0477.キノコの群落
薬師アウェッラーナは朝食後、森へ素材を採りに行くことにした。
湖岸で、拠点付近にはなかった植物をみつけた。森の中も、あの辺りとは違う種類の薬草があるかもしれない。
残暑は厳しいが、もう蝉の声はなく、日が落ちればコオロギが鳴く。木の実や草の実も採れる可能性もあった。
「ちょっと森へ行ってきます」
針子のアミエーラが作ってくれた布袋に何枚かビニール袋を入れ、念の為、近くに居たソルニャーク隊長に声を掛ける。
隊長は薬草を摘む手を止めて顔を上げ、ちらりと森を見た。
「一人でか?」
「えっ? えぇ、何かあれば、【跳躍】で逃げられますし」
「背後から急襲されては、呪文など唱えられまい」
アウェッラーナは、ソルニャーク隊長の指摘に言葉を失った。想定の甘さに唇を噛む。隊長は腰を上げ、近くで摘む少年兵モーフに袋を預けた。
「同行しよう。剣を取って来る」
「いいんですか?」
「構わん。そんなことより、あなたに死なれては、みんなが困る」
ソルニャーク隊長は、迷いのない足取りでトラックに戻った。
……キルクルス教徒なのに、魔法の剣、使ってくれるんだ。
アウェッラーナが隊長の背中から目を逸らすと、大きな背中を丸めて薬草を摘むメドヴェージの姿が目に入った。
数日前、このキルクルス教徒の運転手も、クルィーロを守る為に魔法の剣を携えて森へ行ってくれた。
……信仰を捨てられないから、自治区で苦しい暮らしをしてたのに、今は信仰を捨ててでも、私たち……魔法使いを守ろうとしてくれる。
信仰の為にテロを起こし、ゼルノー市を焼いた彼らにどんな心境の変化があったのか。湖の民であるアウェッラーナには想像もつかなかったが、有難さと同時に申し訳なさとやるせなさで胸が詰まった。
今、捨てられるなら、あの時、フラクシヌス教に改宗して自治区を出ていれば、あんなことにはならなかったのに……と、今更どうにもならないことに思考が沈んでゆく。
「待たせたな」
アウェッラーナはその声に暗い思考から現実へ引き戻され、ソルニャーク隊長から魔法の短剣を受け取った。
柄の根元に【魔力の水晶】が嵌め込まれた刃渡り五十センチ程の短剣だ。ずっしり重い剣を両手で持つと、【水晶】に淡い輝きが宿った。
調達したファーキルの話では、手にした者の魔力の強さに応じて切れ味が変わるらしい。
力ある民が魔力を充填すれば、力なき民でも一度だけ、【魔力の水晶】に蓄えた魔力を使い、実体のない魔物にも攻撃を当てられる。
本来、力ある民の使用を想定した剣だが、アウェッラーナでは重くて振り回せない。魔力の輝きを宿した短剣をソルニャーク隊長に返し、小さく頭を下げた。
「では、行こう」
「ご安全に」
メドヴェージと少年兵モーフに見送られ、二人は森の獣道に分け入った。
木々が鬱蒼と生い茂り、天気はいいが薄暗い。アウェッラーナが先に立って服の【魔除け】で雑妖を追い散らしながら、薬草や食用になる植物を探す。二人が歩く度に小さな蛾が驚いて飛び立ち、森の奥へ去った。
くねくね曲がる獣道を十五分ばかり進むと、少し拓けた場所に出た。
朽ちた切り株が幾つもあり、その周囲にはソルニャーク隊長の背丈より高く育った広葉樹の若木が立つ。
薬師アウェッラーナは、切り株の傍で鮮やかな黄色や橙色のキノコをみつけた。
しゃがんでじっくり観察する。
硬質で光沢のある菌体、橙色の傘の端に繋がる同色の柄。改めて見回すと、このちょっとした広場と、その周囲はすべて常緑広葉樹だ。
間違いない。千年茸だ。
靴べらに似た形のキノコは、滋養強壮によく効くとして、古くから珍重される。魔力のない常命人種が、この薬を混ぜた酒を特定の日に一口飲むと、寿命が一カ月伸びると言われる。
食用にはならないし、手持ちの道具と魔法薬、アウェッラーナが修得した術だけでは加工できない。だが、加工できる薬師に伝手がある店では高値で買取られる。大きな街では、高度な術を修得した薬師に伝手がなくても、商材として高値で取引された。
アウェッラーナは、動悸を抑えて雑草の間に目を凝らす。
生えた直後は鮮やかな黄色で、成長に従って橙色に変色する。何年も掛けてゆっくり成長し、老成したキノコは、傘の縁を残して全体が橙色だ。
握り拳を天へ突き上げたような形の黄色い幼菌から、傘を扇型に開ききった橙色の老菌まで、あちこちにたくさんあった。
「隊長さん、薬になるキノコがたくさんあります」
「そうか。見張りをしよう」
ソルニャーク隊長が、短剣を抜いて応じた。
アウェッラーナは黄色い幼菌はそのままにして、靴べら型に育った橙色の老菌を引っこ抜き、石突の土を軽く払って次々と袋に入れる。
傍に生える数種類の薬草も摘み、別のビニール袋へ片付ける。
……これだって貴重な素材なんだし、道具屋さん、火の雄牛の角の代わりに【無尽袋】と交換してくれないかな?
ビニール袋が幾つも膨らみ、布袋がいっぱいになる頃、アウェッラーナの背に緊張した声が降ってきた。
「魔獣だ」
慌てて立ち上がった途端、目の前に白い星がちらちら瞬き、あっという間に視界を埋め尽くした。膝から力が抜け、その場にへたり込む。
「どうした?」
「急に立ち上がったせいで、立ち眩みが」
舌も少し回らなくなった自分の声が、遠くに聞こえる。ソルニャーク隊長が小さく息を呑む気配がした。
☆クルィーロを守る為に魔法の剣を携えて森へ……「0443.正答なき問い」参照
☆刃渡り五十センチ程の短剣……「0443.正答なき問い」参照




