0048.決意と実行と
ロークは昼過ぎになって、やっとベッドを出た。
服を着替え、荷造りする。貯金箱の中身を財布に移す。入りきらない分はリュックサックへ。少しの着替え、メモ帳、筆記具、折り畳み式のナイフと懐中電灯、電池や小型ラジオもリュックに詰めた。
財布には、魔法使いの友人にもらったお守りと、小さな【水晶】も入れる。
いつもより厚着した上からコートを羽織り、手袋とマフラーも身に着けた。
そっと階段を降り、まずトイレに行く。台所を覗いてみたが、誰も居ない。
息を殺し、耳を澄ませたが、家の中は静かだ。
昨夜のドンチャン騒ぎの跡は、キレイに片付けられていた。きっと母だろう。
戸棚から、非常食の堅パン三パックと缶詰五つ、水筒、マッチと蝋燭を取って、リュックに詰めた。
玄関に知らない靴が七足ある。そこから放たれるのか、空気が焦げ臭かった。あれから、星の道義勇兵は二人増えたようだ。
父の靴はあるが、母と祖父の靴はなかった。
ロークはそっと戸を開け、家を出た。
鍵は持って行かない。
音を立てないように戸を閉め、振り向かずに歩きだす。
戒厳下で、人通りは少ない。
その少ない人の流れも、ニェフリート運河の南から北へ避難する動きが主だ。
満員バスとすれ違う。乗客は一様に疲れ切った顔だ。
ロークは人の流れに逆らって橋を渡った。
橋の袂に警察車両が停車し、検問の警察官が、リュックを背負った男子高校生を呼び止めた。
「ここから先は危険だ。セリェブロー区に戻りなさい」
「親戚の子を迎えに行くんです」
「親戚?」
「鉄鋼公園に避難してるそうで、市民病院の公衆電話からウチに掛けて来たんです。ウチは今、父は入院してるし、祖父はヨボヨボだし、動ける男手、俺一人なんで……」
「そうか。なら、なるべく早く、夕方になる前に戻りなさい。いいね」
「ありがとうございます!」
ロークは一礼し、一目散に駆け出した。
口から出任せで警察官を騙してしまったが、今はそれどころではない。
取敢えず、嘘を本当にするつもりで、鉄鋼公園へ向かう。
何としてでも、警察に今夜の作戦の情報を伝えなければならなかった。
走りながら、どこで聞いたと言うべきか考える。
正直に、セリェブロー区の自宅で聞いたと言うべきか。だが、それでは家族を売り渡すことになりはしないか。
ならば、どこかミエーチ区の民家で聞いたことにするべきか。
何軒か、ロークも知っている信者の家がある。間に合えば、義勇兵が準備する現場に踏み込んでもらえる。だが、顔も知らない自治区民を売り渡すことになる。
……これからのテロを止めるんなら、一人でも多く、実行犯を捕縛してもらった方がいいに決まってる。
避難の途中で小耳に挟んだフリをすることに決めた。
信じてもらえる保証はないが、今はそれに賭けるしかない。
ロークは全力で走った。
背負った荷物が重い。だが、これなしでは、この先生き延びることは不可能だ。これから背負う心の重荷に比べれば、ないも同然だと思えた。
心の中で何度も、警官に伝える言葉を練る。
避難の途中で聞いたと言うのは、不自然だと気付いた。
……どう言えば、信じてもらえるかな?
鉄鋼公園の手前にある警察署に着く頃には、すっかり息が上がっていた。これなら、演技で切迫感を出すまでもない。
「お巡りさん! 大変だッ!」
「どうした?」
護送車らしき車の脇に立つ警官が、怪訝な顔をする。
今、ゼルノー市全域に戒厳令が敷かれ、市の東部はリストヴァー自治区を抜け出したテロリスト「星の道義勇軍」の手で壊滅した。大変と言えば、全体が大変だ。
「俺ッ! セリェブロー区に住んでてッ……友達んちッ、様子見に行ったんッスよッ! 電話通じねーし!」
普段の自分とは違う言葉遣いを意識し、息切れしたまま早口に捲し立てた。
警官が目顔で続きを促す。
「友達んちに銃を持った奴らが居て、友達は避難したのか、家ん中で捕まってんのか、全然わかんなくて、お巡りさん、あれ、何とか何ないんスかッ?」
その「友達」の家はミエーチ区だが、最寄りの警察署はジェリェーゾ署だ。
「落ち着いて。まだ、お友達がテロリストに何かされたと決まった訳じゃない。今からパトカーで行くから、そのお友達の住所を教えてくれないか?」
「じゅ……住所? 行ったことはあるけど、ミエーチ区アエス町……何丁目の何番地とかは憶えてないっス」
「じゃあ、そのお友達の家に案内してくれるかな?」
警官はロークの肩を叩き、無線でどこかへ連絡する。
ロークは何度も深呼吸して乱れた呼吸を整えようとしたが、冷たい空気にむせ、上手く行かなかった。
……まぁ、こう言っときゃ、ベリョーザを売ったことには、なんないだろ。
「パトカーが来るまで時間があるから、あっちで水を飲んで落ち着いておいで」
ロークは咳込みながら頷き、指差された方に呼吸を整えながら歩いた。
駐車場の隅にある洗車用の水道で、数人の避難民が水を汲む。
警察署も市民病院も大破し、一目でその用を成さないのがわかった。
ロークは、たった一日でこんな所まで侵攻した義勇軍の手際の良さに身震いした。もしかすると、もう準備を終えて移動したかもしれない。
だが、ローク一人が焦ったところで、テロを止められるワケではない。
順番待ちの間、リュックから水筒を出した。
手が震えてなかなか蓋を開けられない。そうこうする内に順番が回ってきた。
何とか開けて、まず本体を水で満たす。中蓋を閉めようとするが、手の震えが治まらず、蓋と本体が全く噛み合わない。
「あの……蓋、閉めましょうか?」
見兼ねたのか、後ろから声を掛けられた。
振り向くと、湖の民の少女の心配そうな顔があった。
「あ、すみません。水、先にどうぞ」
「閉めますよ」
ロークが水筒を抱えて場所を譲ると、少女は手を差し伸べた。少し考えて、甘えることにした。
「お願いします」
少女は水筒を受け取り、難なく中蓋を閉めた。
「ありがとうございます。さっき、怖いもの見ちゃって、それで……」
「怖いもの? 魔物?」
「銃を持った人が、ミエーチ区の友達んちに居たんです。友達もどうなったかわかんないし、ここももう、こんなボロボロにやられてるし……セリェブロー区……いや、もっと遠く、できるだけ遠くに逃げた方がいいと思います」
「そう。ありがとう。みんなにも伝えます」
ロークがまだ震える声で早口に言うと、湖の民の少女は、淋しげに微笑んだ。
警官に呼ばれ、ロークは足早にその場を去った。
☆あれから、星の道義勇兵は二人増えた……「0034.高校生の嘆き」参照
☆今夜の作戦の情報……「0042.今後の作戦に」参照




