0495.ただ守りたい
「ここよ」
湖の民の運び屋が、三羽の白鳥が翼を広げて一列に並ぶ看板の下で足を止めた。壁面にも同じ絵がペンキで描いてある。
宿のある界隈は、倉庫が多いらしく、通行人は疎らで静かだ。
「素泊まり専門で、飲食店の通りから離れてるから安いの。あんなにイイ物もらえるんなら、もっといい宿にしとくんだったわね」
「いえ、とんでもない。有難うございます」
レノは、移動販売店プラエテルミッサの店長として、運び屋フィアールカに礼を言った。
「本土の人はあんまり来ないのに、どうして宿屋さんがあるんですか?」
「行商の人が泊まるのよ」
小学生アマナの質問に、運び屋フィアールカは驚いた顔で答えた。
「この島の畑やお魚だけだと、食べ物が足りないからね」
「貿易?」
「そうね。私もだけど、ラクリマリスやアミトスチグマ、それにスクートゥムの商人や運び屋さんは、この島に魔道機船用の港がないから【無尽袋】に入れて【跳躍】で運んでるの」
「へぇー」
「スクートゥム人も来るんですか?」
レノも思わず話に加わった。
当たり前のようにさらりと言われたが、スクートゥム王国は、アーテル本土の西にある魔法文明国だ。湖西地方の魔獣などが湖南地方に侵入しないよう、スヴェート河の結界を維持する為、「防人の国」と呼ばれる。
公式には、アーテル共和国とは国交がない。ラクリマリス王国同様、魔法文明国であることを理由にアーテルから一方的に断交されたのだ。
……半世紀の内乱前は普通に交流があったし、長命人種の商売人は土地勘があるから、こっそり商売を続けてるんだろうな。
「晩ごはんの時間にまた来るから、それまでゆっくり休んでね。もし、私がムリでも、クロエーニィエに頼んどくから、心配しないで」
「メールで連絡してもらえるんですか?」
「えぇ。勿論よ」
ファーキルの質問に笑顔で答え、フィアールカは宿の扉を開けた。
「じゃ、また後でねー」
フィアールカは軽いノリで手を振って宿を出た。
すんなりチェックインが済み、係員に部屋へ案内される。運び屋が、どんな手を使ってレノたちの身元をどう誤魔化したかは、知らない方がいいだろう。
用意されたのは、五人部屋と二人部屋だ。
ふたつの五人部屋は隣り合うが、二人部屋は奥のやや離れた所にある。少し心配になったが、考える余地はなかった。
「えーっと、じゃあ、こっちの部屋に俺たち兄妹とクルィーロとアマナちゃん、隣に隊長さんたちとローク君とファーキル君、奥はアウェッラーナさんとアミエーラさんで、いいですよね?」
レノが見回すと、みんなも何となく懸念を察した顔だが、他に分けようがない。奥をチラリと見て小さく頷いた。
油以外は軽いが嵩張るので、レノとロークが薬の素材を運び入れるのを手伝う。薬師アウェッラーナは礼を言うと、レノが追加で渡した【魔力の水晶】で、部屋の扉に中から【鍵】を掛けた。
レノは、割り当ての部屋に入って鍵を掛けた途端、どっと疲れが押し寄せた。
クルィーロが念の為、アウェッラーナに倣って【鍵】を掛け、毟り取るような手つきで魔法のマントを脱ぐと、ベッドに倒れこんだ。
アマナがマントを畳んで布鞄に入れ、寝息を立てるクルィーロにそっと毛布を掛けた。
「アマナちゃん、おいで」
ピナが小声で呼び、ティスと三人でひとつのベッドに横になる。レノもエプロンを外し、靴を脱いでベッドに寝そべった。
四隅に点された【灯】で薄明るい。白い漆喰の天井にも力ある言葉が刻まれ、複雑な陰影を作り出した。
……立て続けに色々あり過ぎて、頭がパンクしそうだ。
レノは、毛布を頭から被って目を閉じた。綿布で作られた毛布は肌触りがやさしく、それだけで安心できた。
昨日、アーテル陸軍がネーニア島のラクリマリス領に進軍した。
そのせいで作戦が前倒しになり、昨夜、武闘派ゲリラの実行部隊はアクイロー基地の襲撃を決行した。
ソルニャーク隊長と少年兵モーフ、高校生のロークはかすり傷程度で戻れたが、ゲリラは半分以上、帰還しなかった。生き残った者も大半が重傷を負い、呪医の治療を受けた後も寝込む。
怪我が大したことないゲリラが、食堂で朝食の用意をしていたピナを襲った。アミエーラも様子がおかしいから、もしかすると何かあったのかもしれないが、聞くに聞けない。
……聞いたところで、何もできない。できなかった。
ピナに手を出したのは、力なき民のゲリラだ。一対一だったのに、反撃であっという間に身動きできなくなるまで叩きのめされた。
悔しさと情けなさで溢れた涙をTシャツの肩で押さえる。
……何で、妹の一人も守れないんだ。
声もなく、ただ、肩を濡らす。
小柄な少年兵モーフの方が明らかに強かった。
警備員オリョールは、戦いのプロで桁違いに強い。
レノたちが拠点を離れると決めて庭に出た時、彼は何人ものゲリラを“処分”していた。アクイロー基地襲撃作戦で何があったか、レノは知らない。ただ、ゲリラたちを“処分”したオリョールを恐ろしいと思うと同時に、安心してしまった自分がイヤだ。
呪医セプテントリオーと警備員オリョールの間には、触れれば刺さりそうなまでに険悪な空気と、何人分かわからない肉の塊があった。
半世紀の内乱を生き延びたアウェッラーナと、元テロリストのメドヴェージは、あれが気にならないのか、オリョールと普通に別れの挨拶を交わした。
……死体を見慣れ過ぎたら、人殺しの奴が怖くなくなるのか?
