0460.魔獣と陽動隊
少年兵モーフを含む陽動部隊は、アクイロー基地の正門前に【跳躍】した。
日没後のこの時間は当然、門が閉まっている。建物から漏れる灯で、思ったより見通しが利いた。
敷地の中央部は広い空間で、建物は正門に近い南西部と東部に分かれて建つ。一番背の高い建物は敷地の北東部にあった。
力なき民のゲリラたちが、同志だった【魔道士の涙】と呪符を握って呪文を唱える。少年兵モーフが初めて耳にする呪文だ。力ある民のゲリラが、詠唱中のゲリラの腕を掴んで【跳躍】の呪文を唱える。
少年兵モーフは、防弾仕様のタクティカルベストのポケットから、手榴弾をひとつ出した。警備員オリョールがモーフの肩を掴んで跳ぶ。
サイレンが昼の熱気を孕む夜気を裂き、アーテル空軍の最前線アクイロー基地に鳴り響いた。
正門前の車道に【跳躍】したのだから、門番にみつかって当然だ。軍用車が何台も猛スピードで向かって来る。陽動部隊は二人一組で【跳躍】し、分散して敷地内に侵入した。
少年兵モーフと警備員オリョールの組は、正門から二番目に近い南西の建物の南端に出た。軍用車の進路上を狙って手榴弾を投げる。
オリョールが【無尽の瓶】の蓋を開け、【操水】を唱える。サーチライトにきらめきながら、小瓶の容量からは想像もつかない大量の水が流れ出た。宙に漂い、壁を成す。
手榴弾のひとつが軍用車の真下で爆発した。装甲の厚い車体は無事だが、車輪の一部が破損し、制御を失う。ブレーキが悲鳴を上げた。車体が大きく傾いて弧を描く。別の軍用車に衝突し、二台とも止まった。
あちこちで爆発音と発砲音が起きる。
モーフは、オリョールが展開した水の壁に守られながら建物へ走った。
東側の建物に一番近い場所へ【跳躍】したゲリラが、何かを投げる。
灯に青白い輝きが散らばった。魔力が尽き、砕けた【魔道士の涙】だ。最後の輝きの中から、巨大な虫の脚が突き出る。
サーチライトに異形の影が伸びた。
二本の脚に続いて大顎を備えた頭部、大きく膨らんだ腹部は、金属光沢のある鱗に覆われる。呪符でこの世に召喚され、【魔道士の涙】を糧に受肉したのは、蜘蛛に似た戦車サイズの魔獣だ。
呪符と【魔道士の涙】で異界の生物を召喚したゲリラたちが、銃を構えて別の建物へ走る。
魔獣が跳び、灯の漏れる三階の窓を破った。脚先の鉤爪が、窓の鉄格子を壁ごともぎ取る。
手前の建物では、蛇に似た長大な魔獣が、鉄格子を紙細工のようにへし折り、窓から押し入った。
少年兵モーフが、警備員オリョールと並走しながら手榴弾のピンを抜く。
割れた窓から悲鳴と銃声が上がる。
蛇の毛深い胴で、無数に生えた百足のような脚が蠢き、【魔除け】を持たない人間を求めて建物に侵入する。
アーテル兵は、突然現れた魔獣から逃れ、体勢を立て直そうと出口へ殺到した。
少年兵モーフが振り向いて、無防備な人の群に手榴弾を投げる。爆発の結果は見届けず、オリョールから離れぬよう走りながら自動小銃の安全装置を解除した。
陽動部隊十人は、力ある民と力なき民の二人一組でバラバラに行動し、アーテル空軍アクイロー基地を撹乱した。
決行が早まったせいで、呪符職人の準備が間に合わず、【召喚符】は四枚しかない。それでも、魔法使いが一人も居ないアーテル軍にとっては、充分な脅威だ。
呪符で呼び出した魔獣は誰の支配も受けていない。
命令に従うワケではなく、【魔除け】の呪符でどの程度防げるかわからない。迂闊に近付けば、ネモラリス人の有志ゲリラも食われてしまう。
陽動部隊が起こした騒ぎに紛れ、警備員パーリトル率いる西部隊は戦闘機の格納庫、ソルニャーク隊長の北部隊は管制塔を目指している筈だ。
陽動部隊と北部隊には、力ある民を五人ずつ配し、西部隊には、力ある民が警備員パーリトルしか居ないが、その分、呪符や弾薬を手厚く分配した。
魔獣が侵入した建物は放置し、隣の建物へ走る。
こちらは兵舎か食堂か、近付くにつれ、旨そうな匂いが濃くなった。
少年兵モーフは、唾を飲み込んで建物へ駆け寄る。警備員オリョールも、水壁で左右と背後を守りながらついて来た。
遮蔽物のない場所を走る二人は、アーテル兵から丸見えだ。
建物を出た兵の一団が銃を構える。
二人は、速度を緩めずに突進した。
敵の自動小銃が横薙ぎに火を吹く。
分厚い水の壁が、渦巻きながら前へ出る。横倒しの竜巻のような水流が弾を呑みながらアーテル兵に向かった。驚愕と恐怖に歪む敵兵の顔が、建物の灯に浮かぶ。
アーテル兵は銃を撃ちながら、逃げる間もなく水塊に呑まれた。水面に出ようともがくが、水塊は激しく渦巻き、呼吸を許さない。
警備員オリョールは力ある言葉で水に命じ、建物の出入口をピッタリ塞いだ。十数人のアーテル兵を呑んだ水が、壁となって通路を前進する。
少年兵モーフは銃を構え、オリョールの背後を守ってついて行く。
……俺たちが全滅しても、化け物共がこの基地の連中を食い尽くしてくれる。
アーテル兵の生存者が逃げても、召喚した魔獣が居座り続ける限り、このアクイロー基地は使い物にならない。
少しでも長く、ネモラリス共和国領への空襲を防げるよう、少年兵モーフは、生まれて初めて心の底から魔獣を応援した。




