0461.管制塔の攻略
力ある民のゲリラが、ロークの肩を掴んで【跳躍】する。
移動先は、赤い警告灯が明滅する管制塔の足下だ。サイレンが耳を聾する。
力ある民のゲリラが、タクティカルベストのポケットから小瓶を出した。【無尽の瓶】だ。見た目の容量を遙かに上回る大量の水が、【操水】の声に応じて流れ出る。
ロークは手榴弾を右手に握り、左手をピンに掛けた。
別のゲリラが正面扉脇の壁に貼り付き、片手を鉄扉に添えて、ロークが聞いたことのない呪文を小声で唱える。カチリと鍵が外れる音に続いて、扉がゆっくり開いた。
……いち、に……ッ!
ロークはそのゲリラと場所を代わり、通路に手榴弾を投げ込んだ。
轟音と同時に振動が背を震わす。
湖の民の警備員ジャーニトルが、水壁で通路を埋めた。爆風が遮られ、硝煙の匂いが水に溶けて消える。電灯の破片が水に混じり、奥の灯に輝いた。
アーテル兵は、奥の部屋に身を隠しながら自動小銃を撃つが、激しく渦巻く水壁に遮られ、こちら側には届かなかった。
水壁が前進する。
ソルニャーク隊長率いる北部隊は、前方を警備員ジャーニトル、後方を力ある陸の民が建てた水壁に守られ、アクイロー基地管制塔の通路を進んだ。
開いたままの扉には手榴弾を投げ込み、閉じた扉には力ある民のゲリラが【鍵】を掛けた。中のアーテル兵がどうなろうと、知ったことではない。
日没後だからか、思った以上に管制塔のアーテル兵は少なかった。それも、魔法で次々と水に呑まれる。
……俺、別に要らないんじゃないか?
ロークのように未熟な素人は、足手纏いになるだけだ。力ある民さえいれば、守る対象が少なくて済む分、楽なのではないかとさえ思える。
階段に出た。
アーテル軍の増援が来る前に駆け上がりたいが、【操水】するジャーニトルたちは足下が危うく、ゆっくりとしか昇れない。
ロークは、アサルトライフルを握る手の汗をズボンで拭い、慎重について行く。
案の定、二階と三階の間で挟み撃ちにされた。
ネモラリス人の武闘派ゲリラは、踊り場で迎え撃つ。
アーテル兵は、仲間の死体が流れる水壁に怯みながらも、発砲した。軽機関銃の弾は死体に食い込み、武闘派ゲリラには一発も当たらない。
緑髪のジャーニトルが小さく舌打ちした。
水が赤く濁って視界が利かない。千切れた死体が水壁の中を循環する様は、あまりにも非現実的で、悪い夢のようだ。
警備員ジャーニトルの手の中で【魔力の水晶】が輝きを失った。ソルニャーク隊長の指示で、力なき民のゲリラが、ジャーニトルの手から魔力を放出し終えた【水晶】を取り、代わりを渡す。
後ろの水壁は攻撃を受けておらず、水に濁りがない。死体が流れ漂う清水の向こうに恐怖と嫌悪に凍りついたアーテル兵が見えた。
……前に進むしかないんだよな。
水壁自体は攻防一体だが、支える魔法使いたちの負担が大きい。
「行くぞ」
ソルニャーク隊長の声で、水壁が前進する。階段上に身を隠したアーテル兵が、後退しながら発砲する。
銃で応戦しようにも、水壁に遮られるのはゲリラ側も同様だ。階段をゆっくり昇る。軍靴の音が階段を駆け上がる。赤く濁った水の先から人の気配がなくなった。
ロークは、少しホッとして後ろを見た。
階段下の兵は、曲がり角に身を隠しながら、発砲せずについて来る。ロークはタクティカルベストのポケットに詰めた手榴弾の重みで、自然と前屈みに姿勢を低くし、階段の壁際を昇った。
もう少しで三階と言うところで、ソルニャーク隊長が振り向かず、無言で引き戸を開けるような動作をした。
誰への合図なのか、とロークが肩越しに下を見る。
後ろの水壁が、僅かに開いた。力なき民のゲリラが、その隙間にピンを抜いた手榴弾を投げ込む。数秒後、階段の上下から轟音と震動が起こった。
ロークが驚いて見上げる。
赤く濁った水壁が、こちら側へ大きく撓んだ。水中の死体が更に損壊し、細かな肉片などが濁流を循環する。
バランスを崩し、ロークの身体が大きく傾いた。
思わず手を伸ばしたが、手すりには全く届かない。
……落ちる……!
