0470.食堂での争い
「どけコラァああああぁあッ!」
少年兵モーフは椅子を横薙ぎに振り抜き、おっさんゲリラの側頭部を強打した。背後からの不意打ちで、陸の民のおっさんは全く無防備だ。身体全体がぐらりと傾ぐ。ゲリラをもう一発殴り、ピナの上から退かせた。Tシャツを捲り上げられて、白い肌が露わだ。
「何しやがんだ、クソガキッ!」
少年兵モーフは、立ち上がろうとするおっさんゲリラを蹴り転がし、椅子を叩きつけた。ゲリラは両腕で頭を庇いながら床を這い、じりじり逃げる。モーフはおっさんをピナからもっと遠ざけようと、何度も椅子を振るった。
食堂の床でピナの兄貴が伸びている。
食堂から続く台所の入口で、ファーキルが椅子を構えて震える。その背に隠れ、ピナの妹と工員の妹が泣きじゃくる。
視界の端でピナが動いた。
半身を起こし、Tシャツの裾を下げる。
モーフが気を取られた一瞬の隙を突き、ゲリラが床を転がって立ち上がった。
「あッ! この野郎ッ!」
ゲリラはモーフが駆け寄るより先にピナに飛び付き、大地の色の髪を掴んで立ち上がらせた。ピナは悲鳴を上げることもできず、痛みに顔を顰める。
「ピナを放せッ!」
「何だ、小僧? 彼氏気取りかぁ?」
おっさんゲリラが下卑た笑みに口許を歪める。
「違う! ピナからこれ以上奪うなッ!」
「奪う? 別に処女をいただこうってんじゃねぇ。乳揉むくれぇ、いいじゃねぇか。減るもんじゃなし」
「心がすり減るんだよッ!」
少年兵モーフは、リストヴァー自治区のバラック街で、近所の娘たちが荒んでゆくのをずっと見てきた。娘たちは生きる為、親に売られる。他に道がなく、仕方なしにそう言う商売に身を置いた。
モーフの姉や近所のねーちゃんアミエーラが、そんな稼業に身をやつさずに済んだのは、運が良かったからに過ぎない。
おっさんゲリラは薄笑いを浮かべ、中学生の少女の胸に服の上から触れる。
「……や……いや」
「触んなっつってんだろうがッ! 放せよッ!」
「イヤよイヤよも好きの内っつーじゃねぇか。わかってねぇなぁ、クソガキは」
「本気でイヤがってんのがわかんねぇのかよッ! 放せッ!」
ピナは何とか振り解こうともがくが、髪の根元近くをがっちり掴まれ、逃げられない。青褪めた頬を涙が伝う。
「ピナは、親も家も店も何もかも失くしたんだ! これ以上、奪うなッ!」
「それがどうした?」
「おめーもアーテルの連中と一緒だっつってんだよッ!」
「何だとッ? クソガキッ!」
激昂したゲリラの手がピナの胸から首に移動する。少年兵モーフは手も足も出せず、歯ぎしりした。
「何の騒ぎだ?」
警備員オリョールが食堂に入ってきた。
少年兵モーフは振り返らず、おっさんゲリラの動きを注視する。
オリョールはモーフの傍らを通り、ピナが目に入らないかのようにゲリラの肩を親しげに叩いた。
「何してんの?」
「何って……その」
ゲリラは口籠って目を泳がせた。警備員オリョールが力ある言葉で一言、何か呟いておっさんゲリラの顔を指差す。乾いた音と同時にゲリラが声にならない悲鳴を上げてピナを解放した。指差された目を両手で押さえて蹲る。指の間から一筋、血が流れた。
魔法戦士の警備員オリョールは、食堂を見回して少年兵モーフとピナに軽く頭を下げ、ついでのようにゲリラの襟首を掴んだ。
「迷惑掛けたみたいだね。処分してくるよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれッ! 俺ぁまだ何も」
ゲリラが潰れた目から手を放し、オリョールの足に縋りつく。警備員オリョールはゲリラの顎を蹴り上げ、ぐったりしたおっさんを引きずって行った。
少年兵モーフがピナに駆け寄る。
「お、おい、大丈夫かッ?」
「お兄ちゃん……お兄ちゃんが」
ピナはふらつく足で兄貴に近付いて、崩れるようにへたり込んだ。
ピナの兄貴はかなり酷く殴られたらしい。顔が腫れ上がって唇が切れ、鼻血が頬を伝って床を濡らす。
「お兄ちゃん……お兄ちゃん」
ピナが泣きながら呼び掛けるが、兄貴はピクリとも動かない。
台所の入口で、ファーキルが椅子を降ろして床に膝をついた。妹たちが泣きながら兄貴に駆け寄る。
「あ……あッ! そうだ、呪医、呼んでくるッ!」
