0466.ゲリラの帰還
一瞬の浮遊感の後、目の前の景色が一変した。
サイレンも、爆音もない。
周囲の森で鳴く虫の音の他は静かだ。
風に乗って木々の青臭い息吹が届く。
警備員オリョールが、少年兵モーフを連れて【跳躍】した先は、ランテルナ島の拠点の庭園だ。窓から【灯】の青白い光が漏れ、まだ、誰か起きているらしい。
「お……おいっ! 何で……ッ?」
「しーッ。おっきい声出したら、みんな起きちゃうだろ」
ここには電気がない。
移動販売店プラエテルミッサのみんなは、夜明けと共に起き、日没後はすぐ寝る暮らしだ。
オリョールの他は退却しなかったのか、ネーニア島の拠点に戻ったのか、少年兵モーフには確める術がない。
「取敢えず、体洗うから、装備外して」
「……パーリトルさんたちの部隊は?」
「君は心配しなくていい」
少年兵モーフが抑えた声で質問を重ねるが、魔法使いの警備員オリョールは、取りつく島もない。
どの途、力なき民のモーフ一人では、アーテル本土のアクイロー基地には行けなかった。諦めて、手榴弾の残った防弾仕様のタクティカルベストを脱ぐ。
「持っててあげるよ」
言われるまま、ずっしり重い装備を渡した。もう一方の手を出され、自動小銃も手渡す。
オリョールは井戸の傍らに立ち、魔法で井戸水を起ち上げてモーフを洗う。汗と埃、硝煙と血臭が洗い流された。
水が宙を漂い、門の外へ伸びて汚れを捨てる。モーフの装備を持ったまま水の後を追い、井戸から離れた。小声で何か呟きながら、門へ走る。
「えっ? あッ! ちょ……ッ!」
少年兵モーフが慌てて井戸と花壇を迂回して後を追うが、オリョールは走りながら呪文と唱えたのか、門の手前で姿を消した。
どこへ【跳躍】したかわからない。
……俺が力なき民で、足手纏いだから、置いてったのか?
善意に解釈すれば、武闘派ゲリラではない子供のモーフを移動販売店の「仲間」の許へ届けてくれたのだろう。
さっきの質問は、きっとそう言うことだったのだ。
オリョールは力ある民……それも、【急降下する鷲】学派の術を修めた魔法戦士で、元々魔獣と戦う仕事をしていた。魔獣が暴れる敵軍の基地で戦うなら、モーフを足手纏いに思うのも無理はない。
少年兵モーフは背伸びして【灯】が漏れる窓を覗いた。カーテンの隙間から辛うじて緑の頭が見える。
市民病院の呪医と葬儀屋だ。湖の民のおっさん二人は深刻な顔で何か話し合い、庭の声には気付かなかったらしい。
……あ、そっか。職人の奴らが作戦、前倒しになったって知らせたからだ。
死傷者の対応の為に起きているのだろう。
手ぶらになった少年兵モーフは、うすら寒いくらい身軽な身体で玄関に回る。
不意に、背後から荒い息と乱れた足音が聞えた。モーフは身構え、勢いよく振り向く。
陽動部隊のクリューヴだ。片手で脇腹を押さえ、声もなくその場に崩れた。
他にゲリラの姿はない。
少年兵モーフは玄関の扉に手を掛けた。鍵は掛かっていない。玄関を入ってすぐの部屋は、戸が開けっ放しだ。
「呪医! クリューヴさん、治してくれッ!」
部屋に飛び込んだモーフの叫びで、湖の民二人が椅子を蹴って立ち上がる。三人は無言で庭に走り出た。
市民病院の呪医が【灯】を点した置物を手にしてクリューヴに駆け寄り、葬儀屋が井戸へ走った。呪医が傷の具合を確かめる間、葬儀屋のおっさんは井戸水を【操水】の術で起ち上げて、怪我人の傍へ駆け戻る。
魔法の光に照らされたクリューヴの顔は蒼白だ。
少年兵モーフが抱き起こし、ポケットが空になった血染めの防弾ベストを脱がす。脇腹が一掴み分くらい食い千切られていた。ベストの裏に取れた肉片が残る。
呪医が水を受け取り、傷を洗いながら別の呪文を唱える。血染めの水がクリューヴから離れると、何事もなかったかのように傷が拭い去られた。服の破れだけが、負傷の痕跡を留める。
水が血の汚れを吐き捨てた。葬儀屋が素早く呪文を唱え、それを焼き払う。
「モーフ君たちだけですか?」
「いや、俺はオリョールさんに連れて来てもらったんだけど、また、どっか跳んじまって……クリューヴさんは後から一人で」
「ペアの人が、食われて……それで」
クリューヴが、地面を見詰めて細い嗚咽を漏らした。
「あぁ、いいから、いいから黙ってろ。坊主は大丈夫か?」
葬儀屋がクリューヴの肩を叩き、少年兵モーフに顔を向ける。モーフは無言で頷き、クリューヴを立ち上がらせるのを手伝った。
「三番目の部屋だ」
移動販売店のトラックが逃げ込むまで、負傷したゲリラの病室にした部屋のひとつだ。クリューヴが頻りに「すみません」と繰り返す。その度に葬儀屋のおっさんが「いいってことよ」と笑顔で応えた。
出血が酷く、足下が覚束ない成人男性を二人掛かりでベッドに横たえ、庭へ戻った。
「あっ! 隊長ッ!」
少年兵モーフは、魔法の光の中にソルニャーク隊長の姿をみつけて駆け寄った。隊長も笑みを零す。
高校生のロークと湖の民の警備員ジャーニトル、別の湖の民と、力ある陸の民と力なき民……ソルニャーク隊長とローク、ジャーニトルは無傷だが、管制塔を破壊しに行った部隊は二人足りなかった。
怪我人がへたり込み、無傷の者が彼らを気遣う。
市民病院の呪医が重傷者から順に治療を始めた。