レノは、星の道義勇軍のテロの時、後ろを見ずに逃げた。
空襲でバスが横転した時は、気を失った父を助けるのに夢中で、助からなかった人を見たかどうかも憶えていない。
炎に追い詰められた運河の畔では、誰かが息を引き取ったらしいが、離れていたのでよくわからない。騒いだのは中学生で、医師ではないのだ。ひょっとすると、まだ生きていたかもしれない。
翌朝、戻った鉄鋼公園には、黒焦げの人が何人も倒れていた。だが、すっかり炭化して、人間とマネキンの区別がつかない。レノには、そこに死がある実感を持てなかった。
それから何日も歩いた焼け跡には、死体がひとつもなかった。生存者が灰にしたか、魔物などに食われたか不明だが、廃墟と化した街にあった筈の夥しい死の痕跡が、ひとつも残らなかった。
死体の山を目の当たりにして、普通に挨拶したアウェッラーナとメドヴェージの神経がわからない。
……それとも、助けてもらったお礼を言わない俺の方がおかしいのか?
死体の山に見覚えのある服の切れ端が見えた。ピナを襲ったゲリラの物だが、あいつが居なくなったところで、あの場所に留まる理由にはならない。
……オリョールさんは、仲間を殺して、あんな普通の顔で、道に出たらまだ戦車が居るかもしれないって……あれって忠告してくれたのか? それとも、脅して引き留めようとしたのか?
今は何も考えたくないのに、次から次へと暗い考えに飲み込まれる。
……後、十日。
この地下街は外敵に対しては安全らしいが、内部の人間はまた別だ。武闘派ゲリラと同じイヤな目つきの者と何人もすれ違った。
ラクリマリスの湖上封鎖が続くからか、アーテル軍は北ヴィエートフィ大橋を強行突破した。
戦闘機を失うよりマシだと判断したのか、空襲ではなく、陸軍の装備に魔物や魔法使いに対抗できる武器があるのか。
十日後には四トントラックを収納できる大容量の【無尽袋】が完成して、ラクリマリスの王都に【跳躍】で連れて行ってもらえる。
……でも、ラクリマリスとアーテルが戦争になったら、王都も危ないんじゃないか? ファーキル君はどうするんだろう?
ファーキルの家は、ネーニア島の南東部グロム市にあると言っていた。
アーテル軍が進攻した島に帰って大丈夫なのか。
……いや、他人の心配してられる場合じゃない。俺たちだって、王都からネモラリス島へ無事に渡れるかどうかわかんないのに。
レノは、ファーキルが呪符屋に出入りしている、と言ったのを思い出した。何とかして、この先、妹たちを守る力を手に入れられないか考える。
……キノコを渡したら、火の雄牛の角、返してもらえたし、あれで何か呪符と交換してもらえないかな?
呪符を手に入れたところで、使いこなせなければ意味がない。
あの短剣と同じ武器や、作用力を補う【魔力の水晶】をもっと増やした方がいいのか。
ここにどんな物があって、自分たちに何が必要で、それが入手可能か。
何ひとつわからないが、ただ、妹たちを守りたいとの思いだけが、レノの内に満ちた。
☆アクイロー基地の襲撃……「0459.基地襲撃開始」~「0466.ゲリラの帰還」参照
☆生き残った者も大半が重傷……「0466.ゲリラの帰還」~「0468.呪医と葬儀屋」参照
☆何かあった……「0469.救助の是非は」参照
☆ゲリラが(中略)ピナを襲った……「0470.食堂での争い」参照
☆ゲリラを“処分”……「0471.信用できぬ者」参照