少年兵モーフは廊下を走り、開け放たれた玄関から庭園へ飛び出した。
「た、頼む、助けてくれッ! 俺たちゃ仲間じゃねぇかッ!」
咳込みながら命乞いする陸の民のおっさんは、既に両足を潰されていた。その後ろで、ピナを襲ったゲリラが腹に大穴を開けられて地面に転がる。
「仲間? 違うな」
警備員オリョールは朝日を背負って立ち、表情がわからない。
ゲリラは激しく咳込みながら両腕で地面を這った。
「お、おい、坊主、助けてくれッ!」
少年兵モーフの目の前で、命乞いするゲリラの頭が砕けた。
警備員オリョールはゆったりした足取りで井戸端へ行き、【操水】で水を起ち上げた。水が地を這い、飛び散ったおっさんの破片をかき集める。始末した二人分の肉塊と血を庭園のまんなかに積み上げて、少年兵モーフにやさしい笑顔を向けた。
「もう大丈夫だ。葬儀屋さん、呼んでくれる?」
「あ、あぁ、いいけど、呪医は?」
「病室……手前から三番目の部屋に居るよ」
薬師アウェッラーナが、花壇の縁に蹲る近所のねーちゃんアミエーラの肩を抱いて二の腕をさする。そちらも気になるが、モーフは言われるまま別荘に戻った。
「呪医! 店長が大変なんだッ! すぐ来てくれッ!」
言われた部屋に駆け込むと、丁度二人とも居た。呪医と葬儀屋、メドヴェージと工員の兄貴の四人が、怪訝な顔でこちらを見る。
「店長さんが……? どうされました?」
「朝飯どころじゃねぇ、急いでくれッ!」
少年兵モーフは、負傷者の具合を診ていた呪医の手を引っ張った。
「あ、そうだ。葬儀屋のおっさん、庭でオリョールさんが呼んでる」
言うだけ言って、呪医を食堂に引っ張って行った。
食堂を改めて見ると、酷い有様だ。
流石に二十人掛けの大テーブルは無事だが、椅子は幾つも倒れ、皿が何枚も落ちて割れた。
女の子たちが、倒れて血を流すピナの兄貴に縋りついて泣く。ファーキルは食堂の奥にある台所の入口で、さっきと同じ姿勢で放心する。
呪医は息を呑んだが、すぐ動いてくれた。
「ファーキル君、大丈夫ですか?」
「いや、そっちじゃなくて、店長」
「治療に水が要るんです」
食堂の奥へ声を掛けた呪医は、振り向かずに台所へ入った。
少年兵モーフは、どうしたものかと立ち尽くす。
「手伝って下さい」
呪医に呼ばれ、目を開けたまま気を失っているようなファーキルの横をすり抜けて、台所へ入った。
「みんなを寝室へ連れて行って、香草茶を飲ませて上げて下さい」
ティーポットから湯気が昇り、大皿に出涸らしが置いてある。呪医は返事を待たず、水瓶から起ち上げた水を連れて食堂へ戻った。
モーフは食器棚からティーカップを取りかけたが、思い出して手を止めた。
……香草茶で薬ンなんのって、匂いだ。
大皿を持って、ファーキルに湯気を嗅がせる。鼻先で二、三回、出涸らしを振ると、目が焦点を結んだ。油切れの機械のような動きで、ファーキルの顔がモーフを見上げる。
「兄ちゃん、手伝ってくれよ」
少年兵モーフは、ファーキルの手を掴んで立ち上がらせた。
ピナの兄貴の傷は気になるが、モーフが見ても仕方がない。それよりも早くピナたちを落ち着かせてやりたかった。台所へ戻り、ポットで煮えたぎる香草茶を大皿に少し注ぐ。清涼な香りにモーフも頭が回り始めた。
「兄ちゃん、寝室にコップ持ってってくれよ」
「う、うん、わかった」
少年兵モーフは、大皿を持ってピナの傍へ急いだ。
呪医が水塊を床に這わせ、血痕と食器の破片を集める。ピナは、兄貴の半身を支えていた。治療はもう終わったらしい。
少年兵モーフは倒れた椅子を避け、もどかしい思いで大テーブルを回り込んだ。
ピナの妹が、兄貴にしがみついて甘えた声で泣く。顔の腫れが引き、意識を取り戻した兄貴が妹の頭を撫でるが、まだどこか遠くを見るようなぼんやりした目だ。
「寝室へ行こう。……これ、持ってくれ」
ハンカチで涙を拭って歯を食いしばる工員の妹に大皿を渡し、少年兵モーフは、ピナの兄貴に肩を貸して立ち上がらせた。ピナの妹が、椅子を起こして除ける。
五人は連れ立って寝室へ向かった。
☆別に処女をいただこうってんじゃねぇ……「0108.癒し手の資格」「0349.呪歌癒しの風」参照
前回(0468.救助の是非は)と同種の事件が食堂でも。




