付近の調査と衛生兵セカーチの応急処置を済ますと、ネモラリス共和国の首都クレーヴェルへ【跳躍】した。
魔装兵ムラークに骨折したセカーチを任せ、歌い手アシューグと魔装兵ルベルは司令本部へ急いだ。
「森の奥にアーテルの歩兵が入り込んでいただと?」
「は! 殲滅致しました。他にも気になる点がございましたので、兵の一部をこれに」
呪歌の歌い手アシューグが、中身の詰まった手袋を掲げる。【操水】で血抜きしたが、イヤな質量を持つそれを一瞥し、陸軍大佐が密議の間を出て行った。
戸口に控えるルベルとアシューグは、アル・ジャディ将軍の言葉を直立不動で待つ。
「気になる点とは何だ?」
「十一人の小隊と遭遇しましたが、全員がガスマスクを装着しておりました」
アシューグの報告に軍幹部たちが息を呑む。
「しかし、倒した兵はいずれも、それらしき兵器を所持しておらず、半世紀の内乱中も目にした通常兵器の類しか装備しておりませなんだ」
「付近を【索敵】で捜索しましたが、それらしい人工物の発見には至りませんでした」
将軍が、魔装兵ルベルの報告に推測を述べる。
「戦車や軍用車を展開し、近隣住民に避難を呼掛けていたとの報告もある。何らかの手段で、毒ガスの発生源を森へ撃ち込む算段やも知れぬな」
ネーニア島南東部の住人が犠牲になれば、ラクリマリス王国との間にも戦闘が発生し、事によっては、周辺のフラクシヌス教国の参戦も招くだろう。
アーテルはラクリマリスとは事を構えたくはないが、何としてでも魔哮砲は破壊したい、と言ったところか。
……でも、陸軍の部隊を展開して、住民を家から追い出した時点で、ラクリマリスの主権を侵してるしなぁ。……俺たちも、他所のこと言えないけど。
現場付近には牧場もある。
住民は避難できても、家畜を全て連れて行くのは不可能だ。避難中に毒ガスで死なずとも、長期間、世話できなければ、餓死しかねない。
農村や漁村の住民は基本的に自給自足だが、避難中の宿泊場所や食費などの負担も発生する。
……住民には危害を加えないから見逃してくれってのは、ムシのいい話だよな。
そもそも、魔哮砲に毒ガスが通用するのか。物理攻撃がムリでも、化学兵器なら有効だと思うのは浅慮にも程がある。
この世の攻撃が効かないのだ。
魔法による攻撃は、この世の物への破壊だけでなく、幽界への破壊も同時にもたらす。術の種類や術者の魔力によっては、冥界にまで効果が及ぶことさえある。
ルベルが、将軍と数名の参謀が小声で話し合うのを聞き流していると、陸軍大佐が戻ってきた。密議の間に等身大の姿身を運ばせ、下士官たちを下がらせる。
水軍大佐が扉に【鍵】を掛けるのを待って、陸軍大佐は中身の詰まった手袋を鏡に触れさせた。
鏡の縁には凝った装飾に紛れて力ある言葉が刻まれ、合計十二個のサファイアと【魔力の水晶】がちりばめられる。
「鵠しき光灯す燭台よ、この者の一日の毒ある行い、害ある行いをここに現し記せ」
陸軍大佐の力ある言葉に大粒の【魔力の水晶】が応え、過去を映す鏡【鵠しき燭台】に軍用車内部の様子が映し出される。
幌の下のアーテル兵は二十人ばかり。いずれもまだ、ガスマスクを装着していない。
軍用車が停車し、アーテル兵は機敏な動作でツマーンの森を貫くアスファルトの新道に降り立った。ルベルが魔哮砲の捜索で何度も見た辺りだ。
北ヴィエートフィ大橋とプラーム市の中間付近、西は森林に覆われるが、東には平野が広がり、村や牧場もある。今朝、ルベルたち捕獲部隊が魔哮砲と対峙したのも、この森の中だ。
戦車は更に東進して停車し、道を塞ぐ。
「“目標”は、この森の中に居るとの情報を得た。種蒔き班アルファ、ブラボー、チャーリーは位置情報を確認の上、所定の位置に植え付け」
……種蒔き班?
魔装兵ルベルだけでなく、将軍たち軍幹部もアーテルの指揮官らしき者の言葉に首を捻りながら、【鵠しき燭台】に映し出される作戦の最終確認を見詰める。
こんな所でこんなことをすると言うことは、アーテル軍も急拵えの実行部隊を碌な説明もなしに現場へ投入したのかもしれない。
ルベルは、敵兵に僅かばかり同情を寄せたが、現場指揮官が伝達した作戦を聞いて、そんな気持ちは吹っ飛んだ。
「今の時期、腥風樹の種子は植え付け直後に発芽する。土を被せたら、ただちに離脱せよ。風向きによっては広範囲に拡散する。本土に戻るまでマスクは取るな」
息詰まる静寂が密議の間を支配する中、【鵠しき燭台】にはアーテル兵が戦闘服の上からガスマスクと防護服を装着する様子が映し出され、現場指揮官が命令を伝達する声が流れる。
「万一、種子の植え付けを目撃された場合、目撃者は一人残らず殺害せよ。死体は森の化け物共が始末してくれる」
無警告でいきなり手榴弾を投げつけられた理由は、よくわかった。
アーテル兵は、ルベルたちをネモラリスの魔装兵だと看破したのではなく、地元の――魔物や魔獣に対する武装を整えた――狩人で、腥風樹の種子植え付け現場の目撃者だと思ったのだろう。
……危ないところだった。
ルベルはぞっとして、アシューグ先輩と顔を見合わせる。
軍歴が三百年以上ある大先輩は、蒼白な顔でぎこちなく頷いてくれた。
……アーテルの奴らは、腥風樹の毒なら、魔法生物にも効くと思ったのか?
