0486.急造の捕獲隊
魔装兵ルベルは、急遽編成された捕獲部隊を連れ、術で付けた目印まで【跳躍】した。
「鵬程を越え、此地から彼地へ駆ける。
大逵を手繰り、折り重ね、一足に跳ぶ。この身を其処に」
ツマーンの森南東部へ跳んですぐ、ルベルたちは異変を察した。朝霧の漂う森に排気ガスの臭いが濃く立ち込める。
ルベルは北を向いて、木立に目を凝らした。少し離れた所にツマーンの森を貫く新道があり、【索敵】を使うまでもなく、戦車が見える。
「なんだよ、もう動いたのか」
相棒の魔装兵ムラークが舌打ちして姿勢を低くする。ルベルと捕獲係として加えられたアシューグ、衛生兵のセカーチも薮の陰に身を潜め、顔を見合わせた。
魔装兵ルベルとムラークの探索隊が魔哮砲を発見。軍司令本部に報告したのは、一昨日の夕方だ。
昨日の夕方、アーテル陸軍が北ヴィエートフィ大橋を渡ったとの情報が入り、ムラーク他数名の魔装兵が、大橋付近に【跳躍】して確認した。
案内役のムラークはすぐ基地に帰還し、魔装兵たちは術で印を付け、交代でアーテル軍の監視を続ける。定時連絡の他、アーテル軍に動きがあれば、司令本部に報告する手筈だ。
今のところ、魔装兵ルベルの襟の裏に着けた【花の耳】は沈黙を守る。
捕獲部隊の四人はネモラリスの軍服ではなく、民間の魔獣駆除業者を装った私服風の魔法の【鎧】を着用する。
衛生兵セカーチは【思考する梟】学派の徽章を提げるが、魔法の短剣を佩く。現在の制式装備ではなく、旧ラキュス・ラクリマリス王国時代の制式装備だった物で、これなら万一発見されても、先祖が騎士だった、或いは、古道具屋で買ったとでも言い訳が立つ。
他の三人は元々官給品ではなく、自前の武器だ。
「なぁ、何で、ラクリマリスはあいつら追い出さないんだ?」
北ヴィエートフィ大橋の惨状を直接目にしたムラークが、誰にともなく囁いた。ラクリマリス国王や政府高官が何を考えて放置するのか、答えられる者はこの場には居ない。
ルベルはムラークの囁きを独り言として片付け、三人に改めて作戦の手順を確認した。
「俺は今から【索敵】で“目標”を捜します。一昨日みつけた時に【見鬼の色】でペイントしたから、居場所はすぐわかります」
「問題は、付近にラクリマリス軍やアーテル軍が居るやも知れぬことだな」
呪歌の歌い手アシューグは、若く見えるが三百年程の軍歴がある大先輩だ。【歌う鷦鷯】学派の呪歌だけでなく、剣技にも長ける、と将軍に紹介された。
魔哮砲を食って強化された魔獣が居る可能性の方が高いが、【制約】を掛けられたせいで、ルベルには魔哮砲の情報を含めた注意喚起ができない。
魔装兵ルベルは、戦車が通り過ぎるのを待って【花の耳】に状況を報告した。
「現在、ツマーンの森新道。“目標”と火の雄牛の交戦地点脇の南、森林に潜伏。アーテル軍の戦車と軍用車が新道を東へ移動中。“目標”は未だ発見に至らず」
「了解」
監視部隊から既に報告を受けたのか、司令本部からの応答は素っ気ない。
「魔獣は……俺たちが頑張って倒すか、追っ払うかします」
「人間の軍……ラクリマリス軍とは、なるべく戦いたくないですよねぇ」
魔装兵ムラークが言うと、衛生兵のセカーチが溜め息を吐いた。
アシューグが呪歌で魔哮砲を休眠状態にし、ムラークが【従魔の檻】で捕獲する単純な作戦だ。
ルベルは、予備に渡された【従魔の檻】を胸ポケットから出した。
モノは素焼きの茶色い小瓶だが、縦書きされた呪文が柵に見えることから【檻】の名で呼ばれる。【頑強】の術で守られ、通常の手段では割れない。
「先輩、呪歌で眠らすって、俺らまで寝ちゃったらヤバくないですか?」
魔装兵ムラークが小声で聞くと、アシューグはみんなを見回して答えた。
