0487.森の作戦会議
四人は少し森の奥へ移動し、作戦行動を開始した。
「害意 殺気 捕食者の姿 敵を捕える蜂角鷹の眼
敵を逃さぬ蜂角鷹の眼 詳らかにせよ」
魔装兵ルベルは術で拡大した視覚で、ツマーンの森を舐めるように見た。
魔哮砲は、発見場所から少し移動していた。
一昨日見た濃紺の大蛇は更に成長し、長さはわからないが、胴の直径が一車線分くらいある。頭がどちら向きか不明だが、魔哮砲からは三キロメートルばかり離れた。多分、この魔獣に襲われることはないだろう。ネーニア島北部のネモラリス領に侵入しないよう、今のルベルには祈ることしかできない。
気持ちを切替え、インクを浴びた部分を虹色に光らせる闇の塊を注視した。鬱蒼と生い茂る森の中だが、雑妖が一匹も見当たらない。
魔哮砲がじっと動かないのは、食後だからか。
ルベルはざっと視界を走らせた。
魔哮砲の現在位置は、北ヴィエートフィ大橋の袂とプラーム市の中間辺りだ。
魔装兵ルベルは、襟の裏に着けた【花の耳】で司令本部に状況を報告した。
「現在、ツマーンの森南東部。“目標”を発見。北ヴィエートフィ大橋の袂とプラーム市の中間付近の森林内。周辺に巨大な濃紺の大蛇が一体」
「了解。武運を祈る」
司令本部に報告を終えるとすぐ、魔装兵ルベルは捕獲部隊の三人を連れて現地へ跳んだ。
目鼻も何もわからない闇の塊が、人間の接近に気付き、ぐにゃりと形を変える。
喜んだのか、警戒するのか。風景を黒インクで塗り潰したような闇の塊が何を考えるか、全く顔色が読めない。一昨日、特殊インク【見鬼の色】を浴びせた部分だけが、虹色に輝いて見える。
魔法生物は、人工的に作り出された存在だ。感情表現が既存の生物と同一である保証はなかった。
彼我の距離は約十メートル。間には薮と木立がある。捕獲部隊の四人は顔を見合わせた。
ムラークが、ルベルに耳打ちする。
「お前、あれの傍に行ったコトあるんだろ? 向こうが憶えてるかもしれないから、ちょっと声掛けてみろよ」
「……あれと何の話をしろってんだよ」
相棒の無茶振りにルベルは眉間に縦皺を刻んだ。ただでさえ厳つい顔が更に険しくなる。
「歌が終わるまで、聞こえる範囲に留めなきゃいけないんだ。テキトーにあやしてみろって」
「あやすったって」
子供らには目が合った瞬間、泣かれたことしかない。
魔法生物が、ルベルの顔を他の人間と判別して「知り合い」と認識するかも怪しい。
だが、やってみるしかない。ルベルは、引き攣った作り笑いを浮かべ、一歩前へ出た。闇の塊は、全体に漣のような揺らぎを走らせたが、様子を窺うのか、その場を動かない。
ルベルは姿勢を低くし、チチチと鼠鳴きして、猫撫で声で言った。
「おいでー、こわくないよー、おいでー」
「あっ!」
魔哮砲は、猫が毛を逆立てるように闇全体を大きく揺らし、木立の間をすり抜けて流れるように移動した。
四人は慌てて後を追う。闇の塊は柔軟な身体で木々や薮をぬるりするりと抜け、牧場へ向かって次第に速度を上げる。四人は薮を飛び越え、倒木や岩に躓きそうになりながら追い掛けるが、距離は開く一方だ。
「待て! 追うのはやめよう」
歌い手アシューグの声にルベルはつんのめった。後の二人も驚いて足を止める。
「怯えているようだ。落ち着くのを待って、再び【索敵】、次はもっと近くに跳ぼう」
「捕獲系の術で取り押さえるんですね?」
ムラークが息を弾ませながら、歌い手アシューグに確認した。長命人種の大先輩は、頷きながらルベルを見る。
魔装兵ルベルは、自身の【飛翔する蜂角鷹】学派の術を思い返した。【呪縄】では、不定形の身体を捕えられない。人の手でこの世で生み出された実体を備え、この世への帰属度が高い魔法生物が、一般の魔物や魔獣と同じように【白銀の網】で捕えられるかどうか微妙だ。
ルベルは【飛翔する鷹】学派の術も幾つか使えるが、【光縄】や【紫電の網】では、魔哮砲を傷付けてしまう。
正直に申告した。
「ならば、三方に壁を建て、そこへ追い込んだ後、もう一枚【壁】を建てて閉じ込められぬか?」
