0491.安らげない街
移動販売店プラエテルミッサの一行は、運び屋フィアールカの【跳躍】で、ランテルナ島のカルダフストヴォー市の西に運ばれた。
ネーニア島の街と同じで、高い市壁の石材には護りの呪文が彫り込まれ、魔物などを寄せ付けない。振り向けば、西側と北側のなだらかな丘陵地には畑が広がる。
その先の湾では、湖水が穏やかに輝く。ファーキルたちは地下街の店で魚料理を食べたと言った。島民はアウェッラーナのように【操水】で歩いて行ける範囲で漁るのだろう。
「地下街の宿屋さんを手配したから、【無尽袋】が完成するまで、ゆっくり休んでね」
「有難うございます」
レノ店長が代表でお礼を言うと、他のみんなも続いた。湖の民の運び屋は、にっこり笑って街の西門を指差し、説明を続ける。
「もう知ってるかもしれないけど、この街はキルクルス教徒の原理主義団体とかのテロがちょくちょくあって、地上部分はちょっと危ないの」
レノ店長と工員クルィーロが、自分の妹たちを抱き寄せる。女の子たちは怯えた目で、これから過ごす街の門を見た。
薬師アウェッラーナより年上に見える湖の民の女性は、女の子たちを安心させようと思ったのか、やさしい声で言う。
「でも、そんなに心配しなくていいわ。この街の建物はアーテル本土と違って、魔法で守られてるし、魔物も入って来られないから」
「じゃあ何で、危ねぇなんて言うんだ?」
少年兵モーフがパン屋の兄妹をちらりと見て、運び屋にイヤそうな顔をする。フィアールカは涼しい顔で受け流し、南ヴィエートフィ大橋を指差した。
晩夏の日射しに白く輝く大橋は、北ヴィエートフィ大橋そっくりだ。そのずっと向こうにアーテル共和国の大陸本土側の街が灰色に霞んで見える。
「爆弾を積んだ自動車でつっこんで来たり、南の大橋を渡って来るトラックとかに爆弾を仕込むことが多いから、街の南側はちょっと危ないけど、他の地区と地下街は今のところ大丈夫よ」
「トラックのおじちゃん、大丈夫なの?」
「ん? みんなが乗ってたトラック? それなら、地下駐車場を手配したから大丈夫よ」
不安な面持ちで聞いたアマナに、運び屋フィアールカは微笑んでみせた。小学生の女の子は、湖の民の緑の瞳をじっと見詰める。
「テロリストは駐車場に来ないの? 爆弾付きの車は来ないの?」
「今のところ、テロリストは橋の近くまでしか来ないから大丈夫よ。ただ、この街は」
「何だよ?」
少年兵モーフが苛立たしげに先を促す。
「特に地下街には、私みたいに非合法なお仕事してる人が大勢居るから、一人で出歩いちゃダメよ」
みんなは神妙な顔で頷いた。
……そうだよな。ファーキル君が連絡してすぐ、偽造ナンバーを用意できるんだもんな。
ロークは、運び屋の魔女フィアールカが自嘲気味に言うのを聞いて、腹の底が冷えた。
人当たりのいい笑顔で、何かと助けになってくれるが、それは本当に親切なのではなく、商売だからだ。
後ろ暗い商売人のネットワークに連なるからこそ、アーテル政府の方針に逆らって、敵国人であるネモラリス難民のロークたちによくしてくれる。
身ぐるみ剥いだ方が儲かると思えば、そうするだろう。
ここも、市壁や門には、医療産業都市クルブニーカや北ザカート市同様、様々な防護の呪文が刻んである。ロークは、信用ならないと気を引き締め、フィアールカの案内でカルダフストヴォー市に足を踏み入れた。
久し振りに普通の人が大勢居る場所に来たが、ホッとするどころか、不安が増して落ち着かない。
戦争中だからか、道行く人は表情がピリピリして見えた。薬師アウェッラーナや運び屋フィアールカと同じ、様々な呪文が織りや染め、刺繍で入れられた服を着た魔法使いが多いが、それでも彼らはアーテル人だ。
移動販売店の一行が、ネモラリス人やラクリマリス人だと知られたら、どうなるかわからない。
……早く……! 早く人目につかないとこへ!
みんなもロークと同じ思いなのか、足早にフィアールカについて行き、時々追い越しては、もどかしそうに歩調を緩める。運び屋の女性はそんな焦りに気付かないのか、のんびり歩く。
道には石畳が敷かれ、その全てにも呪文が刻まれる。
この術が全て有効だとすれば、その魔力を賄う魔法使いが何人くらい住むのか、ロークには想像もつかなかった。
故郷のゼルノー市では、車道はアスファルトで舗装され、歩道も単なるタイルや石畳が多かった。魔物や魔獣対策の市壁はあったが、【跳躍】除けの結界はなく、大人たちはしょっちゅう、防犯や防衛の為に必要だとぼやいた。
役所の回答はいつまで経っても、半世紀の内乱で【巣懸ける懸巣】学派の術者が大勢亡くなり、慢性的な人手不足に陥って、人外への対策だけで精一杯の一点張りだ。
……でも、リストヴァー自治区の周りには【跳躍】除けがあって魔法で入れないし、区内には魔法を使えなくする結界みたいなのもある……って、隊長さん、言ってたよな?
アーテル領内にある魔法で要塞化した街と、魔法で守られたキルクルス教徒の自治区の矛盾に気付き、ロークは何とも腑に落ちない思いで街並を見回した。
商店や背の低いビルの外壁にも、呪文を焼き付けたタイルや、呪文を刻んだ石材が使われる。
ソルニャーク隊長は、リストヴァー自治区内では魔法が使えないから、力ある民のゼルノー市民が術で放火して回るのは、不可能だと言った。
今にして思えば、星の道義勇軍が、ゼルノー市を襲撃する時に使った【消魔の石盤】を自治区の要所要所に設置してあると言うことなのだろう。
それが、放火で焼失したバラック地帯にもあったか、有効範囲などもわからない。今更知ったところで仕方がない。
ロークの祖父と両親は、テロを後方支援した。
星の道義勇軍のテロに加担して、自治区外の隠れキルクルス教徒に指示し、テロリストの為の拠点、食糧や燃料、武器だけでなく、【消魔符】や【吸魔の石盤】まで調達した。
自治区を焼いた大火は、もうひとつのキルクルス教徒の団体「星の標」の仕業だ。
ソルニャーク隊長は、星の道義勇軍の中であまり地位が高くないらしい。
実動部隊のひとつを任されただけで、作戦全体の詳細は知らされなかった。隠れキルクルス教徒の支援者が誰であるかも知らず、支援者宅の目印だけを教えられたに過ぎない。
その支援者が、星の道義勇軍に内緒で星の標とも通じ、バラック地帯への放火を知っていた――と知ったら、どう思うだろう。
ロークは久し振りに聞いた「星の標」の名で暗い記憶が次々と甦るのを止められなかった。
☆偽造ナンバーを用意……「0474.車のナンバー」→「0476.ふたつの不安」参照
☆【消魔の石盤】……「0072.夜明けの湖岸」参照




