0468.呪医と葬儀屋
呪医セプテントリオーは、死地へ赴くネモラリス人の有志ゲリラを見送るしかなかった。
……オリョールさん。
陸の民の若者は以前、人殺しを楽しむようになった者を敢えてゲリラに勧誘し、どさくさに紛れて始末していると言った。今回のアクイロー基地襲撃作戦でも、その為に戻ったのだ。
「モーフ、装備はどうした?」
「オリョールさんが持ってったっス」
「そうか」
ソルニャーク隊長と少年兵モーフの遣り取りに気持ちが沈む。
一体、何人が生きて帰れるのか。
いつまでこんなことが続くのか。
「装備は、手前の部屋にまとめて置こう」
「その前に身体洗っとこうや。お前さんたち、随分、焦げ臭いぞ」
中へ入ろうとする隊長をアゴーニが呼び止めた。
装備と言っても、からっぽのタクティカルベストしかないが、見ればイヤでも戦場を思い出してしまうからだろう。庭に取り残されたソルニャーク隊長と高校生のロークは、葬儀屋アゴーニの【操水】で洗われて、ひとまず食堂へ移動した。
呪医セプテントリオーは、術で湯を沸かして香草茶を入れた。香草を少し多めに使い、湯気を散らしながらカップに注ぐ。
……ローク君が、これで落ち着いてくれればいいのですが。
大人しそうな少年だ。恐らく、家族の仇を討つ為に志願したのだろうが、半年くらい前までは普通の高校生だった。死の瞬間を目の当たりにすることさえなかっただろう。身体だけでも無事だったのは、奇跡と言える。
ロークはカップに手を触れず、ゆっくり深呼吸した。吐息が震え、カップから立ち昇る湯気を不規則に揺らす。
すっかり冷めて湯気が消えるまで、誰も口を利かなかった。
とっくに【魔除け】の呪符の効果は切れた筈だが、他のゲリラはまだ戻らない。
「アーテルの陸軍が、ツマーンの森へ進軍したらしい」
ソルニャーク隊長が冷めきった香草茶で口を湿してポツリと言った。
呪医セプテントリオーは頷いてみせ、ランテルナ島民の反応を語る。
「私たちは街で知りました。地元の住民は、対応が割れていました。恐らく、阻止は間に合わなかったでしょうね」
ネーニア島南部の森で【魔除け】の類を一切持たないアーテル軍が、どうやって夜を過ごすのか。呪医セプテントリオーには、アーテル軍が最初から捨て身のような気がしてならなかった。
「運び屋さんは、トラックを諦めるなら、すぐにでも王都へ跳んで下さるとおっしゃってましたよ」
「他の者は何と?」
「意見が割れています」
ソルニャーク隊長は無言で頷いた。
トラックがないのでは、その先、どうにもならなくなってしまう。魔法使いの二人はともかく、力なき民たちは、たちまち困窮するだろう。
非常事態だが、トラックを容れられる大容量の【無尽袋】の対価を負けてもらえるワケではない。他の素材はある程度、何とかなった。ただひとつ、火の雄牛の角だけは、魔獣を倒さなければ手に入らない。
何とか手伝ってやりたいのはやまやまだが、セプテントリオーは、積極的に攻撃する術は知らなかった。
王国軍の軍医だった頃、自分の身を守る術なら修得したが、攻撃は騎士たちが実行したので、覚える必要がなかったのだ。せいぜい、【操水】で水塊をぶつけるくらいだが、魔獣が相手ではタカが知れている。
「みんな疲れてんだろ? もう寝ちまえよ」
「いつもの部屋は【鍵】を掛けてあるので、病室の方で」
アゴーニが無理に笑顔を作って立ち上がる。呪医セプテントリオーが言い添えると、みんなは香草茶を一息に飲み干して食堂を出て行った。
セプテントリオーは、クリューヴの様子を見に別の病室へ移動した。呼吸は規則正しく、静かに眠る。この分なら、数日で元気になるだろう。
玄関の隣の部屋へ行くと、アゴーニが別の置物に【灯】を点して待っていた。
「何人、戻って来んだろな?」
