0474.車のナンバー
「おっ」
左右を確認したメドヴェージが、顔を綻ばせた。ハンドルを操作し、トラックを南へ出す。フロントガラスの向こうに嬉しそうな目を向けた。
「バスが居るじゃねぇか。あれについてきゃ、街へ行けるんだな」
「はい。ランテルナ島を周回する路線バスです。ついて行ったら、街の南門のバス停に着きますよ」
「坊主、そんなコトまで知ってんのか。スゲェな」
トラックの運転手に感心され、ファーキルは面映くなって事情を語った。
「呪医と二人で歩いてたら、乗せてくれたんです」
「バス代、どうしたんだ? 呪医が出してくれたのか?」
「いえ、運転手さんが、空気ばっかり運んでても仕方ないからって」
「ハハハ、バスも空荷は辛ぇか」
今のところ、ランテルナ島を囲む道路には、路線バス以外、走っていない。
戦車部隊は昨日で進軍を終えたのか。
ネーニア島のラクリマリス王国領へ侵入して、戻る者は居ないのか。
情報がなく、状況がわからないのが不安で堪らない。
荷台から、歌声が流れてきた。歌うのは小学生の女の子二人。童歌のような旋律に力ある言葉が乗る。【青き片翼】学派の呪歌【癒しの風】だ。
これを教えてくれた呪医セプテントリオーは、この先もずっとあの拠点で武闘派ゲリラの治療を続けるつもりなのか。
……あんな奴ら、助けなくっていいのに。
やり場のない苛立ちが、ファーキルの胸の奥で燻ぶる。
呪医は、カルダフストヴォー市に【跳躍】できる。もしかすると、その内、呪符屋で再会できるかもしれない。
……復讐をやめさせたいって言ってたけど、呪医もやっぱり、ゲリラの仲間だったんだよな。ずっとあんな連中の傷を癒してたなんて。
ファーキルは、北ヴィエートフィ大橋の検問所でのことを思い出し、肌が粟立った。腰を這うアーテル兵の手の感触が生々しく甦る。
女の子のピナティフィダは、ゲリラにもっと酷いことをされた。ファーキルは服の上から撫で回されたが、ピナティフィダはTシャツを捲り上げられ、素手で素肌を触られたのだ。
……ゲリラもアーテル兵も、みんな一緒だ。
嫌悪感に吐き気を催す。
車窓の彼方に目を遣ると、水平線上にフナリス群島の島影が見えた。
見える距離でも、知らない所へは【跳躍】で移動できないらしい。ランテルナ島へ逃げ込んでからずっと、魔法も万能ではないと身を以て思い知らされた。
アーテル領唯一の魔法使いの街――地上のカルダフストヴォー市とその地下に広がるチェルノクニージニク――で、これからどう暮らせばいいか、全く見当もつかない。
ラクリマリス王国のドーシチ市やプラヴィーク市のように営業許可が必要なら、そこで終わりだ。
移動販売の一行がネモラリス人だとバレたら、どうなるか。
運び屋フィアールカや呪符屋ゲンティウス、それにクロエーニィエのように好意的な住人ばかりではないだろう。
……あ、そうだ。路駐で駐禁切符切られたら、身バレしてヤバいよな?
テロリストだったと言うメドヴェージが、律儀に運転免許証を持ち歩くとは思えない。あったところで、ネモラリスの免許では敵国人だとバレてしまう。住所がリストヴァー自治区だから、ひょっとすると見逃してもらえるかもしれないが、ランテルナ島の住人は大半がフラクシヌス教徒だ。
何かとややこしい。
どっちに転んでも、身元がバレると厄介なことになるだろう。
……あッ! っていうか、ナンバープレート! アーテルとネモラリスで一緒のワケないよな?
前を行くバスが停まった。
バス停だ。かつての港が、破壊された岸壁の残骸が波に洗われる。今は廃墟だ。以前、呪医セプテントリオーと休憩中、バスに拾われたのとは、別の港だ。
メドヴェージがトラックの速度を落とす。
バス停の屋根に小型のアンテナが見えた。
「あ、あの、メドヴェージさん、バス停で止まって下さい」
「まぁ、あいつを追い越すか、止まるか、ふたつにひとつだからな」
ファーキルは急いでタブレット端末の電源を入れた。運転手メドヴェージが、ちらりと視線をくれ、更に速度を落とす。バスはまだ停車中だ。
アンテナは三本。ホッとしてバスのナンバープレートを撮る。
「トラックのナンバー、何とかして誤魔化さないと、身元がバレると色々困ると思うんです」
「でもよ、外したら、余計に怪しまれねぇか?」
思った通り、アーテルのナンバープレートは、ネモラリスのものとはフォントと桁数が全く違う。荷台に描かれた放送局のロゴマークはガムテープを貼って誤魔化したが、それも見るからに怪しい。
どこからどう見ても、立派な不審車輌だ。
アーテル陸軍が進軍した今、ランテルナ島の北部から来た不審車を島民が見逃してくれるとは思えない。しかも、ソルニャーク隊長と少年兵モーフ、高校生のロークは実際にアクイロー基地襲撃作戦に加わり、他のみんなも、老婦人シルヴァに頼まれてゲリラ用の薬作りなどを手伝った。
客観的に見れば、移動販売店プラエテルミッサの一行も、完全にネモラリス人の武闘派ゲリラの一員だ。
「だから、何とかして偽造ナンバーか何か、手に入らないかなって」
「おいおい、兄ちゃん、思い切ったコト考えンだなぁ」メドヴェージは苦笑したが、すぐ真顔に戻った。「で、アテはあんのか?」
「ここ、電波が届くんで聞いてみます」
バスが発車する。
トラックはバス停を逸れ、港の跡地に続く荒れた道に進入して停車した。
ファーキルは助手席を降り、荷台の影の瓦礫に腰掛けてメッセージを綴る。
いつもお世話になっています。
ゲリラの人たちとトラブルになって、拠点を出ました。
街に入ろうと思いますが、トラックにはネモラリス共和国のナンバープレートと放送局のロゴがついています。
このまま街に入ると危ないので、ここのナンバープレートとロゴを隠せる何かがあると助かります。
今は、港跡地のバス停に居ます。
ファーキルは顔を上げた。
みんなは荷台から降り、アスファルトの割れ目から生えた草を摘み始めた。港の跡地には原形を留めた建物がない。真夏の日差しがみんなをじりじり焦がした。
……まぁ、充電できるし、雑妖は涌かないし、悪いコトばっかりってワケじゃないけど。
早く、ちゃんと休める所へ行かなければ、魔法使いの二人以外は熱中症になってしまう。
魔法使いの二人も、荷台を冷やす水を支えて疲れ切ってしまうのは危険だ。魔力が尽きれば、服に掛けられた【耐暑】の術が切れる。暑さに慣れない二人は、休憩して魔力が回復する前に熱中症になるかもしれない。
ファーキルは車道に戻ってバス停の写真を撮り、ついでにフナリス群島の島影、来た道と行く道、森の中も撮る。
バス停の写真だけ添付して、運び屋フィアールカにメッセージを送信した。
☆ランテルナ島を周回する路線バス……「0383.空の路線バス」、メドヴェージも乗った「0444.森に舞う魔獣」「0445.予期せぬ訪問」参照
☆北ヴィエートフィ大橋の検問所でのこと……「0313.南の門番たち」「0314.ランテルナ島」参照




