0494.暇が恐ろしい
食後、運び屋フィアールカの案内で地下街の駐車場へ向かう。
薬師アウェッラーナは、休憩と食事で大分よくなったらしい。支えなくても歩けるようになった。アミエーラはホッとして、【無尽袋】の完成を待つ十日間、どう過ごすか考える。
……端切れを寄せ集めれば、ベストを二着は作れるわね。残りは腰に着けられるようなポーチにしようかな?
ファーキルが教えてくれるニュースで、ネモラリス共和国の状況は断片的にわかるが、具体的な暮らしの様子まではわからない。
緑髪の運び屋は、ラクリマリス王国の王都までは連れて行ってくれるそうだが、それ以降の船賃などは、自分たちでなんとかしなくてはならない。
端切れのままより、何か役に立つ物にした方が高く売れるだろう、とアミエーラは考えた。
……でも、ラクリマリスは魔法の国だし、どう頑張っても二束三文よね。
この間、ファーキルに袋小物を交換しに行ってもらったの思い出し、アミエーラは暗い目で通路の両側に犇めく商店を眺めた。
リストヴァー自治区で生まれ育ったアミエーラが、見たことのない物が所狭しと並べられ、通路にまではみ出す。
ラクリマリス領を通った時、しばらく過ごした街にも商店街はあったが、店舗はそれぞれ独立して、通りはゆったりしていた。リストヴァー自治区で、勤務先の仕立屋がある界隈は店が少なく、人も疎らだ。
この地下街はアミエーラが知るどの場所にも似ていない。
日の当たらない場所なのに雑妖が居ないのは、魔法のお陰だろう。よく見ると、通路の床や天井、商品の隙間から覗く壁には、北ヴィエートフィ大橋で見たのと似た力ある言葉が書いてある。
今日の営業を終えた飲食店はシャッターを降ろし、夜の仕込みをする店は、営業時間を記した小さな黒板が、入口の前に置いてある。
普通の食料品店や薬屋もあるが、呪符や魔法薬の素材を売る店、家電製品やアミエーラには何に使うか想像もつかない機械、魔法の道具などを売る店もある。
服屋の店先にあるのは、アウェッラーナたちのような呪文入りの服ばかりだ。通行人や店員の大半が長袖で、魔法の服を纏う。女の子たちが髪に結んだリボンも、よく見ると呪文の刺繍入りだ。
……これじゃ、ベストとか作っても売れるワケないわよね。
ファーキルはあの日、アミエーラたちの作った袋をこの地下街で食料品に交換した。疲れ切った顔で、申し訳なそうに差し出されたのは小さなドライフルーツの紙袋ひとつ。きっと、交換してくれる店をあちこち探し回って大変だったのだろう。
……交換してもらえただけでも、有難かったのね。
ふと前を見ると、通行人の女性と目が合った。武闘派ゲリラと同じ荒んだ光に身が竦み、思わず足が止まる。
「おっと……」
すぐ後ろを歩くクルィーロとぶつかった。
「あ、すみません。前向いてなくて」
「いえ、こちらこそ、すみません。ボーっとしちゃって」
お互いぺこぺこ頭を下げ合う。
「お兄ちゃん、みんな行っちゃう」
「お、そうだな。急ごう」
アマナに手を引っ張られてクルィーロが歩調を上げ、アミエーラも他のみんなを見失わないように急いだ。
「ここよ」
湖の民の運び屋が立ち止まったのは、商品の山がふっつり途切れた一角。その店の前には何もなく、呪文が書かれた壁に木製の扉が一枚あるだけだ。
看板も何もない。
運び屋の女性が無造作に扉を開けると、奥には乗用車などがずらりと並ぶ。
「こっちだ」
「私はここで待ってるからねー」
運び屋に手を振られ、みんなは顔を見合わせた。湖の民の女性がもう一方の手で扉を押さえる。
運転手メドヴェージの案内で、みんなはぞろぞろ奥へついて行った。
赤茶色の煉瓦敷きで、区画の仕切りに色違いの煉瓦が並ぶ。高い天井を支える太い柱には、ビルの外観同様、色とりどりのタイルが貼られ、近付くと様々な色で呪文が書いてあるのがわかった。
乗用車が並ぶのは扉の近くだけで、広い部屋全体を見渡せば、あちらにぽつり、こちらにぽつりと停めてあるだけだ。
四トントラックは、よく目立った。
メドヴェージが荷台の鍵を開け、ファーキルが何事か呟くと、閂がひとりでに外れて扉が開いた。
「念の為に【魔力の水晶】で【鍵】も掛けたんです」
「そっか。ありがと。後で魔力足しとくよ」
クルィーロが応じて荷台に上がり、レノ店長たちも続く。個人の鞄だけ回収してすぐ降りた。
「アウェッラーナさん、ちょっといいですか?」
レノ店長の声で、トラックの側面にもたれて待つ湖の民の薬師が、荷台の正面に回った。アウェッラーナ、クルィーロ、ファーキルの三人掛かりで【鍵】を掛けるらしい。パン屋の兄妹が三人に【魔力の水晶】を渡す。
……ファーキル君は力なき民だけど、ラクリマリス人だから、呪文はちゃんと覚えてるのね。
そして、作用力を補う【魔力の水晶】があれば、一部の術は使える。
アミエーラには魔力があるが、リストヴァー自治区で生まれ育った為、何ひとつ呪文を知らず、“悪しき業”に手を出すことには未だに抵抗があった。
今まで散々守ってもらいながら、こんな風に考えるのは失礼だからいけない、と頭ではわかっても、気持ちの上ではどうしてもその壁を越えられず、足踏みしてしまう。
魔力はなくても、道具の助けを借りて魔法を使うファーキル。
魔力を持ちながら、単に気分の問題で魔術を学ぼうともしないアミエーラ。
……「魔法使い」の基準ってどこにあるのかな?