「それはない。安心せよ。この呪歌……いや、力ある言葉の歌詞のない旋律は、あれの開発時に作られた専用の制御符号だ」
「じゃあ、他の奴には全然効かないんですね」
衛生兵セカーチが、表情を明るくした。
【歌う鷦鷯】学派の呪歌は、いずれも発動に強い魔力が要る。呪歌の歌い手で、三百年の軍歴を持つアシューグは、相当な魔力の持ち主なのだ。彼が普通の呪歌を謳えば、ルベルたちの魔力では抵抗できないだろう。
「生身の人間の歌声だけでなく、楽器の演奏やレコードの録音でもいいらしい。勿論、音を外しさえしなければ、力なき民の歌声でも」
アシューグの言葉にルベルたちは驚いた。
……それなら、最初から俺とムラークに【従魔の檻】を持たせて、歌……いや、曲か? 制御符号を教えて、発見と捕獲を一遍にさせてりゃよかったのに。
急拵えの捕獲部隊は、碌な説明もないまま、打合せもそこそこに顔合わせだけで現場に投入された。こんな所で作戦会議させられる身にもなって欲しい――誰も口に出して言わないが、顔に書いてある。
衛生兵セカーチが選ばれたのは、軍内の【思考する梟】の術者の中では、最も剣技が得意だからだろう。
魔法薬の素材を目利きする為、との言い訳要員でもある。
それなら、【思考する梟】の薬師ではなく、【飛翔する梟】の呪医を出してくれてもよさそうなものだ。上層部はこの任務の危険性を熟知する筈なのにヘンにケチられたようで、気に障る。だが、セカーチに言うワケにもゆかず、ルベルとムラークはそれに触れなかった。
魔装兵ルベルは薮の隙間から新道を窺い、戦車と軍用車が通過するのを待つ。
アーテル軍は、ラクリマリス王国軍と政府の土木技術官が敷設し、役所とフラクシヌス教団が維持管理する【魔除け】などが掛かった道路を通過することをどう思うのだろう。
キルクルス教への信仰が篤く、魔法で守られることに嫌悪感がある筈だ。魔物に襲われる危険を冒してでも森林を踏み越えて行くと思ったので、ルベルはアーテル軍の進路が意外だった。
アーテルの車輌が遠ざかり、静かになったところで、魔装兵ルベルは説明を再開した。
「誰がどこまで知らされたかわからないので、できる限り、情報共有してから実行しましょう」
「アーテル軍に先を越されぬか?」
アシューグの懸念にムラークが答える。
「さっきコイツが言った目印があるんで、我々のが有利ですよ。アーテルの奴らは、森の魔物とかに怯えながら闇雲に捜すしかないんで」
歌い手アシューグと衛生兵セカーチが頷いたのを見て、ルベルは話を続けた。
「えーっと……この森には、とんでもなく強い魔獣が居る可能性が高いです。それで、まず、あれのスペック。【制約】を掛けられたんで、俺の口からは言えませんが」
慎重に言葉を選んだ周辺情報なら語れるとわかり、ルベルは三人に察してくれと目で訴える。
相棒のムラークが、少し考えて推測を述べた。
「あれの【光の槍】強化版みたいな攻撃は、単なる魔力の塊じゃなくて、魔物や魔獣が喰らったら、その魔力を吸収して強くなっちまうってコトか?」
魔装兵ルベルはそう言われて初めて、将軍から受けた説明の不自然さに気付いたが、それを口に出せなかった。その理屈で行くと、マスリーナ市で巨大な魔獣を倒せたことの説明がつかない。
ルベルは【制約】の呪力で首を横に振ることさえできなかった。
消去法で正解に近付くことをも阻む【渡る白鳥】学派の術の威力に背筋がうすら寒くなる。マスリーナ港で魔哮砲の操手が、質問に答えなかった理由がようやくわかった。
魔哮砲は、魔力の吐き出し方によって、「魔力による破壊」と「魔物などへの魔力供給」を切替えられるのかもしれないが、誰かに質問したり、その可能性について誰かと議論することも不可能だ。
あの日、ムラークが口にした思いつきの方が余程、説得力がある。
……自分で調べるしかないのかな?