「わかりません。無事でいてくれるといいのですが」
「呪医、本気でそう思ってんのか?」
向かいの席から葬儀屋アゴーニが呪医の眼を覗き込む。
若い魔法戦士オリョールの悲愴な言葉が胸に甦る。
負傷して、ここに戻ったのが、ジャーニトル以外だったら……呪医にトドメを刺してもらおうと思ってました。
空襲で全てを奪われ、荒んだ心を癒すには、長い時間が必要だ。武闘派ゲリラに参加した者たちが、アーテルのキルクルス教徒を殺すことに楽しみを見出したからと言って、オリョールやセプテントリオーが彼らを裁く権利などない。
「……キレイごとだと言われるでしょうがね」
「いや、呪医、あんたを責めてるワケじゃねぇんだ。あんたは傷を癒すのが商売だ。やりにくかろうよ」
「アゴーニも、頼まれたのですか?」
葬儀屋アゴーニは、小さく顎を引いた。顔の影が濃くなる。
彼が修めた【導く白蝶】学派は、人の遺体を処理し、魂をあの世へ送り届ける術が主だ。亡き人の言葉を生者に送り届けたり、物に残された思念を読み取る術などもあるが、生者を死者に変える術はない。
「俺も、半世紀の内乱じゃ色々あった。あの兄ちゃんの言い分も、まぁ……わからんでもない」
「クリューヴにもトドメを刺すのですか?」
葬儀屋アゴーニは、苦笑して首を振った。
「あいつは、生きて帰るとは思われてなかったんじゃねぇか? 訓練の時もビクビクして、高校生の坊主の次くれぇにダメだったぞ」
ホッとしてアゴーニの眼を見る。【灯】の青白い光を受けた緑の瞳は穏やかだ。
武器職人と呪符職人は、次の準備をすると言って、夕飯を終えるとネーニア島北ザカート市の拠点へ戻った。
警備員オリョールは、職人たちをどう思うのか。
「ま、うだうだ考えても仕方あんめぇよ。誰がどんな状態で戻るか、わかんねぇんだからよ」
確かに、再び戦場へ赴いた彼らは、生きて戻るつもりがないように見えた。
アゴーニが淹れた茶を飲みながら、まんじりともせず夜を明かす。
濃紺の空の端が仄白くなる頃、隠れ家の庭が騒がしくなった。
最初に帰還したのは、湖の民の警備員ジャーニトルと力なき民のゲリラ二人。
ジャーニトルは外傷こそ少ないが、地に崩れて動かない。【魔力の水晶】か【魔道士の涙】で魔力を外部供給して逃れたようだ。
ゲリラ二人は血に染まり、興奮状態だった。
「俺はまだやれる!」
「落ち着けよ。流石にもう弾はねぇだろ」
葬儀屋アゴーニが宥めるが、ゲリラは血の混じった唾を吐いてせせら笑った。
「あの基地の武器庫をみつけたんだ」
「身体さえ何とかなりゃ、まだいけるのによ」
まだ殺し足りない、と言いたげに撃ち抜かれた腕や腹を押さえて悔しがる。
アゴーニは、井戸水を起ち上げて二人を洗うと、建物の中へ引っ込んだ。
呪医セプテントリオーは三人の傷を調べ終え、腹を撃ち抜かれたゲリラから癒し始める。
丁度、二人目の治療を終えた時、アゴーニが戻った。壺を花壇の縁に置いて香草の束を突っ込み、術で沸かした湯を注いだ。清冽な香が夜明けの庭に漂う。
力なき民のゲリラは、逃げるように隠れ家へ駆け込んだ。
休む間もなく、四人のゲリラが帰還した。
湖の民と力ある陸の民、力なき民が二人。腕が欠け、片耳と頭皮の一部を失い、腹に複数の弾痕、腿が大きく食い千切られ骨が露出した者も居る。
四人とも、まだ息はあるが、急がなければ助からない。
葬儀屋アゴーニは患者の傷を洗い、治療に協力してくれた。どう言う心境の変化なのか、聞く時間はない。
セプテントリオーは、【青き片翼】学派を修めた呪医として、治療に専念した。
☆陸の民の若者は以前……警備員オリョールの質問の意図は「357.警備員の説得」「358.元はひとつの」「359.歴史の教科書」「464.仲間を守る為」参照




