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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第二章 印歴二一九一年二月二日

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0049.今後と今夜は

 アウェッラーナは、陸の民の少年の後ろ姿を見送り、【操水】の術で水道水を起ち上げた。小型の浴槽一杯分くらい汲んで、鉄鋼公園へ戻る。


 テロリストを発見したと言う少年は、必死に警察署まで駆けて来たのだろう。息切れしてすっかり怯えていた。その友達の安否も不明だ。

 今、この街では、あちこちで同じことが起こっている。

 少年は到着したパトカーに乗せられ、どこかへ行った。


 ……道案内……あの子、戦闘に巻き込まれなければいいんだけど。


 アウェッラーナは公園に戻ると、汗や埃、煤で汚れた人々を洗った。

 術で人肌よりやや熱めに加熱した湯で汚れを洗い流す。洗われた人々は、晴れ晴れとした顔で、湖の民の薬師(くすし)に礼を言った。

 冬の日は早い。

 傾き始めた日に風が冷える。


 「あ、もしかして、パン屋さんですか?」

 洗っている服に赤い椿の刺繍を見つけ、アウェッラーナは年配の男性に声を掛けた。男性が(うなず)く。

 「パン、ご馳走さまでした。私、薬師(くすし)です」

 「あぁ、いえいえ、あんな潰れたパンですみません」

 「いえ、美味しかったですよ」

 「こちらこそ、助かりましたから。あんなものしかお礼できなくて……」

 「いえいえ、お気遣(きづか)いなく」

 「お蔭様で娘たちと再会できました。女房と息子がまだなんで、明日の今頃までは、ここで待とうと思ってます。薬師さんは、ずっと病院で?」



 病院職員も、力なき民と女性は次々と避難させられた。

 今も残るのは、呪医と年配の男性薬師と、事務長の三人だけだ。彼らは昨夜、一台だけ残した病院の車で休んだと言っていた。

 今後は【巣懸(すか)ける懸巣(カケス)】学派の建築技師と資材の手配が住み次第、ジェリェーゾ署に移るらしい。

 地区の前線基地として、ここを死守する。

 「あなたは民間人だ。国から直接、要請がない限り、無理してここに留まる必要はない」

 市民病院の事務長はそう言ってくれたが、アウェッラーナは迷っていた。



 「いえ、私、他の病院の者なんです。これから……どうしようかなって……」

 「なら、我々と一緒に避難しませんか? 魔法は使えませんが、昼は水汲みや(まき)拾い、夜も焚火番や見張りくらいはできますよ」

 「うーん……明日の……朝まで考えさせてもらってもいいですか?」

 「勿論(もちろん)、いいですよ。薬師(くすし)さんにもご都合がおありでしょう」

 小学生の娘は父のエプロン、中学生の娘は父の左手を握り、黙ってその遣り取りを見守る。


 いつまでもこんな所でぐずぐずして居られない。

 魔法使いが居なくなれば、魔物に食べられてしまうかもしれない。

 それは、わかっている。でも、母と兄を見捨てて逃げるのは辛い。

 身を切られるような思いが籠められた眼差しから目を逸らし、アウェッラーナは【跳躍】した。


 漁港の設備は、粗方(あらかた)破壊されていた。船は一隻もない。

 かなり威力のある爆弾を使ったのか、魚の加工場が吹き飛び、瓦礫が散らばる。周辺の住宅地は完全に焼失し、真っ黒な焼け跡からは、まだ(かす)かに煙が漂う。


 南側の工場地帯も沈黙していた。

 いつもなら絶えず煙を吐く煙突が、ただそこに突っ立つ。

 北西方向も見渡す限りの焼け野原だ。道路にも瓦礫が散乱し、一般車両のタイヤでは通行できそうもない。


 ……誰も火を消さなかったの? どうして?


