0493.地下街の食堂
地下街チェルノクニージニクの通路は煉瓦敷きだ。
そのひとつひとつに呪文が刻まれ、壁面や天井にも呪文がある。全く日が射さないにも関わらず、雑妖が欠片も視えない。地上の街より涼しく、香辛料の匂いさえなければ快適だ。
……あぁ、これ、確かに原理主義者の人は入って来られないよなぁ。
ロークはぼんやり思いながら、みんなの後について歩く。
両脇には商店がぎっしり並び、通路にはみ出した商品や看板、通行人でごった返す。
小さな黒板に書かれた料理名を消し、「昼 終了」と書き換えて店に引っ込むエプロン姿の女性、威勢のいい声で客を呼び込み、生魚を売る男性、商品台に野菜や果物を山盛りにした青果店、ロークが見たことのない機械を売る店……活気に満ちた地下街は、地上の街とは別世界だ。人々は、テロや戦争の脅威に怯える様子が微塵もない。とても戦争中とは思えなかった。
……それだけ安全ってコトなのかな?
地上と地下の街並は古びた雰囲気を漂わせ、半世紀の内乱でも損なわれなかったことを物語る。
ゼルノー市は半世紀の内乱で失われ、その後の三十年で再建されたばかりだ。街を出るまで気付かなかったが、故郷を思い返し、ここやラクリマリスの街並と比べると、どの建物もよそよそしいくらい新しかった。
ザカート隧道を抜けた先で見たのは、再建を諦め、放棄された南ザカート市の廃墟だ。
……何が違うんだ? 住人がみんな魔法使いで敵を全部やっつけたから?
行く先々で、ランチ営業を終えた店が看板を片付け、黒板の料理名を消す。もうそんな時間なのかと、ロークが腕時計に目を遣ると、二時を過ぎていた。
……街の門から階段まで、結構遠かったもんな。
考えごとをしていたロークは気付かなかったが、女の子たち……特に魔法をたくさん使って消耗した薬師アウェッラーナは、今にも倒れそうなくらい顔色が悪く、針子のアミエーラが支えて歩く。
「支払いは任せてねー」
フィアールカは、まだランチの黒板が残る店の扉を開け、さっさと入った。
店の中央に大きな獅子像が据えてある。食卓は像の周囲に並べられ、奥の厨房前と扉の脇はカウンター席だ。そこそこ広い店内に客の姿はなく、装飾過多なエプロンドレスを着たホール係たちが食卓を拭く。
「ランチ、まだいける?」
「今日の日替わりは売り切れたんですけど、他のだったら大丈夫です。何名様ですか?」
フィアールカが声を掛けると、ホール係の一人が答え、他の二人が四人掛けの卓を寄せた。
「えーっと……十一人です」
「後で二人来るかもしれないけど、今は取敢えず十一人でー」
レノ店長の答えに付け加え、フィアールカは三卓を連結させた端の席に座った。
薬師アウェッラーナが背もたれにぐったり身を預ける。
「メドヴェージさんとファーキル君、ここ、知ってるんですか?」
「知ってるわよ。今、連絡するから、ちょっと待ってね」
レノ店長の質問に答えながら、フィアールカが慣れた手つきでタブレット端末を操作する。ロークの眼には、湖の民の魔女が、ネモラリス共和国にない最先端の機械を使いこなす姿は奇異に映ったが、何も言わないでおいた。
アマナがクルィーロに聞く。
「お兄ちゃんが前に来たお店って、ここ?」
「うん。美味しかったぞ」
「何でも好きなの頼んでいいからねー」
フィアールカが、ファーキルと同じように慣れた手つきで端末に指を走らせながら言う。
アマナは隣に座る兄の顔を見上げた。
「アウェッラーナさんと隊長さんが採ってくれたキノコがすっごい高値で売れたんだ。ヘンな遠慮しないで、食べられるうちに食べとこう」
アマナは、クルィーロの説明でようやく笑顔になって頷いた。
「……二人とも、とっくに着いて呪符屋で待ってたんですって。今からこっち来るって」
……あ、そっか。街までは【跳躍】で一瞬だけど、街の中は歩きだから、トラックの方が先に地下街に着いたんだ。
ロークは納得してメニューを見た。魚料理だけでなく、肉料理や卵料理も充実している。
向かいの席からメニューを覗いた少年兵モーフが手を伸ばし、一回り大きいフォントを指差した。
「兄ちゃん、これ、なんて読むんだ?」
「“肉料理”……この下に並んでる五つがお肉の料理ですってこと」
……ん? あっ! そっか、モーフ君、料理の名前見ても、どんなのかわかんないんだ。
ロークは動揺を押し殺し、ひとつずつ説明した。
「一番上のは、ラムステーキ。ドーシチ市のお屋敷でも出たことあるよ。えーっと、羊肉を厚切りにして焼いた料理」
「へぇー……」
少年兵モーフは、中途半端な角度に首を曲げて固まった。何カ月も滞在し、毎日三度ずつ出た食事のどれがそうか、わからないらしい。
