0462.兵舎の片付け
いつの間にかサイレンが止み、発砲と砲撃の音がはっきり聞こえた。
警備員オリョールの手の中で【魔道士の涙】が砕け散る。
力尽きた元同志は、これで何人目になるのか。少年兵モーフは攻撃で忙しく、そんな数を数える余裕はなかった。
アーテル軍との戦いで命を失い、骨も残さず焼かれて【魔道士の涙】を残した力ある民のゲリラ、アーテル軍の空襲で焼かれ、魔力の結晶だけを残して逝った身元不明のネモラリス国民。少年兵モーフのタクティカルベストのポケットには、無念の内に亡くなった人々の力が詰まっていた。
キルクルス教の教義を厳格に守るなら、決して手を触れてはならない穢れたモノだ。
……力ある民だったら、自分が死んじまっても、こうやって仇討ちを手伝えんのに、俺たちゃ死んだらそれで終わりだ。
死後もこんなに差がつくことにやるせなさと、やり場のない苛立ちを抱えながら廊下を突き進む。
一階は食堂と会議室のようなところだ。
応戦したアーテル兵は、オリョールが操る水壁に呑まれて溺水し、自動小銃の弾を防ぐ壁の一部にされた。
……こいつら、いいモン食ってんだな。
少年兵モーフと警備員オリョールは、食べかけで放り出された旨そうな料理を横目に厨房へ侵入する。奥に調理師が残っていた。彼らも兵らしく、包丁を構える。オリョールは、彼らも他の兵と同じに扱い、一階を無人にした。
一階と二階の間の踊り場で、水から出した死体を積み上げ、壁を築く。出遅れて二階にまだ居た兵も屠った。建物に入ってからは、魔法使いの警備員オリョールの独壇場で、少年兵モーフは殆ど武器を使わなかった。
少年兵モーフと警備員オリョールは、正門から一番近い建物は魔獣に任せ、二番目に近い兵舎らしき建物に侵入した。
オリョールの操る水壁が、階段で鉢合わせした兵を屠り、二階に上がる。
ドアが廊下の両側に等間隔で並ぶ。人の気配はなかった。アーテル兵は、ネモラリス人ゲリラと魔獣の襲撃を受け、慌てて飛び出したのだろう。ドアが開いたままの部屋が多く、灯も煌々と点る。
警備員オリョールが、弾避けの壁にした水を【無尽の瓶】に収めた。
「ここは出払ったみたいだな」
「そうっスね」
少年兵モーフは、油断なく自動小銃を構えたまま同意した。
無人の廊下が照明の強い光に照らされ、その白さが目に痛い程だ。【魔除け】などはない筈だが、雑妖は居ない。
……工場と同じ対策してんだな。
警備員オリョールが、手に付いた【魔道士の涙】の破片を払い落す。
「防火扉を閉めよう」
「了解っス」
少年兵モーフが防火扉を閉め、警備員オリョールが【鍵】の術を掛けて歩く。廊下が分断され、途中の階からは階段へ出られなくなる。
二人は水壁を片付けた分、慎重に兵舎内を進んだ。
夕飯時のせいか、居室が並ぶ三階と四階は無人だった。
誰にも妨げられず五階……最上階へ出る。
「北東の……奥から二番目の部屋を確保。そっから地上を攻撃して、アーテル兵を引きつけるっス」
「わかった」
防火扉を閉めながら、奥を目指す。
少年兵モーフは、部屋数に対して食堂が小さいことに気付いた。
閉まった部屋は、夜勤と食事、休暇などで最初から留守だったのだろう。先に食事を終えた者か、食事の順番が後の者がサイレンを聞きつけ、自室を施錠する時間さえ惜しんで駆け付けたらしい。残留兵の有無を確認した部屋は、どこも、ベッド下の収納が開け放しだ。
警備員オリョールが訓練通り、奥から三番目のドアを閉め、魔法で【鍵】を掛ける。
角部屋は窓が多く、外を攻撃しやすい半面、守り難い。今は二人きりで、窓を塞ぐ土嚢などもない。
モーフはなるべく管制塔に近い部屋で、守りやすそうな所を考えた結果、最上階の北東、奥から二番目の部屋に決めたのだ。
奥から二番目のドアは、閉まっていた。オリョールが、ひとつ飛ばして一番奥の部屋にも【鍵】を掛ける。少年兵モーフは、魔力を放出し終えた【魔力の水晶】を受取り、冷たい輝きを宿したものを渡した。
咳の音。
二人は姿勢を低くし、壁に貼り付いた。
警備員オリョールがナイフを抜く。ジャーニトルが森の訓練で魔獣にトドメを刺した物と同型だ。廊下の強い照明の反射とは異質な光が、刃を濡れたように輝かせる。
立て続けに五、六回咳込んで、中の人物は静かになった。
……さっきの呪文、聞こえたよな?
少年兵モーフの懸念を知ってか知らずか、警備員は扉に手を添え、小声でさっきとは別の呪文を唱えた。カチリと音を立てて普通の鍵が外れ、ドアが内側へ開く。
手榴弾のピンに掛けた手を押さえられた。オリョールは無言で首を横に振り、手真似で「待て」と命じて部屋に身を滑り込ませた。早口で、耳慣れない呪文を唱える。
詠唱が終わると同時に何かが倒れる音と激しい咳が聞こえた。
続いて、もう何度も聞いた【操水】を唱える声。男が一人、部屋から流れ出た。軍服ではない。ゆるい服を着て、縄のような光でぐるぐる巻きだ。水塊は音もなく廊下を流れ、防火扉にぶつかった。咳込むアーテル兵を置き去りにして、水だけが戻る。
この兵は、一人で寝込んでいたらしい。
オリョールが水を呼び戻し、部屋全体に巡らせて掻き混ぜる。ベッドや机、僅かな私物などが水流に流され、乱暴に部屋の隅へ寄せられた。埃などが混じって薄汚れた水が、再び廊下を流れる。防火扉の前に不純物を吐き出し、宙を漂って戻って来た。
☆森の訓練で魔獣にトドメを刺した物……「0407.森の歩行訓練」参照




