0047.公園での一夜
レノは、四時間並んでやっと、食糧の配給を受けられた。
それも、非常用の備蓄食料一パック。堅パン一食一枚で三枚だけだ。
……父さんと母さんと、ピナとティス、俺。半分に割れば、みんなに行き渡るよな。
食糧のパックを抱え、鉄鋼公園を目指す。
配給を受けたのはミエーチ区の公民館だ。
避難者は配給を受けた後、バスでセリェブロー区やゼルノー市外の避難所へ送られた。児童公園で一夜を明かした人々は、先に乗り込んだ。
レノも、役人にバスで避難するよう言われたが、家族と待ち合わせているから、と断った。
鉄鋼公園はジェリェーゾ区にある。
レノは昨日、運河沿いを走って、ミエーチ区とゾーラタ区の区境近くまで来てしまった。ニェフリート運河は、北西で天然のニェフリート河と合流する。合流地点は、ゾーラタ、セリェブロー、ミエーチ三地区の区境だ。
児童公園の避難者に土地勘のある人物が居た。
その人の案内で、迷わずミエーチ区の公民館へ行けたのだ。公民館はミエーチ区の中部にあり、ジェリェーゾ区よりもスカラー区やピスチャーニク区に近い。
すっかり遠ざかった待ち合わせ場所へ走った。
走りながら、昨夜の恐怖を思い出す。
居合わせた魔法使いが【簡易結界】を張ってくれた。レノは安心し、また、疲れ切っていた為、座るなり眠りに落ちた。
どのくらい眠ったのか、ふと目が覚めた。
誰かが小声で話すのが聞こえた。
大気はしんしんと冷え、吐く息が月明かりに白く凝った。両肩と背中は他人の体温であたたかい。固く冷たい地面に直接、座り続けたせいか、腰が痛む。
呟きに耳を傾けた。「力ある言葉」だ。内容はわからないが、レノも身近でよく耳にする響きなのでそれとわかった。
混乱の中ではぐれた親友を思い出す。
クルィーロは修行をサボってばかりいたが、それでも一応、魔法使いだ。
……あいつならきっと、逃げ切ってる。
それより、両親と妹たちが心配だ。
レノは今、ビニール紐で作った粗末な【簡易結界】で守られている。
結界の外には雑妖が犇めく。
自然の陰の気や、人の負の感情などが凝って生じる雑多な妖魔。一匹として同じ姿のモノはなく、定まった形も成さないので、個体の境界も曖昧だ。
この世の穢れを喰らって育つが、日の光に触れれば消えてしまう。
儚く弱い存在だが、魔力を持たない人間にとっては、充分、脅威となり得る。
レノは、声のする方を向いた。【簡易結界】を用意してくれた魔法使いが一心に呪文を唱える。
その視線の先、斜め前には、雑妖とは明らかに異なるモノが揺らめき漂う。
……魔物だ。
異界から迷い込んだこの世ならざるモノ。
今、そこに居るのは存在が希薄だ。まだ、迷い出たばかりらしい。
魔物は、この世の生物を喰らう度にこの世での存在の密度が増す。薄いモノはまだ弱いが、魔法でなければ倒せない。密度を増したモノなら、普通の武器でも倒せるようになるが、強い。
魔法使いが、呪文の結びの言葉を唱えた。
一瞬の閃光。
闇に慣れた目が眩む。
静寂の中、息を殺して待つ。
再び戻った視界からは、魔物とその周囲に群がる雑妖が、最初から居なかったかのように消えていた。
術者がホッと、息を吐く。
周囲にも安堵が広がった。
雑妖の群が、空いた場所をじわじわ埋める。人々の恐怖心や不安を求めて集まるのだ。
わかっていても、なかなか平常心を保てるものではない。
魔法使いのお蔭で、弱い魔物や雑妖からは守られても、テロリストが相手では、そうも行くまい。離れ離れになった家族や友人が心配でもある。
他の人々も同じなのか、寝息はひとつも聞こえなかった。
レノは夜明け前に少しまどろんだ。
冬の朝は遅い。
レノが寒さと雀の声で目を覚ましても、空はまだ薄暗かった。
朝日が完全に昇るのを待つ。
空の明るさが増すにつれ、雑妖の姿が薄くなり、光に溶けて消えた。
「公民館へ行ってみよう。役所が避難所にしているかもしれん」
年配の男性の発言で、人々は腰を上げた。
移動に一時間半掛かり、配給の行列で四時間。レノが待ち合わせ場所へ向かったのは、昼を少し過ぎてからだ。
一人になって走る道は、本当にレノ一人だった。
人っ子一人居ない。
昨日、どこの家にも灯が点らなかったのは、停電ではなく、避難を終えたからだと改めて気付く。
……道理で、呼んだって誰も応えないワケだ。
レノは誰か親切な人が泊めてくれないかと、何軒か訪ねてみたが、無駄だったのを思い返した。
不審者として通報されて警察が来たら、それで警察署の建物に入れてもらえるとさえ思った。
今の車道には違法駐車さえ一台もなく、時折すれ違うのは軍用車とパトカーだけだ。一台のパトカーが、すれ違い様に速度を落とし、レノを呼び止めて停車した。
「君、早くゾーラタ区かセリェブロー区……できれば、市外に避難しなさい」
「家族が、鉄鋼公園に避難してるんです。それで、今から合流しに……」
「そうか。なら、気を付けて行きなさい。避難で留守になった家に、テロリストが侵入しているとの情報がある。家族と会えたら、すぐに市外へ行きなさい」
「……わかりました。ありがとうございます」
レノは走った。無人の街を。
☆待ち合わせ場所/混乱の中ではぐれた親友……「0021.パン屋の息子」参照