「この街の奴は、あの屋敷の連中と同じモン食ってんのか」
「んー……全く同じじゃないと思うけど、料理の種類は同じだよ」
こんな調子でひとつずつ説明し、他のみんなが注文を済ませてもまだ、解説は終わらなかった。
「よぉ。こっちのみんなも無事に着いたか」
「お待たせしてすみません」
「こっちこそ、むさ苦しいとこでお待たせしちゃってゴメンなさいねー。ここで待ち合わせればよかったわねー」
メドヴェージとファーキルの無事な姿にみんながホッと笑顔になる。
運転手メドヴェージは、ソルニャーク隊長の向かいで少年兵モーフの隣、ファーキルはフィアールカとアミエーラの間、所謂「お誕生日席」に落ち付いた。
「坊主、何頼んだんだ?」
「まだ決めてねぇ」
「他の者は注文を先に済ませた。……ローク君、すまんな」
ロークの隣でソルニャーク隊長が恐縮する。ロークは少年兵モーフに付き合って注文しなかった。
「あ、いえ、大丈夫です。で、この海老ドリアって言うのは」
……隊長さんには作戦で何回も助けてもらったし、メニューの説明くらい全然なんでもないのに。
ファーキルがメニューにざっと目を通して鶏肉のトマト煮に決め、メドヴェージも合挽き肉のハンバーグに決まった。
ロークはデザートの手前で説明を止め、少年兵モーフに聞いた。
「俺はオムレツにするけど、モーフ君、どうする?」
「あら、お目が高い。ここのオムレツ、すっごいふわっふわで美味しいのよー」
フィアールカは笑顔を向けたが、目は笑っていなかった。さっさとしろと言いたいのだろう。
少年兵モーフが、キラキラした瞳に焦りを混ぜて、メニューとにらめっこする。
メドヴェージがじれったそうに言った。
「坊主、こう言う時はな、目ぇつぶってテキトーに指差した奴でいいんだよ。何か嫌いなモンでもあんのか?」
「キライも何も、わかんねぇよ」
「迷ってるってこたぁ、どれでもいいってコトなんだからな」
メドヴェージに口を挟まれ、モーフは一瞬ムッとしたが、それもそうだと思い直したのか、肉料理と魚料理の見開きに戻り、言われた通りにする。
チキンカツだ。
「よっしゃ、決まった! 姐ちゃん、待たせたな」
メドヴェージがホール係を呼び、注文を通してくれた。
「で、今、職人さんに連絡とれたんだけど、今日、材料渡したら、十日後くらいにはできるって言ってるわ」
十日も地下街の宿屋で缶詰になるのかと、うんざりした空気を旨そうな匂いが吹き払った。
「どれも旨そうだな。俺たちゃいいから、冷めねぇ内に食ってくれ」
メドヴェージに促され、みんなは遠慮がちに手を付けた。一口で夢中になって、食事がどんどん進む。
ロークたちの卓では、ソルニャーク隊長にだけ羊肉のローストが来たが、手を着けず、繋げたテーブルの対角に座るフィアールカに話し掛ける。
「完成を待つ間、保存食なども調達したいのだが」
「任せてくれていいわ」
「支払いもか?」
「えぇ。……あ、そうだ。これ、返すわ。もらい過ぎだから」
運び屋フィアールカは、バッグから火の雄牛の角を出し、ファーキルの前に置いた。ファーキルが食事の手を止め、鶏肉を頬張ったまま無言で自分の鞄に仕舞う。
……あのキノコって、そんな凄い値打ちあるんだ。
ロークは驚いて、フィアールカの斜め前の席で、野菜たっぷりのリゾットをのろのろ食べる薬師アウェッラーナを見た。座って身体が楽になったからか、少し顔色は良くなったが、緑の瞳には力がない。
早く食事を終えて宿で休ませたいが、ロークたちの分はまだだ。
ロークの隣で、アマナとクルィーロが鶏ドリアとオムレツを半分こする。森に隠された拠点でも、葬儀屋アゴーニが調達した野生動物の肉や、薬師アウェッラーナが作った干し魚は食べられたが、チーズや卵は久し振りだ。
ドーシチ市の屋敷を出てから二カ月程の間に色々なことがあり、状況も大きく変わった。移動の目途は立ったが、ネモラリス共和国領の土を踏むまで、油断はできない。
ソルニャーク隊長とフィアールカの話にレノ店長も加わり、どんな保存食をどのくらい調達するか、相談が続く。
ロークは、この地下街を見物してみたくなった。
……あ、でも、買物しようにも交換できるものがないし、迷子になったりしたらみんなに迷惑掛かるよな。
では、何ができるのか。
運ばれてきたオムレツを食べながら考える。キノコとチーズがたっぷり入って、卵本体はフィアールカの言った通りふわふわだ。ロークは一口で思考を攫われ、夢中でオムレツを食べた。
☆お兄ちゃんが前に来たお店……「0446.職人とマント」参照




