0482.揺るぎない嘘
針子のアシーナが首を横に振ると、金の髪が礼拝堂の薄い灯に輝いた。
「そんな根も葉もない嘘で私を陥れて、何が面白いんですか? ヘンな言い掛かりつけるのはやめて下さい」
「俺はお前の嘘が不愉快だよ。“私ゃ罪のない被害者でござい”って面しやがって反吐が出らぁ」
元呑み屋の亭主が、大火で受けた火傷で利かない左手でアシーナを指差す。
「嘘なんて吐いてません。どうして信じてくれないんですか?」
「自治区じゃ魔法で嘘を暴かれねぇからって、言いたい放題、嘘吐いて、司祭様と店長さん騙くらかして、オイシイ仕事にありつきやがって」
クフシーンカは、思わず息を呑んで司祭と顔を見合わせ、針子のアシーナに視線を戻す。
アシーナが、怯えた目で元呑み屋の亭主と司祭、雇い主である仕立屋のクフシーンカ店長を順繰りに見た。
「全部、この人の嘘です。私、今までずっと真面目に働いてましたよね? 店長さん、見てましたよね?」
クフシーンカは、ゆっくり首を横に振り、縋りつく針子の視線を振り払った。
「アシーナは、面倒な作業をみんなサロートカに押し付けて、糸と端切れと針、古着から回収したボタンをくすねて、横流しもしてるわね。私が知らないとでも」
「サロートカまでそんな嘘を?」
信じられないと言いたげに見開いた目が、クフシーンカを見る。何も知らなければ、自分を被害者だと信じて疑わないこの目に騙されてしまいそうだ。
クフシーンカは、アシーナに厳しい視線を返した。
「サロートカは何も言わないわ」
もう一人の針子……サロートカはいつも萎縮して、時折、何か言いたそうに作業部屋の抽斗やお針箱を見詰め、クフシーンカの注意を引いた。
告げ口しようものなら、店長の留守中、アシーナが逆恨みで何をしでかすかわからず、怖くて何も言えないようだ。しかし、言わないこともまた、彼女の罪悪感を掻き立て、苦しめたようだ。
「じゃあ、どうしてそんなコトおっしゃるんです? 濡れ衣です」
「アシーナ、私をこの道何年だと思ってるの? 縫い目を見れば、どちらが作業したかなんて一目でわかるのよ」
「確かに、わからないところはちょっとだけ教えてもらいましたけど、作業を押しつけたりなんてしてません」
はっきり否定する声は揺るぎなく、その声音は、事実を告げるように聞こえる。
クフシーンカはアシーナの嘘を聞き流し、以前から把握している悪事を告げた。
「ボタンだってそうよ。私がどれだけ大勢の人と会っていると思っているの? あなたが私の代わりだと嘘を吐いて、金や銀、珊瑚や貝細工の高価なボタンだけを選んで売り歩くのも、知っているのよ」
「仕事が早い私より、あんな子の作り話を信じるんですか?」
「何を言うの? サロートカは私に告げ口なんてしてないわ」
「だったら、どうしてそんな言い掛かりをつけるんですか?」
「ここのところ忙しかったから、叱るのを後回しにしてしまったけれど、この際だから言わせてもらうわね。何も言わない人は、何も知らない……気付いてないワケじゃないのよ」
「証拠もないのにそんな噂くらいで」
「アシーナ。ボタンの件については、私も支援者のみなさんや、教会で作業する大勢の方から、色々な話を聞いています。どれが本当のことなのですか?」
司祭の静かな悲しみに満ちた声が、雇い主に反論しようとするアシーナの言葉を遮った。
「どれと言われましても……私はその方たちのお話を直接伺っていませんから、何とも」
「聖者様の前です。嘘偽りなく答えて下さい」
「それは、店長が私にボタンを下さった理由が、その時々で違うからですよ」
「では、店長さんは本当に、アシーナにボタンの販売を任せたのですか? 見習いのアシーナへの報酬として高価なボタンを支払ったのですか? 不要だから捨てると言ったのをアシーナが無償で譲り受けたのですか? アシーナに救済事業の食料品と交換するお使いを頼んだのですか? 裕福なお客さんとの顔繋ぎに名刺代わりにしなさいと渡したのですか?」
クフシーンカは、司祭が並べた五つの話を全て、アシーナに盗品を売りつけられた常連客や顔馴染み、ラクエウス議員の支援者などの口から直接、聞いた。いや、買取るまで玄関先に居座って帰らなかった、と苦情を言われたのだ。
人々の疑いの眼差しが針子の少女に注がれる。
雨脚は一向に衰えず、礼拝堂の屋根を打った。
「私は、アシーナにもサロートカにも、ボタンをあげたことなんて一度もありません。仕事の報酬は食べ物で支払っています」
仕立屋の店長クフシーンカは、杖を握る手に力を籠めて言った。
盗人の逃げ道を塞ぐ為に付け加える。
「練習で作った袋なども、売り物にはならないので持ち帰らせますが、それには高価なボタンなんて付けていませんよ」
「店長までそんな嘘で私を陥れるんですか? どうして?」
「私がアシーナを陥れて一体何の得があるんです? つまらない言い逃れはおやめなさい」
アシーナは、飽くまでも堂々と切々と被害を訴える。居合わせた人々は、どちらが本当かわからなくなってきたのか、口を挟むこともできずにオロオロと見守る。
「あなたのその態度と声音の雰囲気に呑まれて、嘘を信じ込まされる人こそ被害者なのよ。店から盗んだボタンを売りつけられたと知ったら、悲しむでしょうね」
「店長さんが私に下さったのに、すっかり忘れて、盗んだなんておっしゃるんですか」
……おやおや、今度は私をボケ老人に仕立て上げるつもり?
クフシーンカは呆れて、アシーナのよく回る口を見た。針子の口許は暗い。天気が悪いせいで、礼拝堂の窓から差し込む光が弱いからかと思ったが、よく見てもはやりそこだけが暗い。
すっかり作業の手を止めてしまった人々を見回しても、口許だけが暗い者は居なかった。
……どう言うこと?
元呑み屋の亭主が、アシーナに苛立った声をぶつける。
「アシーナ、いい加減にしろよ。今度は世話んなってる店長さんをボケ老人扱いか」
「いえ、そう言うワケじゃ……でも、最近、私に頼んだ用事を忘れられたり、寄付した物を盗まれたって言いだしたり」
「おいおい、つまんねぇ嘘吐くのも大概にしとけよ? 店長さんはな、寄付する物はみんな、目録作って事務所に記録を残してらっしゃるんだ」
静観していた菓子屋の店主が、堪り兼ねて口を挟んだ。
アシーナの言葉と、自分が実際に見聞きした事実との矛盾に気付いたらしい。
「作業だって、まず俺らに手順書を渡してその通りにきちんと指示して下さる。これでボケてるってんなら、俺らどんだけ大ボケだってんだ?」
教会で作業する人々もそれに頷いた。