「天井を作れないので、上から逃げるかもしれませんが、やってみましょう」
ルベルはアシューグの提案に乗り、【索敵】を掛け直した。
魔哮砲が逃げた方角へ目を凝らすと、虹色の輝きはすぐみつかった。
そのすぐ傍に濃紺の壁があり、行く手を阻む。森の中にうねうね横たわる壁は、どこまで続くかわからない。
「“目標”発見。すぐ傍に濃紺の大蛇が居ます」
「頭はどちらを向いている?」
「不明です。巨体で、胴が壁みたいに森の中を塞いでいます」
三人が息を呑む。
闇の塊が【索敵】の視界の中、鱗に覆われた壁に沿って西へ移動を開始した。一昨日この個体に食われたから、接触したくないのだろう。だが、こちらへ戻るのもイヤらしい。
アシューグが提案する。
「逃げられる度、一人に【跳躍】の負担を掛けたのでは、すぐ力尽きてしまう。【刮目】を掛けてくれ」
「了解」
……長丁場になりそうだな。
魔装兵ルベルは、こっそり溜め息を吐いて、三人に【刮目】を掛けた。これでルベルと視界を共有し、自力で現地へ【跳躍】できる。
「ルベル、俺も【障の壁】なら建てられる。濃紺の大蛇も使って挟み撃ちにしよう」
「じゃ、俺は剣を振り回して追い込みます」
ムラークとセカーチが、北西の方角へ視線を向けたまま言った。
……【障の壁】も【真水の壁】も、長時間持続する術じゃない。
攻撃を受ければ消える。二枚や三枚ではなく、次々建てねばならないだろう。ルベルは【魔力の水晶】とサファイアが幾つあるか、ポケットの布越しに数えた。
四人同時に魔哮砲の傍へ跳ぶ。
ルベルは後ろ、ムラークとセカーチは前方と斜め前、アシューグは濃紺の大蛇と向かい合う形で側面だ。
突然現れた人間に驚いたのか、トラック程の闇の塊が動きを止める。
ルベルは、ムラークと同時に力ある言葉を詠じた。
「天地の 間隔てる 風含む 仮初めの 不可視の壁よ
触れるまで 滾つ真水に 姿似て ここに建つ壁」
「隔てよ 遮れ 全てを拒め 水も漏らさぬ鋼の意志 不可視の塞よ
今此処を塞ぎ守れ 障の壁」
一枚目の【壁】がそれぞれ完成する。どちらも視えないが、薮や下生えの葉が押し付けられ、不自然に曲がった。注意深く観察すれば、およその位置はわかる。
二人は間髪入れず、半円を描くように移動し、次の【壁】を建てにかかった。
不定形の闇は気を取り直したらしく、再び動き出したが、どちらへ逃げるか迷ったらしい。右に左にぐにゃぐにゃ足踏みするように身体を揺するだけで、移動しない。
セカーチが短剣を抜いた。
アシューグがひとつ大きく息を吸い、朗々と歌い始める。自らの声を楽器に歌詞のない歌を出だし立つ。
声は“ア”の音と“ウ”の音の組合せで全く言葉の意味を成さないが、魔力を乗せたからか、旋律そのものの力か、ルベルたちの二枚目の【壁】が建つと同時に魔哮砲が動きを止めた。
……ん? これ、村祭りの歌じゃないか。
毎年、夏至の日に岩山の神スツラーシの祠に集まって、村人総出で歌う。今年は戦争のせいで帰省できなかったが、村は空襲に遭わずに済んだらしいので、祭は例年通り行われただろう。
……何でアシューグ先輩が……いや、何で研究資料に村祭りの歌が書いてあるんだ?
村祭りの歌は、神名こそ称しないが、湖の女神パニセア・ユニ・フローラと主神となった樫の神フラクシヌス、岩山の守護神スツラーシが、力を合わせて旱魃の龍を倒して、ラキュス湖を作ったことを讃える歌詞がある。
二十代前半のルベルは、いつから歌い継がれるか知らない。子供の頃は、儀式の後で振る舞われるご馳走しか興味がなかった。歌詞もウロ覚えだ。
三枚目の【壁】を建てることも忘れ、アシューグが紡ぐ懐かしい旋律に心を奪われた。ルベルの様子がおかしいことに気付き、衛生兵セカーチが声を掛ける。
「おい、どうした?」
「あ、いや……あっ! 敵襲!」
北西方向から拳大の黒い物が三つ飛んできた。
☆一昨日見た濃紺の大蛇……「0439.森林に舞う闇」参照
☆村は空襲に遭わずに済んだらしい……「0144.非番の一兵卒」参照