風向きによっては、ルベルたちも危なかった。攻撃をムラークの【風の矢】に任せて正解だったと内心、冷や汗を拭う。戦闘後、念の為に【索敵】で付近を捜索したルベルは、アーテル兵がそんなことをしていたとは夢にも思わず、毒の発生源となる腥風樹を探す発想すらなかった。
将軍たち長命人種の軍幹部らは、ルベル以上に険しい表情で【鵠しき燭台】を睨む。
若いルベルにとって、ランテルナ島の長期に亘る腥風樹絶滅作戦は、兵学校の教科書に記された歴史の一コマだが、旧ラキュス・ラクリマリス王国時代から軍人であり続ける彼らにとっては、昔日の悪夢だ。
アーテル軍は、ランテルナ島の悪夢の時代同様、偶然、腥風樹の種子がこの世に転がり込んだとして、しらばっくれるつもりだろう。
早急にラクリマリス政府にこの攻撃を伝え、王族の強力な術で焼き尽くしてもらわなくては、ネーニア島が生物の住めない不毛の地になってしまう。
情報源がどの小隊の所属で、他に幾つの部隊が同様の任務を与えられたのか、各部隊が蒔いた種子の数も不明だが、ぐずぐずしていられなかった。
魔法の鏡にツマーンの森を行く様子が映し出される。
情報源の兵は時折、掌大の四角い板を取り出して、そこに現れる航空写真のように精密な地図を見た。地図にはピンのような絵が描かれ、隅になんだかわからない数字の羅列がある。
ピンの絵が目標地点の目印なのだろう。
隊員たちは手振りで伝達し合い、一言も発さず森を行く。
人の手が入った森林内には魔物が少ない。あちこちに【魔除け】や【退魔】などの呪文を刻んだ石碑が置かれ、狩人や薬草摘みなど森に入る者を守る。しかも、魔哮砲のお陰で、石碑のない場所にも雑妖が涌かない。
幸か不幸か、情報源の部隊は魔獣や狼などの野生動物に遭遇することなく、目標地点に到達した。
……あのでっかい濃紺の大蛇が居たから、【魔除け】が効かない強めの魔物とかも怖がって、居なくなってたんだろうな。
情報源の手が、隊員に止まれと合図を送る。
他の隊員が木立の間に散開し、自動小銃を構えて周囲を警戒する中、情報源は落ち枝で林床を掻いた。落葉を除け、黒々とした腐葉土を浅く掘り、タクティカルベストのポケットから小さな麻袋を取り出す。
袋から取り出したのは、一粒のドングリに似た赤い木の実だ。
「天地の 間隔てる 風含む 仮初めの 不可視の壁よ」
「隔てよ 遮れ 全てを拒め 水も漏らさぬ鋼の意志 不可視の塞よ」
ルベルとムラークの声にアーテル兵の手が止まった。隊員たちに何事か手振りで指示し、木の実を握りしめて待つ。
隊員の一人が、手振りで応答した。
指が数字の四を示すのは、ルベルたちネモラリスの魔哮砲捕獲部隊の人数だ。
魔哮砲の存在は手振りだけでは伝えきれないのか、しきりに「あれを見ろ」と言いたげに同じ動作を繰り返す。
アシューグの歌声が流れ、情報源を呼ぶ手が止まった。
「敵襲!」
ルベルの声と同時に、情報源は木の実を穴に落として立ち上がり、靴先で土を被せる。大きな身振りで隊員に合図を送ると、兵の一人がルベルたちに向かって手榴弾を投げつけた。
手榴弾や自動小銃では、ネモラリスの精鋭部隊相手に歯が立つ筈もなく、ムラークの【風の矢】に為す術もなく倒される。
情報源は、地図の板を魔哮砲に向けた。
板の表面には地図ではなく、アーテル兵に応戦するルベルたちと魔哮砲、森を塞ぐ巨大な濃紺の大蛇の胴が現れた。
情報源は倒木と岩の間に身を隠し、戦闘そっちのけで板を手袋の指で忙しなく撫でる。ひとしきり撫でると、板をポケットに仕舞い、自らも銃を構えた。
ムラークの【風の矢】が情報源を屠ったところで、陸軍大佐は【鵠しき燭台】から中身の詰まった手袋を離した。
魔法の鏡が沈黙し、表面に現在の室内が映る。
「アーテル軍は、我々がラクリマリス領内で魔哮砲を回収しようとした現場を撮影した。折を見て必ず公表に動く。我々も、奴らがネーニア島に災厄の種子を蒔いたことを王国に伝えねばならん」
将軍の宣言で、臨時の報告会が終わる。
ルベルには将軍の言葉の前半は意味がわからなかったが、ネーニア島の存亡の危機に魔哮砲の捕獲どころではなくなった。
☆密議の間……「0409.窓のない部屋」参照
☆近隣住民に避難を呼掛け……「0490.避難の呼掛け」参照
☆腥風樹/王族の強力な術で焼き尽くしてもらわなくては……「0382.腥風樹の被害」参照