一瞬のことが引き延ばされ、妙にゆっくり見える。背中に何かがぶつかり、ロークは階段の上段に叩きつけられた。段にしがみつくように手をつき、振り向く。
後ろの水壁から一条の水が伸びていた。水がしなり、鞭のようにロークの頭を叩いて水壁に戻った。
「す……すみません」
後ろの水壁を支えるゲリラは、さっさと行けとばかりに顎をしゃくった。上の水壁はもうずっと先へ進んだ。ロークは階段に手を突き、猫のように駆け上がった。
緑髪のゲリラが【無尽の瓶】を開け、【操水】を唱える。湖の民の警備員ジャーニトルが頷いて、濁った水壁の左上の隅を開けた。ゲリラが操る水は、その穴から三階の廊下へするりと出て行く。
清水が透明な蛇のように右側へ行くのを見届けると、ジャーニトルは、濁った水壁に力ある言葉で何事か命じた。
濁流が激しく渦巻き、肉片が掻き乱される。竜巻のような水流が通路の左側へ突進した。
ソルニャーク隊長が、濁流の影に隠れながら通路へ出る。片手に銃を構え、もう一方の手で前進の合図を送った。
ロークは訓練通り、姿勢を低くして階段を昇り切り、廊下へ出た。ちらりと背後を見る。水壁の向こうにアーテル兵の姿は見えなかった。
廊下の左側はエレベーターホールだ。ソルニャーク隊長が、壁の案内板を見て右を指差す。これより上の階へ行く階段やエレベーターは、建物の右側にあった。
警備員ジャーニトルの操る濁流が、廊下の窓を叩き割った。肉片の一部を外へ捨て、残りの一部をエレベーターの前にばら撒く。
ロークは、感覚が麻痺してしまったのか、恐怖を感じなかった。水流に翻弄されるアーテル兵だったものの残骸を見ても、全く心が動かない。
湖の民が廊下の右側に展開した水壁を少し開け、ジャーニトルの濁流を通した。
水流がドアノブを揺すり、廊下に金属音が響く。血と脂で濁る水が、鍵の掛かったドアの隙間から室内に侵入した。取り残された肉片が、ドアの前に降り積もる。
アーテル兵は廊下に姿を見せないが、水壁を支えるゲリラ二人は動かない。
微かにガラスの割れる音が聞こえた。
ジャーニトルが小さく拳を握り、水を呼び戻す。ドアの上部を抜けて来た水は、濁りを全て捨てて透き通る。水塊はするりと【無尽の瓶】に戻った。
湖の民の支える水が九十度旋回し、ドアが並ぶ壁面と平行になった。ジャーニトルが水を盾に奥の扉へ次々と【鍵】を掛けて行く。
「走れ!」
ソルニャーク隊長が片手を挙げて軽く振る。ロークたちは姿勢を低く保ち、水壁の端へ走った。通り過ぎ様、室内から悲鳴と銃声が聞こえる。
……来た……ッ!
陽動部隊の召喚した魔獣が、血の臭いを嗅ぎつけて移動して来たのだ。
ジャーニトルが【鍵】を掛けずに素通りした一番手前の扉が開いた。飛び出したアーテル兵が、湖の民が操る水塊に呑まれ、室内へ投げ込まれる。
ロークたちは、奥のエレベーターと階段の前に着いた。
後ろの水壁を支えるゲリラが【無尽の瓶】に水を収め、こちらへ走る。湖の民の水塊がドアを閉めた。ゲリラが駆け寄り、早口に呪文を唱えて【鍵】を掛ける。
鉄扉が内側から激しく叩かれ、ドアノブを動かす音が虚しく響いた。
湖の民と力ある民のゲリラは、水塊を盾にしてみんなの所へ走ってきた。力なき民のゲリラが、魔法使い三人に新しい【魔道士の涙】を渡す。
ソルニャーク隊長の部隊は、水壁で身を守りながら、管制塔の最上階を目指し、階段を昇った。




