0472.居られぬ場所
寝室には鍵が掛かっていた。
「おーい、開けてくれ、俺だ」
「ちょっと待ってくれ」
メドヴェージの声に応えたのは、少年兵モーフだ。何か重い物を動かす音に続いて、扉が少し空く。清冽な香りがふわりと漂った。
部屋に入ると、妹のアマナが声もなく、クルィーロにしがみついた。アマナの髪を撫でながら見回す。移動販売店のみんなの顔が揃い、レノたちの無事な姿にホッとした。
薬師アウェッラーナが扉に【鍵】を掛ける。クルィーロも念の為、上から同じ術を掛けた。
力ある民のゲリラが来ても、魔力が弱いクルィーロの術が先に解除され、少しは時間を稼げるだろう。
クルィーロは、香草を一本だけティーポットに追加した。緑髪の薬師が水瓶から水を起ち上げ、ポットと香草を乗せた大皿にも熱湯を注いだ。むせ返るような香気が立ち昇る。
みんなは、ベッドやソファに身を寄せ合って座った。
誰も何も言わない。
カーテンの開け放たれた窓辺で影が移ろう。
クルィーロはアマナの肩を抱き、自分と同じ金色の髪を撫で続けた。
レノも、エランティスを膝に乗せ、ピナティフィダの肩を抱いて外を見詰める。
「……これ以上……こんなとこには居られません」
レノの声は静かだった。
その一言で、みんなが一斉に立ち上がり、あっという間に荷物をまとめる。
クルィーロは布袋を肩に掛け、扉に耳を押し当てた。
静かだ。
アウェッラーナと頷き合い、【鍵】を呪文に織り込んだ合言葉で解除する。
最初に、ソルニャーク隊長と少年兵モーフが廊下に出た。手振りで大丈夫だと示され、恐る恐る寝室から足を踏み出す。
みんなで誰も居ない作業部屋に行き、素材を袋や鞄に大急ぎで詰めた。
庭園に出ると、呪医セプテントリオーと葬儀屋アゴーニ、警備員オリョールが居た。湖の民二人と力ある陸の民の間には、触れれば刺さりそうな程、険悪な空気が横たわる。
クルィーロはアマナを背に庇い、彼らとは花壇をひとつ挟んで進んだ。
「呪医、アゴーニさん、今まで有難うございました」
薬師アウェッラーナが同族の二人に頭を下げ、オリョールにも会釈する。
「あの……素材、分けて下さって有難うございました」
「俺たちも、君の薬で助かったから、お互い様だよ」
「あの婆さんにもよろしく言っといてくれ」
メドヴェージが庭園の隅に止めたトラックに掛け寄る。日は既に高く、濃い影は短かった。
「昨日の今日だし、道は戦車でいっぱいかもしれないよ?」
誰もオリョールの声に返事をしなかった。
……それでも、一秒だってこんなトコ、居られるもんか。
メドヴェージが荷台を開けると、籠もっていた熱気が噴き出した。
「クルィーロさん、手伝って下さい」
「えっと……?」
薬師アウェッラーナに言われ、クルィーロは戸惑った。
「荷台を冷やします」
「アマナ、ティスちゃんと一緒に居ろ」
二人に手を繋がせ、クルィーロは井戸端へ走った。
アウェッラーナが【操水】で大量の水を汲み上げ、金属製の荷台の屋根と側面に這わせる。クルィーロもようやく意図を理解し、荷台の扉と内部の天井を水流で冷やした。
葬儀屋アゴーニも手伝い、運転席の外部を冷やしてくれる。
「クルィーロさん、そのままだと、お湯になってるんで、放熱して下さい」
「放熱?」
加熱の仕方は、魔法使いの塾で習ったが、冷却は知らない。クルィーロは修行をサボったことを後悔した。
湖の民の二人を見ると、トラックから水を離して宙に大きく広げ、また車体に這わせる。
……あ、何だ。断熱膨張か。
改めて「冷却」と言われて思考停止してしまったが、今まで何度もしてきたことだ。ホッとして作業を続ける。
アウェッラーナは荷物を避けて、荷台の床にも水を這わせた。メドヴェージが運転席の窓を開け、アゴーニがダッシュボードも冷やす。
三人掛かりで何とか冷やせたが、走ればまた熱くなるだろう。
「水を天井にくっつけます。交代で支えましょう」
薬師アウェッラーナは、荷台前方にある係員用の小部屋に入り、水塊を一枚の板にして荷台の天井に貼り付けた。
何もしないよりはマシだろう。
……俺、こんなにいっぱい、支えられるかな?
アマナを荷台に引っ張り上げ、クルィーロは天井を覆う水の量に不安を覚えた。だが、やるしかない。移動販売店プラエテルミッサには、魔法使いが二人しか居ないのだ。【魔力の水晶】はたっぷりある。
集中を切らさなければ何とかなる。
クルィーロは自分に言い聞かせた。
みんながソファや木箱に腰を降ろし、隠された拠点の庭園を振り向く。収穫を終えた夏野菜は、残った僅かな花が萎み、小さな実が生っていた。
呪医と葬儀屋がこれからどうするのかわからない。取敢えず、これまで助けてもらった礼としては少ないが、僅かでも食糧のアテを残せた。
移動販売店のみんなが居なくなっても、老婦人シルヴァはゲリラたちの為にどこかから食糧を調達するだろう。
呪医と葬儀屋は、クルィーロよりずっと魔力が強く、経験豊富な魔法使いだ。イザとなれば【跳躍】でここから逃れられるし、食糧の調達も、クルィーロよりずっと上手くできる。
「坊主、案内頼む」
運転手メドヴェージが、荷台に乗ろうとするファーキルを呼び止める。二人の後ろで強い日差しに晒された庭園が白っぽく見えた。
葬儀屋アゴーニが「達者でな」と手を振る。
呪医セプテントリオーと警備員オリョールは、互いに睨み合ったまま動かなかった。




