0484.我慢の終わり
若い女性の一人が、抑えた声で努めて冷静に言う。
「アシーナはお祭りの練習の休憩中、ずーっと誰かの悪口を楽しそうに喋ってるわよね」
「こっちは聞きたくもないのにベラベラベラベラ」
「明るい口調で、楽しそうな雰囲気で言っても、悪口は悪口よ」
「みんな、場の雰囲気を悪くしたくないから、あんまり強く言わなかったけど」
他の娘たちが次々続き、アシーナの孤立が浮き彫りになる。
「あれは悪口じゃなくて、こう言うことがあったって言う、世間話的なアレで」
「嘘ばっかり! そこに居ない人の悪口言って、それが本人に伝わらないとでも思ってんの?」
「私だけじゃなくて練習に参加した子みんな、司祭様も御寮人様も、店長さんもサロートカも、他のお店の人たちもみ~んな、あんたに悪口言われてンだけど?」
「あれが悪口じゃなくて、普通の世間話だと思ってんの、あんただけよ」
「ホントに悪口のつもりじゃなかったって言うんなら、あなた、魂が魔物に近い根っからの悪人よ」
司祭は、これまで積み重ねられた小さな我慢のタガが外れ、一気に不満をぶちまける女性たちを黙って見守った。
雨は降り止まず、植えられたばかりの街路樹が、強い風に葉を散らす。時折、薄暗い礼拝堂に稲光が射し、雷鳴が腹の底に響いた。
「みんな、魔女よりお前さんの方が、性質悪ぃって言ってんだよ」
アシーナは、元呑み屋の亭主を凄まじい形相で睨みつけたが、見間違いかと思う程の一瞬で、元の悲しげで誠実な表情に戻った。
スカーフで頭部の火傷痕を隠した女性が、一息に捲し立てる。
「さっきだってそうじゃない。店長さんに頼まれた仕事サボって、私たちには看病しに来たって嘘吐いて、手ぶらで来たのに、ウィオラから取り上げた物を『みんなから預かったお見舞いの品です』って、言ってるコト無茶苦茶じゃないの!」
「お見舞いを預けた人って誰と誰? その人に聞けば、あんたの言ったコトがホントかどうか証明できるし、この際ハッキリさせましょうよ」
「みんな忙しい人ばかりだから、私に預けたのに、そんなコトで余計な手間を取らせるなんて」
アシーナは尚も言い繕い、か弱い善人の仮面を外さない。
クフシーンカは、杖で礼拝堂の床を打って声を張り上げた。
「アシーナ、もう家に帰りなさい」
「でも、こんな大雨なのに」
「あなたがくすねた糸と端切れとボタンと、折れたと偽って売り飛ばした針も、作業をサロートカに押し付けてどこかへ行ったことも、みんな、あなたの中ではなかったことになっているのね?」
「私、そんなコトしてません」
アシーナは、強い口調できっぱりと否定する。その言葉も雑妖となり、一瞬、空気を濁らせて消えた。
「私はあなたの行き先も知っているけれど、どこで何をしていたか、みんなの前で言ってもいいの?」
「どこにも行ってません。ちゃんと仕事してました」
「私が出した食事の不平不満から、何から何まで、私には伝わっているし、私自身、この目と耳で確かめたこともあるのよ?」
「店長さんは、隠れてコソコソ盗み聞きするような人なんですか? 違いますよね? 根も葉もない陰口を信じちゃう人なんですか?」
アシーナは、キツイことを言った罪悪感を煽ろうと、有りもしないクフシーンカの非をあげつらっては否定し、殊更に怯えた目で周囲に助けを求め、雇い主の発言を理不尽な言い掛かりに仕立て上げようとする。
「私は今まで何度も、あなたの思い違いを正そうと忠告してきたつもりなのだけれど、あちこちで私の陰口を叩くだけで、ちっとも自分を省みないのね。もういいわ」
許されたとでも思ったのか、アシーナの頬が緩む。
司祭が小さく首を横に振った。
静まり返り、窓を打つ雨の音に満たされた礼拝堂にクフシーンカの声が響いた。
「アシーナ、あなたとの契約を今を限りに解除します。二度と店に来ないでちょうだい」
「私をクビにするって言うんですか? 嘘ですよね? 証拠もないのに、泥棒呼ばわりして、根も葉もない噂や陰口を信じてクビにするんですか?」
「証拠を出せば、あなたを警察に突き出さなければならないのよ?」
「私、疚しいことなんて何もしてません。証拠があるって言うんなら、喜んで警察へ行きますよ」
クフシーンカは、言葉の通じなさに頭が痛くなってきた。
堂々とした物言いに、礼拝堂に居合わせた人々の何人かが、自信を失った目で司祭とクフシーンカを見る。
何も知らなければ、アシーナが「無実の罪を着せられ、職を奪われようとしているか弱い少女」に見えてしまうのも仕方のない演技力だ。
作業のリーダー格のおばさんが、大袈裟に溜め息を吐いてみせる。
「アシーナ、もうすぐみんなが山から降りてくるし、そんな風に雑妖を吐かれたんじゃ、おっかなくって困るんだよ。出てってくんないかい?」
「酷い……こんな大雨の中、出てけって言うんですか?」
アシーナが、罪もないのに教会から追い出される被害者の体で、傷付いた顔をしてみせる。
菓子屋のおかみさんがぴしゃりと言った。
「山で作業を頑張ったみんなだってそうだよ」
「でも、山の作業した人たちは、身体が洗えて丁度いいじゃありませんか」
「丁度いいだって? 自分は酷い大雨だから出たくないなんて言っときながら、よくそんなコトが言えたもんだね?」
アシーナは、菓子屋のおかみさんの厳しい視線に怯えたように顔を逸らし、か弱い自分を守ってくれとばかりに司祭に縋るような目を向けた。
司祭が問う。
「アシーナ、自分の口から雑妖が出てくる件について、どう思いますか?」
「司祭様までみんなの嘘を信じるんですか? みんなの方がよっぽど酷い言葉で私を罵ってるのに」
アシーナは本当にショックを受けたのか、稲光の中で鮮明に浮かびあがった顔は蒼白だ。
クフシーンカは、慎重に言葉を選んで質問した。
「アシーナ、今までどこかで雑妖を視たことがあるかしら?」
「いいえ? ここは魔法使いが一人も居ない清浄地ですよ? そんなの居るワケないじゃないですか」
「ホントに一回も? そんな嘘吐いてどうするの?」
「こんなコトまで疑うんですか? 時々おうちで亡くなった方の遺体から涌きますけど、星の道義勇軍のみなさんが、人目に触れる前に何とかして下さいますし」
アシーナの声にうっすらと侮蔑が滲む。
「あなたが言ってるのは、魔物や魔獣のことだし、魔法使いが居ても居なくても関係ないわ」
アシーナは、クフシーンカの言葉に首を傾げた。
司祭が説明を重ねる。
「私の仕事のひとつは、雑妖の溜まり場を清めることです。雑妖は、不潔な場所や暗がり、死体や人の悪想念などから生じる穢れた存在で、この自治区でも毎日大量に発生しているのですよ」
居合わせた者たちは、ひとつの答えを得てアシーナを見た。
思い当たる節のある者たちが、あぁそう言えば、と顔を見合わせて頷き合う。
戸惑うアシーナに司祭が告げた。