 戦闘機の編隊で面的に爆撃される空襲ではなく、地上からの攻撃だけでこれだけの事態になったことが、不思議だ。

 焼け跡では、ネモラリス軍の兵士と警察官が、警戒とテロリストや負傷者の捜索に当たる。


 アウェッラーナが途方に暮れていると、銃を持った正規兵が小走りに近付いた。

 「ここは今、立入禁止です。速やかに避難して下さい」

 アウェッラーナが湖の民だからか、兵士の口調は丁寧だ。

 他に民間人の姿はない。

 「あの……身内が漁師で、昨日は漁に出ていた筈なんですけど……」

 「あぁ、それなら、無事な漁船はマスリーナ市の港に避難していますよ」

 アウェッラーナは明るい顔で礼を言い、【跳躍】した。



 鉄鋼公園に逃れた市民が、険しい顔で今夜の準備をする。

 昨夜はグラウンドと児童公園が人で埋め尽くされたが、今は百人足らずにまで減っていた。

 グラウンドの中心には、石やコンクリートブロックを組んだ簡易式のかまどがある。かまどを中心に(たきぎ)の山と荷物や毛布が置かれ、周囲をロープが囲む。

 アウェッラーナは、しゃがんでロープに手を触れた。

 魔力が籠っていない。ただのロープだ。


 ……まだ【簡易結界】は掛けてないのね。私一人じゃ、こんな広いの無理だし、他に魔法使いの人は?


 魔装警官は、テロリストの捜索や警戒で出払った。

 市民病院の呪医と薬師(くすし)と事務長に手伝ってもらえればいいが、彼らは彼らの仕事で忙しい。それに、夜まで働いて、結界を張る余力が残るかわからない。


 避難民も同じことを考えたのか、どこからか持って来た(ほうき)で、グラウンドをせっせと掃き清める。物理的に清潔にすれば、それだけでも雑妖は大幅に減る。力なき民であっても、身を守る為にできることはあった。


 ……魔法と比べれば、気休めにしかならないけど、何もしないより、ずっとマシだもんね。


 準備が終わってから【操水】で、人々の身体とグラウンドを洗い清め、少しでも()かれ(にく)くする。

 アウェッラーナは遊具に腰かけ、湖に目を遣った。

 ラキュス湖が、午後の冬日に照らされて穏やかに輝く。いつもなら、昼網の漁船が行き交う湖面には、ひとつも船影がなかった。


 ……また、あんな時代になっちゃうのかな?


 人生の半分近くが暗い内戦時代だった。

 平和だと思ったこの三十年も、(もろ)い土台の上に成り立っていたと知った。

 リストヴァー自治区に住む陸の民――力なき民のキルクルス教徒を踏みつけにしていた。今、その抑圧のタガが外れたのだ。


 明日の行動は決まったが、どうやって生きて行くか考えがまとまらず、何も決まらなかった。

 職場がいつ再開されるか、全くわからない。だが、アウェッラーナは、生きてさえいれば、どこかで傷病者を助けられる。


 明日になれば、朝と昼の二回、正式に設置された避難所へ向かうバスが来ると言う。昼がここに来る最終便で、その後は橋と道路が全面通行禁止になり、湖岸の三区は完全に閉鎖されると聞いた。


 アウェッラーナは、昼の便でマスリーナ市へ向かうと決めた。

 ここに居る人たちと共にバスで行くのがいいだろう。


 アウェッラーナの一族はみんな、漁港の近くに住んでいた。職場もゼルノー市内で、他所へ行く用事がない。

 この三十年、アウェッラーナは隣のマスリーナ市にも行ったことがなかった。他の親戚もそうだろう。

 マスリーナ港で合流できれば、それでよし。

 会えるまでは、避難所で食糧の配給を受けねばなるまい。


 もし、会えない場合は……

 アウェッラーナはそれ以上、考えるのをやめた。

 今夜を生き延びられなければ、その先などない。


 ……どんなに考えても、なるようにしかならないのよ。

 挿絵(By みてみん)


 挿絵(By みてみん)

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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