よく考えると自治区の教会では、魔術は“悪しき業”であり、魔法使いはそれを使う悪しき存在だから、決して関わってはいけませんと教えられた。だが、どこからが悪い魔法使いで、どこまでが無原罪の無垢な魂かは教えられなかった。
湖の民の薬師アウェッラーナは、アミエーラの秘密を知ってもこれまで通りに接し、みんなには内緒にしてくれる。
魔法使いの工員クルィーロは、今朝、力なき民の武闘派ゲリラの手からアミエーラを助けてくれたばかりだ。
アミエーラには、二人を“悪しき業を使う決して関わってはいけない悪しき存在”とは思えなかった。
三人はそれぞれ別の合言葉を織り込んで、荷台の奥の扉に【鍵】を掛けた。今のアミエーラには、三人が力ある言葉で何と言ったか、聞き取ることさえできない。
「すみません。薬の素材と、運び屋さんにいただいた油と容れ物を降ろすの、手伝って下さい」
薬師アウェッラーナが、車外で待つソルニャーク隊長たちに声を掛けた。
メドヴェージが目を丸くする。
「おいおい、大丈夫か? ヘトヘトなんだろ?」
「流石に今日は無理ですけど、明日から何もしないのも暇ですし、王都からの船賃とかも用意しなくちゃいけませんから」
「そうか? 姐ちゃん、あんまムリすんなよ?」
星の道義勇軍の三人はなんのかんの言いながら、油の缶や薬草の詰まった袋などを降ろしてくれた。彼らも、細工物をするつもりで蔓草の袋を降ろす。
アミエーラも、私物の他に裁縫箱と端切れを詰めた袋を持ち出したので、気持ちはわかる。
……ヒマだと、心配事を考えるくらいしか、するコトなくなっちゃうもんね。
今の自分たちは、戦争などと言う大きな出来事に振り回されるだけだ。自分の努力では、この困った状況を根本的によくすることなどできない。
何の地位も権力もない庶民が、国同士の戦いをどうこうできるワケがなかった。
戦いに駆り出されないだけでも良しとせねばならない。アミエーラには、自ら戦いに身を投じた武闘派ゲリラたちの気持など全くわからなかった。
ネモラリスとアーテルの偉い人が、一日も早く、戦争をやめる決断をしてくれるのを祈ることしかできないが、こんな日が射さない場所では、考えが明るい方向に向かう筈がなかった。
みんな暇になるのが怖いから、小中学生は学校から避難する時に持ち出した勉強道具を抱え、手に職のある大人たちは仕事の素材を降ろし、そのどちらもない者たちは、手伝いや練習で当面の敵である「暇」を殺そうとするのだ。
メドヴェージが荷台の扉を物理的に施錠し、三人がその上から術で三重に【鍵】を掛けた。
みんなが大荷物を持って扉へ戻ると、湖の民の運び屋に呆れた顔で迎えられた。
「あなたたちって、働き者なのねぇ」
「暇を持て余すと碌なことを考えんからな」
思った通り、ソルニャーク隊長もアミエーラと同じ考えだ。
運び屋が肩を竦めて扉を指差す。
「この扉は、魔力に反応して開くの」
「力ある民じゃなきゃ、開けられないんですか?」
質問したレノ店長の声が不安の色を帯びる。
「この二人は出られたでしょ。【魔力の水晶】でも大丈夫よ」
「そうか……本土のキルクルス教徒除けと言う訳か」
ソルニャーク隊長の唇が皮肉な笑みに歪む。運び屋は肯定して説明を続けた。
「地上に出る扉もそうよ」
「ランテルナ島民は、本土の者を信用していないのか」
「そりゃそうよ。来るのは配送業者とテロリストと守備隊と、島生まれの力なき民を改宗させるのに必死な聖職者くらいだもの」
全員が通路に出たのを確めて、運び屋が扉を閉めて歩きだす。
この地下街チェルノクニージニクは、キルクルス教徒の攻撃からフラクシヌス教徒の魔法使いを守る要塞なのだ。
☆アミエーラたちの作った袋をこの地下街で食料品に交換……「0437.別の調達経路」→「0448.サイトの構築」参照
☆武闘派ゲリラの手からアミエーラを助けてくれた……「0469.救助の是非は」参照




