0463.警備員の問い
警備員オリョールは、水塊を【無尽の瓶】に戻すと、溜め息を吐いた。
「あいつ、殺っとかなくていいんスか?」
「死体があると、魔物が湧いて、すぐ受肉するだろ?」
「あぁ……遠くに捨てに行くの、面倒っスね」
防火扉に掛けた【鍵】を解除して、また掛け直すのは、魔力と時間の無駄だ。
少年兵モーフが部屋に入ると、オリョールはこの扉にも魔法で【鍵】を掛けた。念の為、二人で机とベッドを移動して扉の前を塞ぐ。
あのアーテル兵は、少し上の階級なのか二人部屋だ。ここもそうだが、大部分の部屋は灯が点けっ放しで、消すと却って目立つ恐れがある。
少年兵モーフは部屋の中央に椅子を置いた。
「ちょっと休んでていいっスよ」
「水壁なしで覗いたら、頭撃ち抜かれるんじゃないか?」
「そん時ゃそん時っス」
オリョールは魔法を使い続けて疲れたのか、それ以上言わずに腰を降ろす。
少年兵モーフは、壁で身を隠して手を伸ばし、窓を開けた。熱風が吹き込み、今更ながら室内の涼しさを思い知らされる。
焦げ臭さに顔を顰め、そっと外を窺う。地面に落ちた灯に自分の影がはっきり見え、少年兵モーフは慌てて顔を引っ込めた。
外の物音に耳を澄ます。
銃声や爆発音が、遠い。
魔獣が侵入した隣の建物がどうなったか不明だ。少なくとも、銃声はなかった。内部の人間を喰らい尽くせば、こちらの建物にも来るかもしれない。アーテル兵の死体を置いてきたが、どれだけ喰らえば満足するか、モーフにはわからなかった。ぐずぐずしていれば、あの死体からも魔物が涌いてしまう。
……さっき走りながら見た感じじゃ、あっちが重要施設っぽいな。
敷地のほぼ南西端がこの建物だ。軍用車のライトやサーチライトで照らされた広大な空間を挟み、東側に倉庫や他の建物、背の高い建物が並ぶ。重要な建物は、全て基地の東側にあるようだ。
管制「塔」と言うくらいだから、北東の端に見えた一番高い建物が、ソルニャーク隊長たちが目指す場所なのだろう。管制塔を破壊しに行った隊は、モーフたちの隊同様、力ある民と力なき民を半分ずつ配置した。
倉庫のような建物が、煌々と点されたライトに浮かび上がる。戦闘機の格納庫か整備場の筈だ。そちらには【急降下する鷲】学派の警備員パーリトルと、残りの力なき民のゲリラが向かった。
少年兵モーフは、もう一度、外を覗いた。
遠くの灯に戦車のシルエットが浮かび、砲が火を噴く。着弾した先は建物の上部だ。【魔道士の涙】で強化された魔獣相手に形振り構えなくなったらしい。その気持ちは少年兵モーフにもよくわかる。マスリーナ市で、街区ひとつ分くらいの巨大な魔獣に追い掛けられた時のことを思い出し、背筋を冷たい汗が伝う。
この兵舎の近くには、人影も戦車も見えなかった。
……ここ、まだ兵士が残ってンのに、見捨てんのか?
増援が来ない。
アーテル兵は、この兵舎にモーフたち、隣の建物には魔獣が侵入するのを見ていた筈だ。
少年兵モーフが壁にもたれ、見たままの様子を伝える。
警備員オリョールは、腕時計に目を遣った。
「引き揚げまで後三十分くらいあるな。主戦場はあっちみたいだし、パーリトルの隊を手伝いに行くか?」
「何スか、それ? 俺が手伝わねぇっつったら、拠点に帰るんスか?」
少年兵モーフは、手榴弾をタクティカルベストのポケットに戻しながら聞いた。警備員オリョールが、魔法のナイフを鞘に収めて頷く。
「あの感じだったら、魔獣に任せて、全員引き揚げてもよさそうだからな」
魔獣に関しては、力なき民の少年兵モーフも同感だ。
力なき民のゲリラが【召喚符】で呼出した魔物は四体。この世に顕現した直後、無念の内に亡くなったネモラリス人の【魔道士の涙】から魔力を得て、どれも戦車並の大きさで受肉して暴れ回る。
キルクルス教国のアーテルには、魔装兵が居ない。反乱を恐れ、力ある民やフラクシヌス教徒は、ランテルナ島に押し込めた。
アーテル軍の戦力では、実体のない魔物には全く太刀打ちできない。受肉して魔獣化した後なら、肉体を破壊すれば元の世界に帰るので、近代兵器でもギリギリ戦える。だからこそ、アーテル軍の戦力を分散させられるのだ。
それでも、予定より三十分も早く引き揚げるのは、同意し兼ねた。
モーフの上半身を覆うたくさんのポケットは、まだ半分くらい中身がある。腰に着けた弾薬ベルトには、自動小銃の予備カートリッジが丸々手つかずで残る。
「弾とか、まだ余ってるっスよ」
「今回だけで使い切らなきゃなんないワケじゃないだろ?」
「そりゃ、まぁ……でも」
「魔力も弾薬も、次に備えて節約できるんなら、それに越したコトはな」
風に乗って爆発音が届き、警備員オリョールが口を噤んだ。
ラキュス湖を渡る風が、大陸の基地を生ぬるく撫でて去って行く。
戦闘は、まだ続いていた。
「でも、あっちの部隊、パーリトルさん以外は力なき民っスよ? 助太刀しに行かなくていいんスか?」
「その分、呪符とか多めに渡してあるだろ」
……呪符こそ、節約した方がいいんじゃねぇのか? ちっこい方の職人、レノ店長に手伝わせても、あんなヘトヘトになってたし、材料が足んねぇだの何だの、うだうだ言ってたのに。
少年兵モーフは、警備員オリョールの発言が不自然に思えた。
下手に指摘して置き去りにされたら、モーフ一人ではこの部屋を脱出できない。窓には鉄格子、ドアには術の【鍵】。部屋は狭く、手榴弾で壁を壊せば、無傷では済まないだろう。動ける程度の傷でも、血の臭いを嗅ぎつけて、魔獣に狙われやすくなる。
戦車砲が夜の大気を劈き、兵舎の窓ガラスを震わせる。
「君は、何の為に戦うんだ?」
魔法使いの警備員は何故か、黙り込んだ少年兵にやさしい声で聞いた。
☆巨大な魔獣に追い掛けられた時……「0184.地図にない街」「0185.立塞がるモノ」参照
☆「君は、何の為に戦うんだ?」……警備員オリョールの質問の意図は「357.警備員の説得」「358.元はひとつの」「359.歴史の教科書」参照