研究資料の在り処を誰かに聞くこともできず、どこから手を付ければいいかわからない。アル・ジャディ将軍自ら口を開くのを待つしかないのがもどかしかった。
「何も言えぬと言うことは、正解なのか」
アシューグの勘違いを訂正できないのがもどかしい。
別の日に将軍に聞かされた説明によると、実際は、魔力を蓄えた魔哮砲は、栄養満点のガムのようなものだ。本体は消化吸収されずに吐き出されるが、その魔力で捕食者がドーピングされるのだ。
「俺たちは一昨日、【見鬼の色】で印を付けました」
「不勉強でゴメン。何、その術?」
衛生兵セカーチが、申し訳なさそうな目をルベルに向けた。外見はルベルより年上に見えるが、常命人種なのか長命人種なのか、態度からは判然としない。
「水性の特殊インクです。未使用だと青いんですけど、魔物や魔獣を染めると、虹色になります」
「水性? この辺って一昨日、雨とか言ってなかったか?」
「雨で物理的に流されても、霊的な目印は十日間残ります」
ルベルが衛生兵セカーチに答えると、歌い手アシューグが指折り数えて呟いた。
「残り一週間……か」
「それ以前にあれが捕食されれば、消えます」
「そうか。では、虹色のモノを捜せばよいのだな」
「はい。【索敵】の眼には強く輝いて見えます。あれには実体がありますけど、仮に実体のない魔物でも、あれで染めれば半視力の眼にも見えるようになるそうです」
「それで【見鬼の色】か。成程な。発見後、ただちに【跳躍】し、私が制御符号を歌う。少し長い曲だ。四分弱、守って欲しい」
「はい。俺が先輩の四方に【真水の壁】を建てます」
「頼んだぞ」
呪歌は発動すれば強力だが、大抵の術は呪文が他の学派に比べて長く、必要な魔力も膨大だ。歌が中断すれば、イチからやり直しなのは、魔力を必要としないこの制御符号の曲も同じなのだろう。
「彼が守る間、俺たちは魔獣とかを牽制します」
「あれが休眠状態になったら、俺が【従魔の檻】で捕まえます。この瓶、術で守られてて、容れたモノを出すまで割れないそうなんで、俺にもしものことがあったら、よろしくお願いします」
魔装兵ムラークが胸ポケットから茶色の小瓶を出し、歌い手アシューグと衛生兵セカーチに言った。
歌い手アシューグが聞く。
「使用法は?」
「対象に瓶の口をくっつけて、力ある言葉で“入れ、人の手に成る懐生”です」
「俺が予備を持ってるんで、近くの魔獣を倒すのが無理なら、“入れ、この世ならざる傍生”で閉じ込めて下さい」
ルベルが予備の瓶を見せると、衛生兵セカーチが苦笑した。
「生け捕りにする方が難しそうだな」
「ん? 瓶の底に湖南語で何か書いてあるぞ?」
小瓶を手の中で弄んでいたムラークが、底の小さな文字に目を凝らした。
「黄金の雨……これが解放の合言葉なのか?」
「ふざけた職人だな」
歌い手アシューグが何とも言えない顔で口許を歪めた。
黄金の雨……思いがけず舞い込んだ不労利得のことだ。
今から命懸けで働く四人の間に微妙な空気が流れた。
気を取り直して、アシューグが説明の続きをする。
「あれが大人しくしていても、休眠状態にするまで捕えぬように」
「どうしてですか?」
捕獲器【従魔の檻】を渡されただけで、ルベルたちは理由までは聞かされていない。
「そのまま捕えて放置すると、数日で餓死するからだ。制御符号で休眠……仮死状態にすれば、数百年は保存が利くようになるとのことだ」
ネモラリス軍の上層部は、他国にどれだけ叩かれようと、貴重な魔法生物を失いたくないらしい。
衛生兵セカーチが確認する。
「アーテル兵と遭遇した場合は、なるべく殲滅。ラクリマリス兵は業者のフリでやり過ごす……ですよね?」
魔装兵ルベルたち四人は頷き合い、作戦会議は終わった。
☆【制約】を掛けられた……「0409.窓のない部屋」参照
☆一昨日の夕方/この森には、とんでもなく強い魔獣が居る可能性が高い……「0439.森林に舞う闇」参照
☆将軍から受けた説明/ムラークが口にした思いつき……「0438.特命の魔装兵」参照
☆マスリーナ市で巨大な魔獣を倒せた……「0232.消え去る魔獣」参照




