0481.偽りの誠実さ
三人が礼拝堂に戻ると、場に微妙な空気が流れた。
「司祭様、アシーナが来た時、何か持っていましたか?」
「いいえ。どうされました?」
「手ぶらで来て、傘も何も持ってなかったから」
「帰れないだろうねって、心配してたんですよ」
クフシーンカの問いに司祭だけでなく、居合わせた住人十数名が一斉に首を横に振った。
「アシーナ。あの袋、ウィオラにお見舞いの品を預かって来たと言ったわね? 誰も知らないのは、どう言うコトかしら?」
「みなさんお忙しいから、ちゃんと見てらっしゃらなかったんですよ」
アシーナは堂々と答えた。全く動揺の素振りもない。
クフシーンカは大きく息を吸い、なるべく落ち着いた声で言った。
「“あんたばっかりズルい……売女のクセにみんなから大事にされて、こんなイイ物いっぱいもらって、私にも分けてくれてもいいじゃない”って言ってたのは、どう言う」
「違います。私、そんなの言ってません」
「どう言うコトかしら? お見舞いや看病の言葉とは思えないし、ウィオラが泣いていたのと、ぎっしり物が詰まった袋」
「私じゃありません。言ってません」
「アシーナちゃん、話の腰を折らないどくれよ。何の話か余計気になるわ。さ、店長さん、続きをどうぞ」
袋詰め作業のリーダー格のおばさんが、クフシーンカに続きを促す。みんなは作業をしながら、耳だけこちらに向けた。
「ぎっしり物が詰まった袋とワンピースを持っていたのは、どうして?」
「袋は、さっきも言いましたけど、預かって来たお見舞いです。ワンピースは縫製の参考にちょっと貸してもらおうとしただけです」
「あなたは、物を貸して下さいって頼む時に相手を売女呼ばわりするの?」
「言ってません」
アシーナは堂々と言って胸を張り、困ったような笑顔を浮かべて礼拝堂で作業する人々を見回した。さも、老いた店長に愚にもつかない妄言を吐かれて迷惑、と言いたげな態度だ。
「私だけじゃなくて、ウィオラ本人は勿論、この奥さんとお隣の部屋に居たシスターも聞いていたのに、言っていないって言うのね?」
「みんなで口裏合わせて私を陥れるんですか? 私、何か店長さんの気に障るコト……私が朝のお祭りの練習に出るの、そんなにイヤだったんですか?」
アシーナは、被害者の態度を崩さない。
左腕に大きな火傷痕のある男性が、堰を切ったように笑いだした。高い笑い声が礼拝堂に響き渡り、人々がギョッとして作業の手を止める。
男性は一頻り笑ってなんとか落ち着き、まだ笑いの残る口で言った。
「アシーナ。お前さん、いつから売女を辞めたんだ?」
「いつからも何も、私は最初からそんな穢らわしいコトしてません」
アシーナはきっぱり跳ね付けたが、男性は全く動じない。
「お前さんの親爺さんは、自動車部品の工場で働いて商店街の隣の筋に家を構えてた」
「どうして、父をご存知なんですか?」
「お前さんちは、ウチの店の裏だったもんで、こちとら全部知ってんだよ」
「私はあなたなんて知りません。ご近所さんを知らない筈ないでしょう。嘘吐くの、やめて下さい」
「ウチは呑み屋だったから、お前さんが俺を知らねぇのも無理ねぇがな」
アシーナが薄気味悪そうに男性を見て、礼拝堂の人々に助けを求める目を向けたが、誰も反応しなかった。クフシーンカと司祭は、二人の遣り取りに口を挟まず、成り行きを見守る。
「嘘なもんか。勉強すんの面倒だっつって、お前さんが学校サボるたんびに、お袋さんが、そんなコトじゃまともなトコに就職できないから、せめて中学を出るまでは頑張りなさいって」
「ウチは貧しかったから」
「あの火事さえなきゃ、お前さんが働かなくても高校に行けるだけの稼ぎはあったさ」
「アミエーラの父親も同じ工場の給料で、娘に後ろ暗い商売をさせずに高校を卒業させていましたよ」
しおらしく貧しさを嘆く態度を取るアシーナに、元呑み屋の亭主とクフシーンカが畳みかけた。
みんなは、誰の言い分が本当か計り兼ね、三人をちらちら見比べる。
「お前さんは中学に入ってすぐくらいから、学校サボって昼間っから工場の寮に出入りして、非番や夜勤明けの連中相手に身体売ってたじゃねぇか」
「そんなコトしてません。ちゃんと学校、行ってました」
「先生に聞きゃ一発でバレる嘘吐いてんのはおめぇだよ。中学の校舎は半分焼け残って、出席簿やら成績表やら、ちゃんとあるんだ」
「家の手伝いとかで行けない日も多かったですけど、そんなの証拠になんてなりませんよ」
アシーナは、澱みなく誠実な声音で言う。対して、元呑み屋の亭主は苛立ちを抑えきれない声が、何とも意地悪く聞こえた。
「嘘吐いてんのはお前さんだ。一回、親爺の勤め先の寮で商売やって、親爺さんに『このクソアマ、恥かかせやがって』って、工場からウチの店の前まで引きずり出されてたじゃねぇか」
「そんなコトあり得ません。父が生きていれば、こんな根も葉もない嘘で陥れられるコトなんてなかったのに」
アシーナは、涙を浮かべて礼拝堂の人々を見回して俯いた。金色の髪が照明を受け、天使の輪のように輝く。
「死人に口なしでバックレようとしてんのは、おめぇだよ、アシーナ。あの辺の工員連中や警備員、み~んな、お前が何やってたか知ってらぁ!」
「違います。私じゃありません。人違いです」
「足洗ったのは褒めてやりてぇところだが、親に売られて嫌々商売させられてた娘を売女呼ばわりすんのはいただけねぇ!」
「私、そんなコト言ってません。あなたはあの場に居なかったクセにいい加減なコト言わないで下さい」
「ホントの売女ってのは、お前さんのコトを言うんだよ!」
アシーナが間で何度も大声を出して遮ろうとするが、元呑み屋の亭主はそれを上回る大音声で、最後まで言った。
二人の間に会話が成立せず、どちらが正しいかわからない。誰もが手を止め、固唾を呑んで成り行きを見守る。
窓を打つ雨音が激しさを増し、稲妻の閃光に続いて雷鳴が轟いた。




